吉原の妓楼には必ず、遣手(やりて)と呼ばれる女がいた。遣手は、遊女や禿の監督・教育係といえよう。
その立場上、遊女や禿にはきびしくあたり、時には折檻もした。その分、遊女や禿からは恐れられ、嫌われる存在だった。
逆からいえば、妓楼の秩序をたもつためには、遣手は妓楼に必須の存在だったといってよかろう。
岡場所の女郎屋にも必ず遣手に相当する女がいて、とくに深川の女郎屋では娘分と呼んだ。
写真を拡大 『客衆肝照子』(山東京伝著)/国立国会図書館蔵図1は遣手を描いているが、その表情はいかにも憎々しげで、口うるさそうである。
年季が明けても引き取ってくれる男もなく、行き場のない女のなかから、楼主が見込んだ者が遣手として雇われることが多かった。図1を見ても、年齢はかなり高いのがわかる。
吉原のことは表も裏も知り尽くしており、海千山千の女である。
妓楼の二階の階段のそばに遣手部屋があり、そこに住み込んでいた。つまり、遊女や客の動きにつねに目を光らせていたのである。
戯作『取組手鑑』(寛政五年)に遣手が活写されており、次にわかりやすく書き直した。
遣手が遊女と客人の宴席に顔を出すと、客人が祝儀を渡した。
「おほほほ、へい、ありがとうおざります。あの子や、お銚子をもっとてめいのほうへ寄せておきや。お召し物へかかろうぞよ。ほんに、まだ御膳をあげんそうだ」
そう言いながら、廊下に出ると、
「花粋さん、上草履が片っぽ、見えやせんによ。ひと所へ寄せて置きなせい」
連子を見て、
「悪いこった。よく取り締まっておけばいいに。履物が中庭へ落ちそうだ」
廊下に、禿が落とした長い紙が落ちているのを拾い、
「こんなこったによって、気は許されねい」
なかほどの部屋をのぞくと、遊女は高いびきで寝ており、初会の客はもじもじしている。
「もしえ、牧野さんへ。ちっと、どうしたもんでおざりやすえ」
と、遊女を起こし、行灯のそばの獅噛火鉢のなかで杉箸がくすぶっているのを見つけて火を消し、土瓶をかけ、
「こんなこったによって、火の用心が悪い」
廊下を歩きながら、
「また、誰か連子をあけた。風があたってなるもんではねい」
と、連子の戸を閉じ、
「あ、天気になるそうだ。
と、お題目を唱えながら、遣手部屋にはいって座る。
遣手の生態がわかろう。このように、つねに小言を言う女が多かった。
逆からいえば、つねに遣手が注意していなければ、遊女や禿はすぐにだらしなくなったのである。■遊女をしかりつける遣手
いっぽう、遊女が特定の客の男に夢中になり、他の客人をおろそかにすることがあった。そんなとき、遣手の指図で、妓楼は男の登楼を断わった。いわば、男と女の仲を裂いたのである。

だが、男がこっそり遊女の元に忍んで来ることがあった。そんな忍び合いに踏み込んだところが、図2である。
ひそかに監視していた遣手は、若い者を従え、ふたりの密会の現場を押さえた。
遊女を叱りつける遣手の形相がすごい。
客の男を取り押さえているのは若い者。
このあと、愁嘆場が演じられたはずである。遊女は折檻を受けた。客の男は袋叩きになったあげく、放り出されたであろう。