マクドナルド、吉野家など大手外食チェーンが業績不振に悩む中、「熱烈中華食堂 日高屋」をチェーン展開する中堅外食・ハイデイ日高の業績が好調だ。


 同社が10月11日に発表した13年3-8月期決算報告によると、売上高は前年同期比8.7%増の158億4000万円、営業利益は同1.6%増の20億5000万円の増収増益。

これで14年2月期の通期決算は、11期連続の増益達成が確実となった。

 JR駅前繁華街への出店と、勤め帰りなどに軽く酒を飲むサラリーマン層の「チョイ飲み」需要をうまく吸収しているのが連続増収増益要因だ。

 日高屋の特徴は「安さと気軽さ」。例えば、看板メニューの中華そば」は390円、人気メニューの餃子は200円、生ビールも300円という安さ。餃子をつまみにビールを一杯飲んで、ラーメンで締めても1000円にもならないのだ。さらに、ちょっと小腹を満たしたいときにはニラレバ炒め490円、チャーハン420円などの安価な食事メニューも揃っている。これがサラリーマンたちを引きつけているといえる。

 8月末の店舗数は333店(すべて直営)。規模のメリットでは大手に劣る同社が、大手の業績不振を尻目に、どうして好業績を続けていられるのだろうか? そこには同業他社が追随できない独自のビジネスモデルがあった。

●郊外化ブームにあえて逆行

 転職を繰り返していた創業者で会長の神田正氏が一念発起し、日高屋の前身である来来軒を開業したのは1973年、32歳の時だった。埼玉県大宮市(現さいたま市大宮区)の繁華街に持った自分の城は、たった5坪の小さな中華食堂だった。しかし、繁華街という立地に恵まれ、出前注文も多く、店は繁盛した。

2年後には2号店の大宮南銀座店も開業、こちらも繁盛した。

 2店の繁盛ぶりを見た神田氏は「これからはチェーン店の時代だ」と確信、その時点で現在の駅前繁華街チェーン展開の構想を抱いた。

 ところが世相的には、車社会化の波に乗った郊外のファミレス(ファミリーレストラン)がブームとなり、外食産業の主役として台頭していた。銀行に融資を頼むと「郊外のファミレス時代に、駅前の中華食堂チェーンなんて時代遅れ」と、チェーン化計画に見向きもしてくれなかった。しかし夢をあきらめきれない神田氏は、自己資金でこつこつと来来軒を1軒ずつ増やしていった。

 神田氏の直感は当たっていた。80年代に入るとマクドナルド、吉野家などのファストフード店が続々と市街地に進出、駅前繁華街が外食産業の主戦場になっていった。

 直感は的中したが、喜んではいられなかった。これらチェーン店の繁盛が、来来軒の営業圧迫要因になったからだ。ハンバーガーや牛丼より値段が高いラーメンが主体の来来軒は、ファストフード店との価格競争に太刀打ちできなかった。それまで来来軒を贔屓にしていた客がファストフード店へ流れていき、先行きが見えてきた。

 起死回生を図ろうと焦った神田氏が94年に立ち上げたのが、調理師不要の新業態「ラーメン館」だった。

珍しさ受けを狙った奇策のような業態だった。1店舗内で札幌味噌ラーメン、九州豚骨ラーメンなど全国のご当地ラーメン約10種を480~600円で販売。麺は太麺、細麺など4種類を用意して使い分け、スープのベースは同じものにして、タレで変化を付けた。日本中のラーメンが味わえるという趣向が受け、行列のできるラーメン店になった。これに味を占めた神田氏はラーメン館の出店を拡大、99年9月には日本証券業協会(現ジャスダック)に店頭公開まで果たした。

