江戸時代に遊郭が設置され繁栄した吉原。その舞台裏を覗きつつ、遊女の実像や当時の大衆文化に迫る連載。

 現在、ネット上の性風俗店の広告では、所属する風俗嬢を写真で紹介している。直接、店舗に行った場合でも、受付で見せられるのは風俗嬢の写真を載せたアルバムである。

 つまり、写真で判断し、相手を決めなければならない。

「あっ、この女の雰囲気、いいいな」

 そう感じて、指名したところ、実際に現われた風俗嬢は写真とは似ても似つかぬ風貌や体型だったという喜劇(あるいは悲劇)はしばしば耳にする。

 カメラがデジタル化し、パソコンの能力も向上するともない、専門技術者でなくても写真の修正や加工は簡単にできるようになった。
 その結果、写真は必ずしも信用できなくなっている。こと風俗嬢の紹介写真に関するかぎり、修正や加工がまったくないと考えるほうが難しい。

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写真を拡大 図1『白浪日記』(山里東人著、文政5年)国会図書館蔵

 さて、江戸時代は、客の男は遊女の顔を自分の目で実際にたしかめることができた。

 図1は、吉原の張見世の光景である。男たちが格子の前に立ち、遊女を物色している。

 妓楼は通りに面して、張見世と呼ばれる格子造りの座敷を設けていた。遊女は張見世にずらりと座って、客の指名を待つ。


男たちは格子越しに遊女をながめ、相手を決めるわけである。これを、「見立て」といった。

 相手を見立てた男は、入口近くにいる妓楼の若い者に、

「右から三番目の女」

 などと告げればよい。

 若い者は遊女をたしかめ、大きな声で、

「八木沢さん、お支度~ぅ」

 などと名前を叫び、客の指名があったことを伝えた。

江戸の風俗に「パネル詐欺」はなかった!
写真を拡大 図2『傾城買談客物語』(式亭三馬著、寛政11年)国会図書館蔵

 図2は、夜の張見世の内部の情景である。

 いましも、吉原独特の大行灯に若い者が油をそそいでいる。

 張見世に居並ぶ遊女は顔に白粉を濃く塗り、豪華な衣装を身にまとっているだけに、大行灯の明かりに照らされて、その容姿は妖艶に見えたに違いない。
 ひとりの遊女が格子のそばににじり寄っている。

 これは遊女が、自分が吸っていた煙管を、
「お吸いなんし」
 と、格子越しに男に渡そうとしているところである。

 これを、「吸いつけ煙草」と言った。

 遊女のほうから男を誘っていることになる。

 男のほうは、

「こんなにたくさん男がいるなかで、俺に吸いつけ煙草をくれた」

 と感激し、うぬぼれた。

 もちろん、遊女はそれが狙いである。

 なお、図1で、多くの男が張見世の遊女をながめているが、ほとんどは冷やかし客だった。

 吉原の女郎買いは高くついたため、貧しい庶民は張見世の遊女を見物して楽しむのがせいぜいだった。彼らが実際に女郎買いをするのは、格安の岡場所である。

 また、当時は娯楽が少なかったこともあって、男たちにとって吉原見物は一種の娯楽でもあった。吉原をぶらつき、張見世の遊女を格子越しにながめて、おたがいに品評するのが楽しみだったのだ。

 明治以降も吉原は続いたが、女性をさらし者にする張見世は人権蹂躙であるとの批判を受け、明治の末期までに張見世は廃止された。

 おりしも写真が普及し始めていたことから、吉原の妓楼は張見世に替えて遊女の写真を掲げるようになった。

 もちろん、白黒写真であるが、現代のように簡単に修正や加工ができなかったから、その意味では実物とほとんど変わりはなかったであろう。

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