広島東洋カープは1991年以来、25年ぶりにセ・リーグ優勝を果たした。今シーズンは“神ってる”勝利を積み重ね、全国各地で熱狂的な赤ヘル旋風を起こした。

関東圏で開催されるビジターのゲームでも、スタンドの過半が赤色で埋め尽くされるほどファンが急増した。

 プロ野球球団の収入は、チケット売り上げ、放映権、スポンサー・広告収入、飲食やグッズの売り上げ、ファンクラブ会費などが主だ。一方、費用は選手年俸と関連費用(移動費・宿泊費など)、事業運営費、販売管理費、人件費、球場使用料など興行のための経費など。なかでも、選手の年俸と関連費用が全体の4~5割を占め、この支出を抑えることが黒字経営の要諦だ。

 多くのプロ野球の球団は親会社を持つ。親会社は広告宣伝費の名目で球団の経営を支援する。
球団は親会社から送金された金を売り上げに計上して、赤字の穴埋めに使ってきた。

 カープは全12球団のなかで唯一、親会社を持たず、独立採算制をとる球団だ。そのため、黒字経営を続けるには選手の年俸を抑えるしかなく、選手補充もままならならず、長期にわたって優勝から遠ざかってきた。

 そんななかで今回、四半世紀ぶりに優勝を果たしたのは、独自の経営で確固たる財務基盤を構築したからにほかならない。75年以来、41年連続の最終黒字を維持しているカープの経営に注目してみよう。

●松田一族による同族経営

 カープを運営する株式会社広島東洋カープは、東洋工業(現・マツダ)の創業家一族、松田家の同族経営である。
56年、市民球団を謳い地元企業の出資で設立したが、親会社が存在しないことから慢性的な資金不足で負債が膨らみ経営が混乱した。当時、東洋工業社長の松田恒次氏が球団の株式を集約、68年に東洋工業と松田家が株主として名を連ね、球団名に「東洋」の2文字が入った。

 77年、東洋工業はオイルショックで経営危機に陥った。当時の松田耕平社長(恒次氏の息子)は経営責任をとって辞任。東洋工業は米フォードの傘下に入った。耕平氏は東洋工業の株式は手放したが、球団の経営権は死守した。
その後、同社は84年にマツダへ社名変更した。

 株式会社広島東洋カープの現在の資本金は3億2400万円。主要株主は松田家が42.7%、マツダが32.7%、グッズ販売会社のカルピオが18.5%。松田家は、カルピオ分と合わせて61.2%の株式を保有している。マツダは、名義を残してはいるが、球団経営には関与していない。

 現球団オーナーは松田元氏(耕平氏の息子)。
同氏は慶應義塾大学を卒業後、77年に東洋工業に入社したが、82年に退社。株式会社広島東洋カープの取締役に転じ、85年にオーナー代行に就任。耕平氏の死去に伴い、02年からオーナーを務めている。

 次期オーナーの最右翼と見られているのが、松田一宏氏だ。球団の社外取締役に就いていた松田弘氏(元氏の弟)の長男だ。一宏氏は慶應義塾大学を卒業して球団に就職。
13年3月に33歳でオーナー代行になった。

 球団は、マツダと縁が切れた松田家に唯一残された砦だ。潰すわけにはいかない。黒字経営を維持することが至上命題だ。だから、年俸の高い選手を次々に放出した。

 07年のシーズンオフは松田式経営を象徴するものとなった。
05年の本塁打王である新井貴浩選手が阪神タイガースへ、同年の最多勝に輝いた黒田投手は米大リーグ、ロサンゼルス・ドジャースへ移籍し、タイトルホルダーの2人がカープを去った。

 カープファンからは「黒字達成を優先させ、投資を抑制したから長期低迷を招いた」との批判がオーナー家に浴びせられた。

●女性や家族連れの観客が増え、グッズ販売が収益押し上げ

 高額年俸の選手を放出するから試合に勝てない。万年Bクラスの球団に愛想をつかして、ファンは球場に足を向けなくなる。そんな悪循環を、MAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島(マツダスタジアム)の建設が一挙に解消した。新球場の観客は家族連れが増えた。なかでも女性客が急増し、カープ女子という想定外のブームが起こった。