 ところが、皮肉にも公開直後からラーメン館は不振に陥った。ラーメン館の既存店売上高は00年2月期に前年同期比0.4%減、01年2月期には同3.8%減、02年2月期には同2.3%減と減り続けた。ほかの業態の売上に助けられ、会社全体の売上高は辛うじて維持できたものの、02年2月期には営業利益は11.4%減、03年2月期には18.7%減に落ち込んだ。当時について神田氏は、「不振の原因は、ご当地ラーメンといっても、所詮はまがいものだったからだ。最初は珍しさで客が集まったが、だんだん飽きられ、業績が落ちてしまった」(「日経レストラン」<日経BP社/09年9月号>)と振り返る。

 競合相手への認識も甘かった。デフレを反映し、大手ファストフードチェーンはこぞって主力商品を値下げしていた。

マクドナルドは00年に130円のハンバーガーを平日65円に、吉野家は01年に牛丼並盛400円を280円に。大手ラーメンチェーンの幸楽苑も390円でラーメンを出していた。それなのに日高屋のラーメン館は一番安くて480円。これでは繁盛するわけがなかった。

●日高屋を生んだ逆転の発想

 そんな失敗の中で生まれたのが、同社ビジネスモデルの発端となった「逆転の発想」だった。神田氏は、「ファストフードの一番の強みは安さ。したがってラーメンの値段がファストフード並になれば、ファストフードの客が来来軒に流れ込んでくる。そう思った」(10年7月23日付「現代ビジネス」記事)と神田は言う。

 問題は、家賃の高い駅前繁華街出店で、下げられないラーメンの値段をいかにして下げるかだった。この問題を解決したのが、02年から出店を始めた現在の日高屋だった。ラーメンを主体にしつつ、ビールを加え、そのつまみとなる餃子、炒め物などの簡単な料理で構成したメニューの中華料理業態が同社を建て直した。

 02年、東京・新宿に日高屋1号店を開店。

餃子をつまみにビールを飲み、ラーメンで締めて1000円以下という価格設定が受け、店は大いにはやった。神田はラーメン館と他の業態約30店を一気に業態転換し、これらを含めて1年で日高屋を約50店出店した。日高屋への業態転換が終了した04年には、営業利益の伸び率は前年同期比64.8%、売上高も102億円となり、初の100億円超えを達成。その後も業績が順調に伸び、05年には東証第二部に、06年には一部に上場を果たした。09年2月期には過去最高の38店を出店、売上高は200億円を超えた。

「昭和の時代は、駅前にまだラーメンやおでんの屋台があって、勤め帰りのサラリーマンでいつも満員だった。それが平成の時代に入ると、衛生問題で屋台が営業できなくなった。自然とうちがその代わりを果たすようになった。これは追い風になった(前出の「日経レストラン」記事)」と神田は回想する。

●異色の出店戦略

 日高屋好調の要因としてよく挙げられるのが、アルコール売上依存度の高さだ。その比率は15%。ラーメン店としても中華料理店としても異例の高さに上る。

 同社は駅前繁華街に出店しているので家賃が高い。坪単価は平均5万円で、40坪が平均的な広さ。したがって毎月200万円の家賃が固定費としてのしかかるため、ラーメンと簡単な中華料理だけの商売では家賃と人件費をカバーできない。だが「粗利の高いアルコール類が、家賃と人件費を吸収してくれる」(同社関係者)というわけだ。

 もう1つ、日高屋の業態は簡単なようで真似をするのが意外に難しい。

 まず居酒屋は、そもそも「勤め帰りにチョイ飲み」したい客層向けの業態ではない。アルコール類がビールとハイボールなどだけではとても客の満足を得られないし、つまみも最低20種類くらいの品揃えは不可欠だ。だからパート店員だけでは賄えず、調理師が必要になる。したがって値段を安くできない。一方、値段の安いファストフードは食べ物主体の業態なので、アルコールを置いてもほとんど売れない。

 つまり、日高屋の業態は、居酒屋とファストフードの中間的な業態なのだ。この珍しい業態が、結果的に露店規制で消えた屋台の代わりになったといえる。

 日高屋は主力メニューのラーメンで「こだわりの味」を追求しないのも特徴だ。「客の60%程度がおいしいと思ってくれればそれで良い」と神田氏は言う。「行列のできるラーメン店」のような「そこにしかない味」は通が求める味であって、不特定多数の客が繰り返し食べに来てくれる味ではないからだ。

