9月1日に閉幕した。ルール改正で「一本勝ち」が増えたことに加え、寝技で決まる試合が増えた。
特に女子の寝技の進歩は目覚ましい。フランスとの団体戦の決勝で沸かせたのは、寝業師の濱田尚里(28)。個人戦78キロ級決勝で無理な大外刈りを返されて敗れたマロンガを縦四方固めで抑え込み、日本に団体戦3連覇をもたらした。
「美しすぎる柔道選手」として有名なウクライナの女子48キロ級代表のダリア・ビロディド(18)。決勝で日本の渡名喜風南を破って2連覇を果たしたが、圧巻は準決勝の寝技。相手はすべて寝技で勝ち上がった寝技のスぺシャリスト、U・ムンフバット(モンゴル)。激しい攻防の末、あっさり抑え込んでしまった。それも足だけで。腕で抑える崩れ上四方固めの足バージョンだ。自身で「アナコンダって言われてるの」と話す通り、長い手足とバネを生かした破壊力抜群の立ち技に、こんな寝技があれば敵なしだ。渡名喜も善戦したが、まだ差を感じた。
52キロ級の女子決勝であっという間にロシア選手を投げ飛ばして2連覇した阿部詩(19)も、準決勝がカギだった。相手はリオ五輪の覇者M・ケルメンディ(コソボ)。得意の背負い投げや釣り込み腰などの担ぎ技が効かない。だが延長戦の攻防の末、横四方固めで抑え込んだ。阿部を育てた夙川学院高校(神戸市)柔道部の松本純一郎監督は「少し前まで寝技は苦手、と言っていた。すごい進歩です。これで勝ちパターンがさらに増えた」と喜ぶ。
ビデオ判定の導入でおかしな判定は減ったが、寝技を続けさせるか、両選手を立たせるかは各審判の裁量になる。
今大会、女子70キロ級個人戦の3回戦でポルトガル選手にまさかの敗退をした新井千鶴はポイントを奪われた後、寝技で反撃していたが、立たされてチャンスを逸した。だが全体的には寝技を続行させていた。
柔術人気の影響立ち技が超一流でも寝技が苦手な場合、寝技に持ち込まれて仕留められてしまう危険がある。寝技に自信があれば、巴投げなどの捨て身技も思い切ってかけられる。
今大会、男子66キロ級で阿部一二三がライバル丸山城志郎の捨て身技に敗れ東京五輪が危くなった。寝技が得意ならそのまま逆襲に転じて勝つ可能性があるが、「寝技は苦手」という一二三。妹の詩を見習うべきだろう。
寝技でバルセロナ五輪の銀メダルを取った溝口紀子氏(日本女子体育大学教授)は「今の審判なら、私、絶対金メダルだったなあ」と笑う。寝技が多くなってきたことについて溝口氏は「実は柔術の人気が出てきている。柔道があまり立ち技に偏ると、寝技を取られてしまうという危機感もあるのです」と話す。
ベストセラー『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか』(新潮社)の著者で北海道大学柔道部出身の作家、増田俊也氏は、今回の世界選手権について「審判がかなり寝技を見ようとしている。
日本選手の寝技の進歩について全柔連強化委員長の金野潤氏の存在を挙げる。「金野さんは日大などの現役時代、奇襲攻撃や、寝技を工夫して全日本選手権も制した。彼が強化委員長になったことが大きいのでは」とみる。増田氏によれば全柔連は格闘家のヒクソン・グレーシーとも戦った総合格闘家の中井祐樹(49)=ブラジリアン柔術連盟会長=を呼んで柔術を勉強させていた。「従来、日本の柔道はそうしたことが少なかったが、こうしたことで幅が広がってきている。特に女性選手の寝技の大きな進歩につながった」とみる。
「アメリカなどは今や柔道よりも柔術の人気がある。立ち技の多い柔道は道場が広くないとだめだが、柔術は狭くてもできる。また、柔術のユニフォームはピンクや花柄など自由で子供や女性にも人気があるんです」と増田氏は指摘する。
戦前から戦後にかけて「不世出の柔道家」と呼ばれた木村政彦は、大外刈りなど立ち技もすごかったが、「腕がらみ」が武器だった。ロス五輪で優勝した山下泰裕(現JOC会長)も最後はエジプトのラシュワンを押さえ込んだ。ヘーシンクに敗れて以来、初めて無差別級を制した上村春樹(現講道館館長)も、決勝は英国選手を寝技で仕留めた。
だが、次第にテレビ映りを意識し、華やかな立ち技偏重になり、審判はすぐに立たせてしまってきた。それが今、変わってきている。全柔連では「寝技を多くするようにルール改正したわけではない。あくまでも審判の裁量」とする。今大会、審判たちは従来より寝技を続けさせていた。また、少し前に、抑え込みの際の一本宣告が従来の30秒から20秒に変更されたのも大きい。あっという間に一本になってしまう。東京五輪では寝技の攻防が楽しみだ。
(写真・文=粟野仁雄/ジャーナリスト)