ハンセン病家族訴訟 控訴へ」

 7月9日、朝日新聞は朝刊1面トップで、ハンセン病患者の隔離政策による家族への差別被害を認めて国に賠償を命じた熊本地裁判決について、政府が控訴を行うとの方針をいち早く報じた“スクープ記事”を放った。1面トップのスクープ記事は新聞記者にとって勲章ともいえるものだが、このスクープ記事は、日の目を見てから半日どころか数時間で、見るも無惨な“大誤報”となった。

 同日午前7時すぎには共同通信が、「ハンセン病家族訴訟で控訴断念」と、朝日新聞の報道と180度異なるニュース速報を打ち、NHKなど他メディアも同様の報道で続く。同9時前には安倍晋三首相自らが、「家族の苦労をこれ以上長引かせない」などとして控訴しない方針を表明。以後、全国的にこの日の“メインニュース”扱いとなっていったのである。

 この“大失態”を受け、朝日新聞は同日の夕刊1面トップで、「ハンセン病家族訴訟控訴せず」と、朝刊の記事から180度方向転換した記事を掲載。その脇に、「誤った記事おわびします」という見出しで、「朝日新聞は9日付朝刊で、複数の政府関係者への取材をもとに『控訴へ』と報じました。政府は最終的に控訴を断念し、安倍晋三首相が9日午前に表明しました。誤った記事を掲載したことをおわびします」とのお詫びとともに、上記の訂正記事を掲載したのであった。

“安倍政権による陰謀”?

 マスコミ業界からは、「1面トップで放った記事に対し、すぐに訂正を出すことになるなんて、考えただけでも死にたくなる事態。書いた記者や、原稿を通したデスクは処分を免れないだろう」(全国紙経済部中堅記者)と、同情の声が上がる。

 一方ネット上では、「安倍政権の陰謀」を指摘する声が少なくない。例えば憲法学者で九州大学法学部教授の南野森氏は自身のツイッターで、「もしかして朝日新聞だけがガセネタを摑まされた?鬼の首を取ったようにこれから選挙演説で安倍首相が朝日新聞攻撃を始めたりして?一面トップのスクープが誤報ということになれば、なかなかの失態だが、これが実は政権によって仕組まれたのだとしたら怖すぎる。まさかね。」との見方を示した。

 しかしマスコミ業界内では、「安倍政権にハメられた可能性というのもゼロではないだろうが、参院選期間中という重要な時期に、そんな効果も計り知れないようなことを政権側が積極的にするだろうか? それよりもやはり、朝日新聞の取材不足と考えるほうが自然ではなかろうか」(全国紙社会部中堅記者)との見方が強い。

 というのも、9日付朝刊で朝日新聞がこの“大スクープ”を放ったその“影”で、同じく9日付朝刊の毎日新聞が、2面という地味な扱いながら、「ハンセン病家族訴訟 政府内に控訴断念論」と報じていたのだ。毎日新聞はこの記事で、「控訴をせずに国の責任を認めるべきだとする意見が政府内で浮上している」と指摘。さらに、「判決を確定させることに官僚側から反対の声もあり、政府は慎重に検討して近く態度を表明する」とした上で「自公政権には元患者への賠償責任を認めた01年判決で、当時の小泉純一郎首相が判決を受け入れ、訴訟終結につなげた実績がある。このため首相官邸を中心に、今回も控訴せず政治解決すべきだとの考え方が広がりつつある」などといった裏事情までをもしっかりと解説していた。

朝日と安倍政権の“距離の遠さ”

 ある全国紙の元政治部記者は「今回の件についていえばやはり朝日は単純に、安倍首相自身やその周辺への取材が足りていなかったのではないか」という見方を示す。

「朝日の当初記事には、『政府内では今回の判決に対して控訴せず確定させることはできないとの意見が強く、控訴期限の12日を前に控訴する方針』と書いてあるが、これは法務省や厚生労働省など役所側で大勢を占めていた意見。この朝日の記事では官邸側の思惑についてはほとんど触れられておらず、役所側の感触に重点を置いて記事を書いたのではないか」(全国紙の元政治部記者)

 また他の全国紙で霞が関の取材をしているベテラン記者は、「マスコミ各社もしばしば報じているように、安倍政権はまさに『官邸主導』で、政策に関しても官邸の決断が大きい。なので、特に重要な政治案件においては、安倍首相と周辺がその案件についてどう考えているのか……という“感触取材”が欠かせない」と指摘する。

 朝日自身は10日付朝刊2面で、「本社記事誤った経緯説明します」という、栗原健太郎・政治部長の署名による記事を掲載。その中で「政権幹部を含む複数の関係者への取材を踏まえたものでしたが、十分ではなく誤報となりました」と、取材不足による誤報を認めた。

 前出の全国紙経済部中堅記者は、最後にこう分析してみせた。

「安倍政権になって朝日は安倍政権批判を強めており、安倍首相や政権幹部とは距離がある。今回の朝日の“大誤報”ははからずも、そうした事態を最悪の形で示してしまったのではないか」

(文=編集部)

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