江戸時代に遊郭が設置され繁栄した吉原。その舞台裏を覗きつつ、遊女の実像や当時の大衆文化に迫る連載。
■階段の向きが逆
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写真を拡大 図1『魁浪花梅枝』(東里山人著、文化14)

 図1の右側の、暖簾のかかっているところが妓楼の入口である。
 暖簾をくぐってなかにはいると、土間になっているのがわかろう。
 おりしも、遊女が客の見送りにやってきた。
「また、おいでなんしよ」
 などと言って、送り出す。
土間に立って腰を折っているのは若い者である。客の履物をそろえて土間に置き、
「へい、また、お越しくださいませ」
 などと、お愛想を言っているのであろう。

 図1を見て、すぐに気づき、奇異に感じるのは二階に通じる階段であろう。逆向きに取り付けられている。
 だが、これは絵師の描き間違いではなく、吉原の妓楼に共通する階段の取り付け方だった。次の図2でも、階段は逆向きに取り付けられているのがわかる。

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写真を拡大 図2『昔唄花街始』(式亭三馬著)

 では、何故、こんな奇異な取り付け方をするのだろうか。
 おそらく、楼主の居場所である内所から、階段を昇り降りする人の姿が見えるようにするためと思われる。

 図2は、妓楼の内側から入口を見通した光景である。三浦屋と染められた暖簾の掛かっているところが入口。
 入口をはいると土間だが、その土間は台所に通じていることがわかる。
 客が暖簾をくぐって土間にはいると、すぐに台所と、忙し気に立ち働いている料理人や下女の姿が見えたのである。

 ■妓楼の台所は大忙し!

 現代の風俗店でいえば、入口をはいると、まず台所があり、そこで従業員のまかないを作っており、煮炊きをする湯気や匂いが濃厚に立ち込めていることになろうか。客にそんな舞台裏の光景を見せるなど、現代ではとうてい考えられない。

 だが、一階に台所があり、客に丸見えなのは、吉原の妓楼に共通する構造だった。

大見世ともなると、遊女と各種の奉公人など、その人数は百人前後にもなった。惣菜は粗末とはいえ、日々のまかない料理の量は膨大だった。

 さらに、客に出す料理もある。酒の燗もしなければならない。

 妓楼の台所は多忙だった。

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写真を拡大 図3『春の文かしくの草紙』(山東京山著、嘉永6年)

 ただし、宴席に出す豪華な料理は、台屋と呼ばれる仕出料理屋から取り寄せるのが普通だった。
 図3に、台屋の若い者が妓楼に料理を届けにきたところが描かれている。
 第9回『深夜、宴席の残飯をあさる遊女の切実さ』の図2に、台屋の厨房が描かれていた。こうした厨房で作られた料理が、妓楼に届けられたのである。

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