東京・足立区鹿浜。この「陸の孤島」とも揶揄される場所に、行列が絶えない焼肉屋がある。
平日は、17時の開店2時間前、早い日は3時間前から行列ができることも。お客さんのお目当ては新鮮なホルモンと肉だ。その焼肉屋「スタミナ苑」の顔・豊島雅信氏が、著書『行列日本一スタミナ苑の繁盛哲学』の中で、45年こだわり続けてきたホルモンへの思いを語る。【関連記事:行列日本一の焼肉屋が予約を取らないシンプルな理由】■昔のお客はまだ温かい生レバーを食べていた
「温かい生レバー」を普通に食べていた時代があった!の画像はこちら >>
 

 僕は昔からホルモンが好きだった。小さい頃から食べていたからね。世の中で一番うまい食べ物はホルモンだって今でも思ってる。

 煮込みって料理は家庭では一般的じゃないかもしれないね。でも、うちは肉屋だし身近にあった。おやつなんて言葉もない時代だったけど、おふくろが作ってる最中に横から食べちゃうくらい好きだった。小さい頃は親の見よう見まねで煮込みを作ったこともあったな。

 スタミナ苑から車で10分もかからないところに、父親が働いていた食肉処理場があった。小学校の低学年の頃からついていってセリを見ていたよ。

 昔のホルモンの仕入れってのがまた変わっていた。なんせ食肉処理場に肉屋が自分で取りに行くんだから。

 内臓がテーブルにズラーッと並んでて、おろしたてのレバーはまだビクビク動いて、湯気が立ってた。新鮮な肉と内臓が昔は簡単に手に入ったんだ。それを店に持ち帰ってさばいてすぐに提供する。当時はランチ営業をしていたから、タクシー運転手が仕事明けに店に来て、仕入れたてのまだあったかいレバーを頬張ってたよ。

 大らかな時代だったね。狂牛病以降は脳髄の検査があるから、勝手に立ち入ることはできなくなったんだけどさ。

 ■「放るもん」はどう手に入れるか。

 ホルモンは闇市の時代からずっと続く伝統的な食材だ。昔は「放るもん=ホルモン」が語源って言われてるように、日本ではほとんど食べられることがなかった。でも、戦後は食料がないし、なんでも売られていた時代だった。

食うもんがなかったら、食べるしかないだろう。

「牛肉が嫌い」っていう年寄りはいまでも多い。理由を聞くと、 「牛肉は臭いから」って言う。今の人はあまりわからないかもしれないけど、昔は家畜用の牛を潰して食っていたことがあった。処理技術も発達してなかったし、そりゃあ臭いよ。馬のサラブレッドも硬くて肉は食えたもんじゃない。

 最近の肉は個体識別番号がついているから、どこで生まれて、どこで育てられたかってところまで全部わかる。でもね、実はホルモンだけは何産かわからない。ドバーッと一斉にバラして、内臓は一緒くたにしちゃうから、どこのもんだかわからないんだ。

 狂牛病以降、内臓は問屋を通さないと絶対に手に入らない仕組みになった。実は牛の内臓ってなかなか手に入らないんだ。

 それは供給量が決まっているから。

ホルモンだけ欲しいと思ってもさ、牛をしめないと内臓は出てこないだろ。つまり正肉の供給量に左右されるから、簡単には手に入らないんだ。質のいいものならなおさらだね。付き合いのない新参者が欲しいといってもまず分けてもらえない。

■問屋からホルモンが届くのが遅くなった。

 問屋の仕事はいいものを用意することだ。僕の仕事は、いいホルモンをお客に提供すること。そのためには長い年月をかけて築いた信頼関係が生きるんだ。
 以前はホルモンをしめたその日に届けてくれたけど、今は狂牛病の検査があるから、翌日じゃないと届かない。

 夕方の5時に内臓が来る。その日のうちに仕込みをしないと、翌日の営業で新鮮な内臓をお客に提供することができないだろ。だから僕は深夜に仕込みをするんだ。

 例えば、今仕込んでいるホルモンは、新鮮だからきれいなピンク色をしている。これが時間が経つと、 だんだんドドメ色になっていく。 だからすぐに処理しなくちゃいけない。

 お客さんを入れる前は、別にやることがあるし、内臓の処理にはどれくらいの時間がかかるかわからない。

 だから僕は夜、営業が終わった後にじっくりと仕込みをするんだ。

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