日本でもっとも登録者数が多いYouTuberが、ISSEIさん(26歳)だ。その数は6760万人以上で、HikakinTVの1950万人を大きく上回る。
20歳で動画配信を始め、登録者が3000人しかいなかった時代から、どのやって「日本一」にたどり着いたのか。そして、動画の収益を何に使っているのか。ライターの池田鉄平さんが聞いた――。
■「数撃てば当たる」で見つけた独自の武器
「まずはSNSで有名になって、自分の力で仕事をつかみ取りたい」
俳優活動を経て、20歳のときに動画配信を始めたISSEI(いっせい)は、そう当時を振り返る。2019年8月、コロナ禍直前のタイミングで「YouTube登録者500万人」「TikTokフォロワー500万人」と紙に書き出し、自らに目標を課した。
「僕、妄想するのが好きなんです。『こんな未来になったら最高だな』って考えると、それが自分を突き動かす力になるんです」
最初の数カ月はコンテンツの方向性に迷ったが、結局「悩むくらいならやってみる」と決断。しゃべる動画から無言のショートネタ、検証やコメディまで、オールジャンルに挑戦した。やがて「表情やリアクションの面白さ」が視聴者の共感を呼び、自分の武器だと確信するようになった。
■「非言語の表現」が海外に響いた
初期のTikTok動画が10万再生を突破したことで手応えを得たISSEI。しかし伸びたのは日本ではなく、海外からの視聴だった。
「当時、日本で海外向けのショート動画を作ってる人はほとんどいなかった。
だからこそ『今ならチャンスだ』と思いました」
彼は早くからインドネシアやベトナムなど各国で撮影し、その文化や生活を動画にした。現地の人々からは「来てくれてありがとう!」という歓迎コメントが殺到し、再生数も大きく跳ねた。
「日本人が、外国人がアニメや寿司に熱狂している動画を見てうれしくなるのと同じ。自分たちの文化に興味を持ってくれる人への共感は、世界共通なんです」
こうして「ノンバーバル(非言語)表現」を武器に、ISSEIは国境を超えてフォロワーを増やしていった。
■「ボディーパズル」で世界的ブレイク
転機となったのは「ボディーパズル」という動画シリーズだ。画面上から自分の体のパーツが降ってきて、それに合わせて踊るという、ダンスと編集を組み合わせたユニークなコンテンツ。
「このシリーズが爆発的にバズって、1本で登録者が100万人増えることもありました。再生数は数千万回、中には8000万回を超えた動画も。X(旧Twitter)でも拡散されて、『ISSEI=あの自由に踊る人』と認識されるようになりました」
フォロワーは一気に200万人へ。しかし急成長の裏には、“伸びが止まる停滞期”もあった。再生数は半減し、「このまま埋もれてしまうのか」と焦りも感じたという。
「再生数が低迷した時期は正直しんどかったです。
でも、そこで諦めるんじゃなくて“動画の質をどう高めるか”を考えました」
彼が出した答えは、情報密度を極限まで高めることだった。
「検証動画や再現ネタをやりつつ、普通なら1企画1チャレンジのところを、僕は“1本に4つ詰め込む”ようにしました。視聴者が『お得感』を感じるようにする狙いです。構成も緻密にして、無駄なカットはすべて削りました」
その戦略が奏功し、半年間で500~600万人のフォロワー増を記録。SNSで世界的な存在感を確立した。
■お金にならない時期を耐え抜く
驚くべきは、この時点ではまだほとんど収益がなかったことだ。
「TikTokは当時、収益化の仕組みがなかったんです。だからいくらバズっても“1円も入らない”。『なんでお金にならないのにそんな頑張るの?』とよく言われました」
※ちなみに、TikTokでは2024年3月から「Creator Rewards Program」が本格導入され、1分以上のオリジナル動画の再生数に応じて報酬が支払われる仕組みが始まっている。
それでもISSEIが見ていたのは“未来”だった。
「目の前のお金よりも、将来の可能性を信じてました。『ここでやり切れば、必ず花が開く』と。
だから赤字覚悟でも走り続けたんです」
実際、アルバイトで得た収入はほとんど活動費に消えた。カメラやPCなど機材投資に数十万円単位をかけ、撮影に必要な小道具も惜しまず購入した。GUで働いたバイト代は、すべて未来への先行投資だった。
■たった3カ月で登録者数が約300倍に
その努力が形になったのがYouTubeだった。2021年末、登録者はわずか3390人。しかしわずか3カ月後の2022年3月には100万人を突破。ここから本格的に収益が生まれ始める。
「もちろん具体的な数字は言えないんですが、記事で『年収5億円』と書かれたこともあります。でも正直、それは盛りすぎです(笑)。実際はその半分以下。ただ、同世代の平均と比べれば十分すぎる収入をいただいています」
そう語るISSEIが選んだのは、贅沢や資産運用ではなかった。
「稼いだ一部を社会に還元する」という道だ。

