キーワードで振り返る平成30年史 第21回。■そう言えば「師走」という言葉を耳にしなくなった
「年末年始」あれだけ昔はワクワクしたのに…喪失感の正体の画像はこちら >>
 

 年末年始のスペシャルな感じがたまらなく好きだった。

「だった」と過去形にしたが、今でも好きは好きなのだ。ただなんというか自分自身が年をとったせいもあるのかもしれないが、どうにも今の年末年始には少し前までのようなカタルシスを感じることがなくなってしまった。「だ」ではなく「だった」を選んだのはそうした理由による。

 この稿は平成史をテーマにしたものだが、学術論文ではなくあくまでもエッセイなのだから、これだけをしんみりと綴るのも間違ってはいない。しかし「史」の文字がつく以上、何らかの分析とアプローチはなされてもいい。そう思ってこの不思議な違和感(白い白馬的な語彙にはなるが、ただの違和感ではなく不思議な違和感としか言いようがないのでそのままで)の正体を突き詰めてみたい。

 

 まずかつて私が年末年始に感じていた特別感の正体を露にしてみよう。これは一言で言えば大団円とリスタートの感覚だった。それも一億の日本人皆が一斉にそこに向かいそこから再出発するような。

 そういえば以前12月は師走と呼ばれた。いや、いまも12月は師走に違いないのだが、巷で「師走」という言葉を耳にする機会はほとんどなくなった。師走の語源については諸説あるが、巷間よく言われたのは「(本来は落ち着いているような)師、先生ですら走り回らねばならぬほど忙しい」というもの。

その主な理由と考えられたのが金策。その昔、年末は年度末とイコールで、この期に精算の必要があった。年末年始を舞台にした落語や講談などでは借金取りやそれに追われる庶民が描かれているものも少なくない。

 そうした落語や講談で借金取りに追われる庶民は一方で金をかき集める。借金精算の目的もさることながら、彼らの多くが口にしたのが「正月の餅代」なる言葉。彼らはなぜそこまでして餅代を稼がねばならなかったのか。そうまでして食べなければならぬほど餅が好きだったのか。いやそうではない。満年齢ではなく数え年であった頃、正月は誰もが平等に一つ年をとる重要なアニバーサリーデーだった。故に特別な祝い膳が必要だったのだ。

■年末年始のリセット感

 とは言っても既に昭和の段階から人々はもっぱら満年齢を用いていた。にもかかわらず、田舎や上流家庭には「お年取り」なる家庭行事が存在し、それを迎えるために家族ときには一族が宗家に揃ったものだった。

たった一日、いや一瞬を境にすべてが生まれ変わるような感覚は神道の禊ぎあたりをルーツにしているのかもしれない。年さえ明けてしまえばすべてが許されるような、旧年中にこしらえた借金はチャラになり、犯した罪は赦され、なかったコトにしたかったことがなかったコトにされ……。まるでゲームのリセットボタン、パソコンの強制終了のような力が確かに年末年始にはあった。

 昭和40年代から50年代、テレビも間違いなくそうした年末年始感に大いに影響を与えていた。12月に入ると今で言うコメンテーターなどは忠臣蔵、赤穂浪士系の話題を口にするようになり、実際に赤穂浪士を描いたドラマや映画の放送がなされたものだ。

 続いてはクリスマス。当時のドラマは3ヶ月スパンではなく1年スパン。そのため現実の季節と劇中の季節をリンクさせるものも少なくなかった。子供向けの特撮番組などではこの時期は必ずクリスマスをモチーフにした怪獣怪人が登場したものだ。歌謡曲も大いに年末を盛り上げた。年末になると一連の音楽賞が話題になり予想され放送され発表される。単独で今も続くレコード大賞を放送するTBSを除く民放各局持ち回りで放送した放送音楽プロデューサー連盟主催の日本歌謡大賞を皮切りに、これも現在も続いているがかつては賞形式だったフジテレビ系列のFNS歌謡祭、名前がややこしい日本有線大賞と全日本有線放送大賞、日本レコード大賞で大団円を迎えるまでの一ヶ月は音楽業界においても、巷の音楽好きにとっても特別な期間だった。

さらに言えばそのレコード大賞のあとはNHK紅白歌合戦が待っている。かつて紅白歌合戦は21時放送開始。多くのその年に台頭し活躍した大物たちがレコ大会場であった帝劇や武道館から紅白の会場であるNHKホールへのはしごを行った。

 こうした流れは昭和末期にロック系やニューミュージック系のミュージシャンの台頭により賞の権威が薄れ揺らぐと共になくなっていったのだが、決定打となったのは平成元年に紅白歌合戦が二部化しレコ大の放送時間と重なってしまいパイを取り合う形になったことだろう。そうした流れの中、平成二年にはFNS歌謡祭が賞形式から現在に続く歌謡フェス形式に移行、平成六年には四半世紀を前にして日本歌謡大賞が開催中止、全日本有線放送大賞も平成十二年の開催をもって歴史を閉じる。

