ワルサーP38、シュマイザー短機関銃、モーゼル小銃……20世紀のドイツ軍を支えた、世界屈指の名銃に迫る連載、第5回。 ■StG.44突撃銃
時代を先取りした世界初の傑作突撃銃StG.44突撃銃の画像はこちら >>
StG.44を構えるドイツ軍兵士。
拳銃弾よりも強力だが小銃弾よりも威力が弱い中間弾薬の7.92mmクルツ弾を使用する本銃は、現代の歩兵用小火器の主流となっている突撃銃の原点である。

 ・・・・愛車M4A3E8シャーマン「フューリー」号の砲塔の車長用キューポラから上半身を乗り出したドン“ウォーダディー”コリアー二等軍曹は、ドイツ軍から分捕ったStg44突撃銃でヒトラー・ユーゲントの少年兵を撃ちまくる。彼らは、戦車にとって大きな脅威のひとつである携行式対戦車兵器パンツァーファーストで、上官が乗るM4を撃破したからだ・・・・第二次大戦における連合軍とドイツ軍の戦車戦の実相を描いた傑作戦争映画『フューリー』のワンシーンである。

 今日、世界中の軍隊で使われている突撃銃。その元祖は、帝政ロシアで開発されたフェデロフM1916自動小銃といわれる。だが、世界初の実用量産突撃銃は、ドイツのStG.44だ。実はこの銃が登場した背景には、当時の弾薬事情が大きく影響していた。

 第二次大戦前半の各国の軍隊は、装薬量が多く300m以上の射距離でも正確な射撃が可能で威力も減衰しないが、1発が長く重いため兵士1人当たりの携行数が限られ、しかも反動が強く軽い銃での連射には向かない小銃弾と、短く軽いので多数携行でき、装薬量が少ないため反動が弱く軽い銃での連射も容易だが、200m以上の射距離になると急激に威力が衰える拳銃弾の2種類を主用していた。

 ところが緒戦の戦訓で、歩兵がいちばん頻繁に射ち合う距離は、約50~250mの間だということが判明。そこでドイツ軍は、20世紀初頭に制式化され、すでに量産体制が確立されていた7.92mmマウザー弾の製造施設を流用して生産できる、小銃弾薬と拳銃弾薬の中間的な威力を備えた使い勝手のよい弾薬の開発を開始。7.92mmマウザー弾の薬莢を短縮したような外観を持つ、7.92mmクルツ弾を1940年に生み出した。

 かような開発背景から、7.92mmクルツ弾には、7.92mmマウザー弾と共通の部分が多々あった。

例えば、両者は薬莢底直径と薬莢底厚が同じなので、基幹小銃のKar98kに7.92mmマウザー弾を装填する際に使われる5発挿弾クリップが兼用でき、StG.44の30発マガジンへの装填時にも、あらかじめこの挿弾クリップに7.92mmクルツ弾を填め込み、マガジン装填専用の挿弾クリップ・ガイドを用いて、挿弾クリップから5発づつ一気にマガジンへと装填することができた。

 

 この7.92mmクルツ弾を使用する銃として、MKb.42(MKbとはMaschinen karabiner、機関騎兵銃の頭文字)がヘーネル社とワルサー社で開発され、それぞれの末尾に開発した会社の頭文字のHとWがMKb.42(H)とMKb.42(W)というように付与されて実戦試験に供された。その結果、前者が勝ち残り、さらに改良してStG.44が誕生。
ところがヒトラーは、ドイツ軍の主力小銃弾7.92mmマウザー弾が使用できないことを理由に、この新型銃の量産を許可しなかった。だが本銃の有用性は実戦試験を通して確認済みで、ドイツ軍兵器局は、ヒトラーの目を欺くためにMK43、MP43、MP44と名称を変更しつつ、同銃を密かに量産して実戦部隊に供給し続けた。そこに1943年末、ヒトラーは東部戦線から帰還した指揮官たちとの会合の折、新型銃を大量に供給してほしいという要望を受ける。

 この新型銃こそ、ヒトラーには秘密で生産されていたMP44であり、実戦での評価を聞き及んだ彼は、考えを全面的に改めて優先量産命令を出すとともに、自らシュトルム・ゲーヴェル(Sturm Gewehr、英訳するとアサルト・ライフル)の名称を与え、以降、同銃はStG.44と呼ばれるようになった。

 かくて今日の突撃銃の先駆であるStG.44は、第二次大戦中に約426000挺が生産され、大戦中期以降の実戦で好評を博したのだった。しかも、今日では当たり前に使われている「突撃銃」という言葉を、世界で初めて創造したのがヒトラーだというオチである。

【要目】
使用弾薬:7.92mmクルツ弾
全長:940mm
銃身長:419mm
重量:約5.2kg
ライフリング:4条右回り 
装弾数:弾倉30発
作動方式:ガスオペレーション
発射速度:毎分約500発

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