 広島市や広島県、地元経済界、市民の募金で総事業費90億円を賄い09年4月、マツダスタジアムはオープンにこぎ着けた。管理は広島市で、球団が指定管理者となり営業権を得た。

 球団は米大リーグのアイデアをふんだんに取り入れた。ただ野球を観戦するのではなく、3世代でも楽しめるボールパークを目指した。

 砂かぶり席や、バーベキューを楽しみながら観戦するテーブル席、横たわって観戦できる「寝ソベリア」など多彩な観客席を備えた。女子トイレの数は、旧市民球場時代の2倍以上にした。大リーグの球場のように場内を一周できるコンコースを通し、その周りにグッズ店や飲食店を配置した。

 マツダススタジアムを新たな本拠地にした09年12月期の観客動員数は187.3万人、売り上げは117億1600万円と初の100億円の大台に乗せ、当期利益も4億円となった。

 その後、新球場効果は薄れたが、13年にクライマックスシリーズ(CS)に初進出するなど成績が上がったことから再び人気が高まった。

 15年12月期の売上高は前期比19億5800万円増の148億3256万円、当期利益は1億8700万円増の7億6133万円だった。米大リーグから黒田博樹投手が復帰したことで空前のカープブームが巻き起こった昨年、観客動員数は211万人と初めて200万人の大台に乗せ、球団史上最高の売り上げと利益になった。

 旧広島市民球場を本拠地としていた当時からすれば、考えられないような状況になっている。98年から12年まで15年連続でセ・リーグのBクラスに低迷し、03年12月期の年間観客動員数は94.6万人。最後に優勝した91年以降では最低の数字となった。売上高は65億4300万円、純利益は8300万円にとどまった。15年同期は、03年12月期と比べて観客動員数は2.2倍、売上高は2.3倍、純利益は9.2倍になった。

●利益が増え、選手に投資して成績向上

 旧市民球場時代の収入の大きな柱は放映権料で、年間30億円あった。それが、テレビがプロ野球を全国ネットで放映しなくなり、15年12月期の放映権料は14億円と半分以下に減った。

 一方、観客が戻ってきたことで入場料収入は18億円から54億円と3倍に増えた。家族連れや女性の観客を引きつけたことで、すべて赤の3色ボールペンやTシャツが売れた。グッズの販売が球団の収益を押し上げたことで経営が上向き、選手に投資できるようになった。

 06年オフにドラフト1位で獲得した前田健太投手は、契約金8000万円だった。年俸800万円の前田投手は、入団からわずか1年でエースナンバー18番を背負い、その後も順調に活躍し、15年オフにドジャースへ移籍した。

 その際、20億円という巨額のトレードマネーが球団に入った。球団は、この20億円を有効活用した。黒田投手に2億円アップの年俸6億円を提示した。投打の柱のジョンソン投手とエルドレッド選手をそれぞれ1億2500億円、1億500億円を払って引き留めることができたのも、20億円の原資があったからこそだ。さらに、投手2人と野手2人の新しい外国人4人を計2億5400万円で獲得できたことも大きかった。

 16年のセ・リーグ優勝の車の両輪となったのは黒田投手と、出戻りの新井選手だった。カープファンは久々に勝利の美酒に酔った。

 エースが抜けた穴を危惧する声があったが、トレードマネーをうまく使い、戦力補強の実をあげた。カープのリーグ優勝の最大の功労者は、日米をまたぐビジネスで、上手にソロバンを弾いたオーナーの松田家だったといえそうだ。

 地方都市に本拠地を置く球団は、共通の悩みを抱えている。カープファンが全国に広がり、東京ドームや甲子園を赤色で埋め尽くしても、球団には一銭も入ってこない。マツダスタジアムに来てもらわないことには、球団の収入に連結しないのである。

 16年12月期決算は、25年ぶりのリーグ優勝で、観客動員数、売り上げ、利益のいずれも過去最高記録を更新するのは確実だ。だが、観客動員数の限界が見えてきた今日、どうやって増収増益を続けるのか。オーナー家の経営手腕が問われることになる。
(文=編集部)