「僕は会社を立ち上げていて、チームメンバーにもしっかり分配しています。動画ってひとりでやるには限界があるんです。だからこそチームに投資する。収入は“個人の成功報酬”ではなく、“事業の利益”という感覚です」
そしていま彼が最も力を注いでいるのが、収益の一部を活用した「現地主導型の支援プロジェクト」。舞台はアフリカ・ガーナ。そこには、単なる“支援”を超えた、新しい社会貢献のかたちがあった。
■東京ドーム32個分の電子ゴミ集積地
プロジェクトの拠点は、ガーナの首都アクラにある「アグボグブロシー」。
東京ドーム32個分に相当する広大な土地は、生ごみやプラスチックごみと混ざり合ったテレビやパソコン、携帯電話などの電子廃棄物で埋め尽くされていた。そのすぐそばには、廃材で組み立てられた家々が立ち並び、ごみの平野には家畜が放牧されている。
人々の暮らしは、この電子ゴミと切り離せない。廃材を燃やして再生可能な金属を取り出し、それを売ることで生活費を得ているのだ。焼き場からは黒煙がもうもうと立ち上り、プラスチックが溶ける異臭が辺りを覆う。
防毒マスクをしていても気分が悪くなるほどの環境である。
「動画で知ったときは衝撃でした。でも“本当に存在するのか”を確かめたくて、現地に行くことにしたんです」
初めて訪れたとき、空気の悪さは想像以上だった。マスク越しに喉が焼け、肺が痛む。目はしみ、吐き気が止まらない。その瞬間、数字や記事ではなく“命を削る現実”が突きつけられた。
■共創型プロジェクトも赤字覚悟でスタート
ISSEI氏が立ち上げたのは「SNS教育と収益循環プロジェクト」。現地の若者にスマートフォンの使い方や動画制作を教え、自らコンテンツを発信できるようにする。得られた収益は、個人報酬だけでなく地域や学校への支援にも循環させる仕組みだ。
「一方的に“与える”支援は依存を生むこともある。僕は、現地の人が“自分の手で変える”力を持てる環境をつくりたかったんです」
このプロジェクトは、ガーナで支援活動を続けるアーティスト・長坂真護氏の「MAGO CREATION」との協業で始まった。
一番の課題は距離にある。
オンライン中心のやり取りでは、撮影後に「ここが違う」と気づいても、その場で修正できない。
「構図やアングル、表情の出し方も、どうしても事後のフィードバックになってしまうんです」
だがそれすらも「成長の過程」と捉え、丁寧なアドバイスを重ねる。初期は「1年間は赤字覚悟」と決め、短期成果ではなく“育てること”を優先した。報酬も適正に支払うが、現地経済を壊さないようバランスを設計している。
■「手を差し伸べる」のではなく「手をつなぐ」
ISSEI氏が最も重視するのは、主体性だ。
「僕の役割は、“手を差し伸べる”ことじゃない。“手をつなぐ”ことです」
スマホ操作から光の使い方、リアクションの作り方まで現地の先生と連携し、日々の企画にアドバイスを送る。
あるとき「ケンタッキーを初めて食べる動画」で参加できなかった子どもから「なぜ私じゃないの?」と不満が出た。そこから「公平に参加できる仕組み」の大切さを学んだという。
このプロジェクトのゴールは収益の最大化ではない。現地の若者たちが「自分の手で未来を変える力」を実感することだ。
「僕が伝えたいのは、“君たちの行動が、この町を変える”というメッセージなんです」
月間100万再生を目標に掲げてはいるが、重視するのは短期の数字ではなく、彼らが“現地のヒーロー”になれるかどうか。
ISSEIは、自身の未来を「職業ヒーロー」と定義する。
「ヒカキンさんが“職業YouTuber”を広めたように、僕は“動画で人を救う職業”を確立したい。最終的には“ISSEIみたいになりたい”と思ってもらえることが一番うれしいです」
ガーナから、アフリカ全体へ。そして世界へ。彼の挑戦は始まったばかりだ。

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池田 鉄平(いけだ・てっぺい)

ライター・編集者

Jリーグ、国内、外資系のスポーツメーカー勤務を経て、ウェブメディアを中心に活動。音楽一家で育ち、アーティストとしてインディーズでアルバムリリースも経験。スポーツ、音楽、エンタメを中心に取材活動を行っている。

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(ライター・編集者 池田 鉄平)
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