日本マクドナルドでは、社員のために、毎年1000万円の金を捨てている。といっても、なにも溝に捨てているのではない。
社員とその家族に万一のことがあったときにそなえて、東京の荻窪の衛生病院と大阪の警察病院に合計1000万円を払って、ベッドを確保しているのだ。
社員とその家族に、もしものことがあっても、ただちに手術ができる態勢を整えている。
だから、日曜日に倒れて、病院をタライまわしにされているうちに死ぬような不安は、わが社の社員に関してはない。
昨年も一昨年も、社員で倒れてかつぎこまれたものはいない。だから、年間1000万円、4年間で4000万円を丸損している計算だが、そのために社員が安心して働けるのであれば、結局は会社にとってもプラスになる。
全社員とその家族には、いつでもこのベッドが使えるように、カードを渡してある。
そうやって社員の万一にそなえている会社は、日本にも、まだたくさんはない。
社員のために金を捨てることを惜しんではならない。
■3月に“奥様ボーナス”を出す私は、社員の奥さんの誕生日には、花屋から花束を届けさせることにしている。
花束といっても、何万円もする高価なものではない。
それでも、奥さん方からは、とても喜んでもらっている。
「主人が忘れている私の誕生日を社長さんに覚えていただいて、感謝しています」
そんな内容の礼状を、何通も受け取った。
日本マクドナルドでは、盆と暮れのボーナスのほかに、3月にもボーナスを出している。これを“決算ボーナス”といっているが、この決算ボーナスは社員にではなく、社員の奥さんに渡すことにしている。独身者は本人に渡すが、妻帯者は奥さんに渡す。
そのために、社員は決算ボーナスを“奥様ボーナス”と呼んでいる。奥さん名義の口座を会社に登録してもらっておいて、そこにボーナスを振り込む。
なぜ、社員の奥さんにボーナスを出すかというと、内助の功を金銭的に認めてあげたいと思うからである。
ボーナスを奥さんの口座に振り込んでから、奥さんには手紙を送る。
『会社が今日、これだけ儲かって繁盛しているのも、奥さんのおかげです。会社で働いているのはあなたのご主人ですが、その何十パーセントかは、奥さんの力によるものだと思っています。
そういった意味の内容の手紙を出す。
この『奥様ボーナス』も、なかなか評判がいい。
「生まれて初めてボーナスをいただきました。ありがとうございます」
「ほしかったメガネを買いました」
「ボーナスで子供の服を買いました」
そんな礼状がずいぶんくる。
私は、日本の会社はボーナスの半分は奥さんに出すべきだ、と思っている。
旦那が会社で十分に能力を発揮して働くことができるのは、家を奥さんが守っているからである。したがって、奥さんもボーナスを取る権利がある。
欧米諸国では、夫婦は一体で、どこへ出かけるにしても一緒である。夫婦が社会の核になっている。ところが、日本では、主人だけが核になっている。奥さんと子供はつけたしでしかない。
奥さんだって、社会の核だ、50パーセントなんだ、ということを、もっと意識づけなければならない。
■社員の奥さんに頼むこと私は、毎年1回パーティを一流のホテルで開き、社員と夫婦同伴で招くことにしている。その席で、かならず、私は奥さんにたのむことにしている。
「奥さん、旦那さんたちは実によくやっています。私から奥さんにお願いしたいことはひとつしかありません。ご主人の健康管理です。私はご主人を世界の一流ビジネスマンに育てていくつもりです。しかし、ご主人の健康管理までは手が届きません。ですから、健康管理だけはよろしくお願いします」
そうたのむのだ。
社員の奥さんたちは、そういうと、張り切る。
主人と私は一体なのだ、という気持ちで、張り切って、やります、といってくれる。
日本人は口では偉そうに「夫婦は一体」などと一体感を強調するが、実行はしない。私はそれを実行している。
夫婦が社会の単位である、と考えているから、社員の奥さんを社員同様に大切にする。
社員にしても、自分の女房を大切にしてもらえば、悪い気がするはずはない。
日本の会社は、旦那ばかり温泉に連れて行って、芸者をあげて騒いでいる。ところが、マクドナルドは1年に1回、私たち女房を呼んでパーティをやってくれる。じつに素晴らしい。
奥さんたちは、そういって喜んでくれる。
私は、社員の誕生日はその人の公休日にしている。つまり、社員は、自分の誕生日には、会社に気がねをすることなく、堂々と休んで、家族と誕生祝いができるのである。
誕生日は社員にとって、自分の祭日であり、安息日でもある。
そうやって、自分の誕生日を家族と心ゆくまで祝って、英気を養い、翌日からの新しい戦いに備えてもらいたいと思う。
また、私は正月には全社員にお年玉を出す。
元日に顔を合わせて「新年おめでとう」といっても、ただ「おめでとう」というのでは意味がない。
お年玉が出る。少額ではあっても、お年玉が出ると、新年になって、おめでたいなァ、という実感がわく。
心から「新年おめでとう」といい、新しい気持ちで一年を働くはずみをつける役に立てば、と思って、私はお年玉を出す。
ほかにも5月5日の端午の節句には、男子社員にお祝い金を出す。
男子社員にだけ出してはまずいので、3月3日の桃の節句には、女子社員と社員の奥さんに、お祝金を出す。
そうやって、私は会社の人の和を大切にしていっている。
そして、私は、社員の奥さんの誕生日には花束を贈るが、社員の誕生日には、5千円をプレゼントすることにしている。
子供のいる社員には、桃の節句には女の子を持っている者に5000円、男の子のいる社員には端午の節句に5000円をプレゼントしている。
あまりほしくない品物をもらうよりは、5000円のほうを人間は喜ぶものだ。私は同じ値段の品物ならば、5000円の現金の方が価値がある、と思う。
品物には使い道はないが、5000円はどんな使い方でもできる。そこに、五千円の現金の価値がある。
奥さんの誕生日に花束を贈り、社員の誕生日や節句に5000円をプレゼントすると、浪花節だという人がいる。
私は浪花節でくすぐることも、日本人がそれを期待しているのだから、やるべきだと思う。
私のことをみんなは、あの社長はガリガリの合理主義者だ、と思っている。そこで、私は、まるで正反対の浪花節でいくのだ。
浪花節は日本ではもっとも効果的な人心収攬術で、藤田はそれを利用しているだけ、と悪口をいう人もいるが、相手が喜べばいい、と私は思う。
(『金持ちだけが持つ超発想』より)