今年のお盆は長期休暇を取りやすく、9連休を楽しむという声も少なくない。夏休みには旅行をしたり、実家に帰省したりすることがあるだろう。
筆者の故郷である栃木県は、なまりは多少あるものの、単語そのものは標準語とほぼ変わらない。そのため、方言とは知らずに使っていた言葉が多数存在する。たとえば、「だいじ」という言葉だ。辞書を引けば、「重大な事柄」「大切」などの意味が紹介されている。
しかし、栃木弁のだいじは「大丈夫」という意味になる。くしゃみをした人に対して「だいじ?」と声をかける場合は、風邪をひいたのではないか、大丈夫か、という意味合いになるのだ。声をかけられた側も、問題がなければ「だいじ」と返答する。こうしたやり取りが当たり前だったので、上京して通じなかったときにはじめてこれが方言であることに気付いた。
さらに栃木弁がややこしいのは、標準語の「大事」も会話に盛り込まれる点である。文脈から理解することが可能ではあるが、他県民は混同してしまうようだ。
■「おっかける」「うら」「おっかける」という方言もある。
「うら」という言葉も、標準語とは違う使い方をする。たとえば、車の後部座席にのってもらうときなどには「車のうらにのって」という。栃木県民は「うしろ」という意味で使用しているのだが、これも他県民にはなかなか通じないものだ。筆者の学生時代の担任は他県民で、栃木に赴任したばかりのときには、このうらの意味が理解できなかったそうだ。
このように、標準語と同じ言葉を用いながら、意味は異なるものが意外と多く、方言とは気づかずに使っていた。
また、栃木は無アクセント(イントネーション崩壊)地域といわれることがある。「橋」と「箸」のような同音異義語も同じイントネーションなので、単語だけではどちらの意味がわからない。前述の例なら文脈から理解しやすいが、「かきを食べた」という場合、「柿」と「牡蠣」、どちらのことを指しているのかわからないといわれる。
現在はなまりも薄れてきて、こうした方言を日常的に使う若者は減っているかもしれない。エリアにもよるが、栃木出身の漫才コンビ、U字工事のような強いなまりで話すのは、お年寄りくらいになったとも感じている。
しかし、栃木に帰るとやはり特有のなまりは残っていると感じるので、日光や那須などに旅行をするとネイティブな栃木弁にふれることができるはず。この無アクセントの方言は影響力が高く、しばらく会話をしていると次第に自分のイントネーションがおかしくなってくることがある。
都会育ちの甥っ子が実家に遊びに来ると、なまりがうつることがあった。たった数日でも、ネイティブスピーカーとともに過ごすことで、次第と栃木弁のなまりになっていくようだ。もちろん、家に帰るころにはもとに戻るのだが、本人は気付かないほど自然になまり言葉を発していた。
各地にはさまざまな方言があり、それぞれのお国訛りや方言と知らずに使っている言葉があることだろう。出身地が異なる人と出会ったときには、こうしたネタをつかみにすると盛り上がるかもしれない。