 経営コンサルタントは、日高屋のビジネスモデルを、業界内で競争しながら協調する典型的な「コーペティションモデル」だと、次のように解説する。特徴は2つある。

 1つ目は「小判鮫出店」戦略。日高屋は吉野家、マクドナルド、庄やなど、先に出店している大手外食チェーン店の近くを選んで出店する。これら大手チェーン店にはそれぞれ固定客がついているわけだが、いくら吉野家やマクドナルドのファンでも、毎日牛丼やハンバーガーで済ませる人は珍しい。したがって、大手外食チェーン店がすでに出店している中へ同社が進出することで「ハンバーガー、牛丼、あしたは日高屋」(日高屋のテレビCM)の行動パターンを確立しているようだ。

 大手チェーン店の近くに店を出せば、その固定客がおのずと日高屋に流れてくるというわけだ。

 小判鮫出店には、おまけもある。大手チェーン店は駅の乗降客数、人の流れ、客層、家賃相場など綿密な立地条件調査をした結果に基づき出店してくる。つまり、その駅前繁華街への出店が採算に乗るか否かを、大手チェーンがすでに調査を済ませているわけだ。だから、日高屋は自社でなんの経費負担もせずに、採算の取れる立地を見つけられる。

 2つ目は競合による集客だ。横浜中華街や秋葉原電気街には同業者が集積している。そして、地域内で同業者が激しい競争を繰り広げることで地域に活気を生み出し、それが魅力となって他地域からも客がたくさん集まってくる。

 日高屋の出店もそれに似たようなもので、小判鮫出店の結果、「あの通りに行けば牛丼もハンバーガーもラーメンも食べられる」フードコートのような集客構造を日高屋がつくり出しているという。

●「600店」への課題

 日高屋の当面の出店目標は600店。現在の倍近くという高い目標だ。神田氏は「南関東の山手線、総武線、常磐線、東海道線の各駅に出店すれば楽に達成できる目標だ。JRの駅を降りたら、必ず日高屋があるようにしたい」(「週刊東洋経済」<東洋経済新報社/08年12月12日号>)と意気軒高だ。

 だが、この目標達成には、いくつかの不安要素が内在している。

 第1の不安要素が集客力だ。集客の切り札だった生ビールの値下げが限界に達しているのだ。日高屋が成長を続けてきた最大要因が「チョイ飲み」のビール類とハイボール。11年夏に生ビールの値段を1杯390円から350円へ、12年夏には350円から300円と、客数が伸び悩むたびに値下げでテコ入れしてきた。だが「これ以上、値下げを続けるのは難しい」(同社関係者)状況にある。300円以下では採算割れになる上、飲酒目的の客が増えると滞在時間が延び、客回転率が落ちるからだ。この対策が、日高屋にとっては頭の痛いところだ。

 第2の不安要素がコンビニの外食浸食だ。コンビニは店内で食事ができるイートインコーナーを増やしたり、100円台の低価格入れたてコーヒーを販売するなど、ファミレスやファストフードなどから着実に客を奪っている。日高屋が主力メニューとするラーメンでも、有名ラーメン店とPB(自主企画)商品の拡充に励んでいる。駅前繁華街の出店も日高屋と同じだ。コンビニからいかにして客を守るか、今のところ妙策はない。

 第3の不安要素が食の安全性だ。同社は食材の調達コストを下げるため、ネギ、人参など中国産の野菜類を多用している。これを知った客が不安を覚えて日高屋離れをする例が少なくない。業界関係者は「中国産食材の使用をやめないと、日高屋成長のアキレス腱になる可能性がある」と心配する。

 こうした課題を乗り越え、日高屋はますます成長し続けていくのか? その行方に注目が集まっている。 
(文=福井晋/フリーライター)

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