 ■バラエティや人気映画の愉しみ

 最も音楽番組がすべてではない。普段は見られないような長時間バラエティや人気映画の放送も年末年始のテレビの楽しみだった。普段は新聞のテレビ欄で間に合わせていた人たちもこの時期だけは専門雑誌を購入する。老舗の週刊TVガイドをはじめ、大型の判型で差別化を果たしFMの曲目リストが若者の人気を集めたTV LIFE(テレビライフ)など複数のテレビ雑誌が書店に平積みされる。中にはこれらを複数種類買い揃える猛者もいた。昭和末期に家庭用ビデオが庶民にも手が届く価格になり、特にVHS方式のビデオカセットテープレコーダーが一気に普及すると、正月特番を録画しようと大量のビデオテープを購入する人々も。当時流行り始めていたディスカウントストアはそうした人たちの熱気にあふれていた。

先述のテレビ雑誌も彼らのニーズに応えるべく録画した番組用のレーベルを付録に付けたり本誌に折込み、これもまた人気に輪をかけた。

 

 しかしそうしたTV番組の特別感もまた消失していった。そもそも長時間バラエティ自体まるで珍しくなくなった。最近はもっぱら劇場と称される映画館に観に行けなかった映画にしても平成初期にはレンタルビデオで見ることができるようになった。21世紀に入るとDVDが普及。より画質の良いDVDでの視聴も可能になる。

 そして今やネット配信の時代だ。ネットと言えば放送チャネルの多様化も大きい。かつては地上波のみだったテレビ中継も、昭和末期に始まったBS放送は当初は受信困難地域の居住者と一部の裕福な人だけが視聴の対象だったが、平成二年に民放のBS放送局日本衛星放送がWOWOWの放送を開始したり、平成六年のサッカー、ワールドカップアメリカ大会をNHKがBSで全試合中継(既に平成二年のイタリア大会からNHK-BSでの全試合放送は行われていたが当時はまだ日本における海外サッカー人気に火がついていなかった)などを契機に一気に普及。平成八年にパーフェクTV、翌平成九年にはディレクTV放送を開始したCSも当初はチューナー、アンテナの設置等が高価であったことから普及率は上がらなかったが、平成10年にライバル局同士であった両者が合併すると選択できるチャンネルの多さと多様さが魅力となり、庶民レベルにも普及するようになる。21世紀に入るとケーブルテレビの利用やブロードバンド接続によるネットでの動画鑑賞なども広まり選択肢の多様化は極まった。年末年始の地上波放送にかつてのような特別感がなくなったのも当然のことだろう。

 実社会においてはコンビニの普及と巨大スーパーチェーンの台頭が大きい。昭和末期でも年末の買い込みは存在した。なぜなら年末のうちに食料品等買っておかねばひもじい正月を迎えねばならなかったから。当時は三が日はもちろん大晦日ですら営業していない店が多かった。気の早い店になると年末最後の金曜日で店を閉めていたものだ。平成末期の今日、そんなことをしているのはお役所か個人商店くらいのものだろう。携帯メールの普及により年賀状の役目も小さくなった。かつて人気女性アイドルトリオ、キャンディーズは「おせちもいいけどカレーもね」と言ったものだが、今や元旦から簡単にカレーは食べられる。餅だってかつては冬にならないと入手できなかったものだが、今や年中スーパーに置かれている。杵や臼を使った餅つきはまだイベントなどで見ることができるが、電気餅つき機を見る機会はめっきり減った。

■ハロウィンの罪

 ハロウィンの普及も年末年始の特別感を喪失させた大きな要因だろう。ハロウィンでは早すぎる。

さすがのパリピ(パーティーピープル)たちも、ハロウィンから正月までテンションを継続することは難しい。クリスマスがハロウィンに取って代わられたことは、期間としての年末年始の高揚感にはマイナスだったのではないか。

 

 初詣と称しながら、多くの人が正月にしか足を運ばず、二度目、三度目の詣でなど存在しなかった神社への参拝もパワースポットブームの影響もあって日常的なものとなった。正月くらいにしか見られなかった寄席などのネタ番組も、お笑いブーム以降、日常的に視聴できるようになった。演芸番組と言えば海老一染之助・染太郎のお二人も鬼籍に入られてしまった。
もはや元日はおろか元旦であっても寝っ転がることのできる舗装路は殆ど見られない。

 核家族はおろか単一世帯の増加で親戚が集まる風景もあまり見られなくなった。忘年会はまだ盛んに行われているようだが新年会は減っているような気もする。

 あの特別な感覚、不思議でワクワクするような気忙しく、それでいてそこはかとなく寂しく、されどドキドキするような感覚を再び味わえるときは来るのだろうか。ひょっとすると、そのときは案外近いのかもしれない。もうすぐ平成が終わる。元号の切替に際して10連休が予定されているという。もしかしたらそのときは久々に一億の日本人が同時にリセットするような感覚を味わえるかもしれない。それが経済にとってプラスになるとは限らないけれど。

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