北朝鮮の非核化をめぐる米朝間の交渉継続を決めた電撃的な米朝首脳会談から1週間以上が経過し、両国の実務者協議の再開に向けて、北朝鮮側は非核化交渉の実務担当者として金明吉(キム・ミョンギル)前駐ベトナム大使を充てる方針を米側に伝達したようだ。金氏は1990年代以降に核開発をめぐる対米交渉に携わってきた外交官で、米国のスティーブン・ビーガン北朝鮮担当特別代表の交渉相手となるとも伝えられている。
しかし、中国の最高権力者である習近平国家主席は、トランプ・金正恩会談やその後の実務者協議の動きを冷ややかに見ているのは間違いないだろう。なぜならば、習氏は米朝首脳会談の10日前に平壌を訪問し、2日間で2回の中朝首脳会談を行っていながら、金氏からトランプ氏との交渉経過を明かされていなかったとみられるからである。
習氏としては貿易戦争を戦っている米国を牽制し、中国の北朝鮮に対する存在感を誇示するために、大阪での20カ国地域(G20)首脳会議(サミット)での米中首脳会談の準備で忙しいなかにもかかわらず、国家主席としては13年ぶりにわざわざ北朝鮮を公式訪問した意味がなくなった。そのため、金氏に対しては怒り心頭のはずだ。米朝両国に裏をかかれ、中国は米朝交渉の仲介役として立場を失い、トランプ政権との交渉における「北朝鮮カード」を失ったことで、対米交渉に使えなくなってしまったからである。
中朝首脳会談が決裂実は、習氏が金氏から煮え湯を飲まされるような“裏切り”にあったのは、今回が初めてではない。この電撃的な米朝首脳の板門店会談10日前、6月20~21日に北朝鮮を公式訪問し、金正恩朝鮮労働党委員長と首脳会談などを行ったあと、中国側が用意した共同声明の案文をめぐって土壇場で決裂し、共同声明は発表できなかったのだ。
習氏の北朝鮮公式訪問は中国の最高指導者としては13年ぶり。前回の胡錦濤主席(当時)による北朝鮮訪問では両国首脳が「経済技術協力協定」に調印しており、中国側は今回の習氏の訪問が成功したことを示すため、事前に共同声明の発表で北朝鮮側と合意していたにもかかわらず、北朝鮮が約束を反古にしたのだ。
習氏と金氏は20日午後と21日午前中の計2回、首脳会談を行い、中国側は北朝鮮の非核化の進展を中心に話し合ったが、21日の2回目の首脳会談終了後、その共同声明の文言をめぐって両者の事務レベル協議が紛糾したのだ。
問題となったのは「(北)朝鮮は非核化に向けて、米国と忍耐強く対話」という部分で、北朝鮮側が「朝鮮半島全体の非核化」とするよう要求。
まず、米朝対話や北朝鮮の非核化をめぐって、中国側の案文では当初「(北)朝鮮は非核化に向け、米国と忍耐強く対話を続け、朝鮮半島の諸問題を解決」となっていたのに対して、北朝鮮側は非核化の範囲について、「朝鮮半島全体に広げるべきだ」と主張。さらに、北朝鮮は制裁問題でも「早期の解除を求めることで中朝両国は一致した」との文言を加えるように要求したのである。
これらの両国の対立については、両国の国営メディアの報道内容にも現れており、中国国営の中国中央テレビは20日、金氏が会談で「忍耐心を持って米国と対話を続け、朝鮮半島問題を解決していく」と発言し、習主席は北朝鮮の安全保障と発展を「力の及ぶ限り手助けする」と述べたと報じたが、朝鮮中央通信は言及していない。
また、同通信は金氏が制裁に関して「わが国は経済発展と住民の生活改善のために努力しており、外部環境が改善されることを希望している」と述べて制裁の解除を求めたが、中国メディアは金氏の発言を無視している。
北京の外交筋は「習氏は米中首脳会談の前に北朝鮮への影響力拡大を狙い、金氏は経済支援を求めるなど、両国は所詮、同床異夢であることが明らかになった」と指摘している。
さらに、習氏に対する金氏の最大の裏切りは、この時点で、金氏はトランプ氏から板門店での首脳会談を提案されていたのにもかかわらず、習氏に黙っていたことである。少なくとも、習氏が板門店会談の可能性を知っていたら、6月29日の大阪での米中首脳会談の場で、「俺は知っているのだぞ」とばかり米側の秘密を暴露し、トランプ氏の鼻を明かしていただろうことは想像に難くない。しかし、中国側が3度目の米朝首脳会談を知ったのは、その直前であり、しかもCNNなどの米メディアの報道だったのである。まさに、習近平の面目丸つぶれだ。
北朝鮮の「米国シフト」実は、3度目の米朝首脳会談は6月10日にトランプ氏に送られた金氏の親書で提案されていたのだから驚きだ。これを受けて、トランプ氏も金氏に親書を送り、G20終了後の韓国訪問中に板門店に立ち寄るので、ぜひ板門店で会おうと応じた。
トランプ氏は芝居っ気たっぷりに、6月29日の朝、「中国の習主席との会談を含むいくつかのとても大事な会談の後、私は日本を離れて韓国へと向かう。その間、もしも北朝鮮の金委員長がこれを見るならば、私は彼と国境のDMZ(非武装地帯)で会うだろう。ただ彼の手を握り、ハローと言うだけだ!」とツイッターで、つぶやいたのだ。
この時点で、スティーブン・ビーガン北朝鮮担当特別代表が前日に大阪からソウルへ先乗りし、北朝鮮の対米担当責任者の一人、崔善姫(チェ・ソンヒ)北朝鮮第一外務次官と板門店での米朝首脳会談についての念入りな最終調整を行ったのはほぼ間違いない。
この首脳会談の事実を知らされた習氏の心境はいかばかりであろうか。米中首脳会談で貿易戦争回避のための交渉継続で合意したものの、交渉の主導権はあくまでも米側が握っていることには変わりはない。しかも、これまでの対米交渉の切り札となっていた北朝鮮カードの効力はほとんどなくなったことで、習近平は国内的にも極めて厳しい立場に追い込まれていることは間違いない。
中国では7月下旬から、党長老と現役指導部が秋以降の重要な政治問題について非公式に話し合う「北戴河会議」が開催される。党内には米中貿易戦争の影響で中国経済が悪化していることに関して、習氏の責任を問う声が出ているとされるだけに、今後の米中貿易戦争の行方や金氏の「米国シフト」の動きが強まれば、北戴河会議が習氏追及の場と化し、習氏の政治生命にも影響する可能性もなくはないのである。
(文=相馬勝/ジャーナリスト)