11月13日に放送されたNHKスペシャル『終わらない人 宮崎駿』で再び注目を集めた、スタジオジブリ。そのジブリに22歳のときに入社し、鈴木敏夫プロデューサーのもとで『千と千尋の神隠し』や『ハウルの動く城』など、大ヒット作のプロデューサー補を務めたのが石井朋彦氏だ。



 現在もアニメ映画のプロデューサーとして活躍する石井氏は、ジブリ時代に鈴木氏から学んだ仕事術を綴った『自分を捨てる仕事術 鈴木敏夫が教えた「真似」と「整理整頓」のメソッド』(WAVE出版)を今年8月に上梓した。「自分を捨てる」とは、いったいどういう意味なのか? 著者の石井氏に、鈴木氏直伝の仕事の極意を聞いた。

●「自分の意見を捨てて3年は真似をしろ」

 本書の冒頭には、2000年、当時22歳だった石井氏に鈴木氏が伝えた「これから3年間、おれの真似をしな」という言葉が出てくる。鈴木氏のアシスタントとなって最初に「自分の意見を捨てて、くもりなき眼で世界を観ること。それを3年間続けて、どうしても真似できないと思ったところが、君の個性ということになるから」と言われたのだという。

――最初に、鈴木氏からどんな指示を受けたのですか?

石井朋彦氏(以下、石井) 鈴木さんからは「自分の意見を捨てて議事録をとれ」と言われ、すべての打ち合せの内容をノートに書き続けました。
内容だけではなく、出席者の表情やしゃべり方、場の雰囲気まで。次第に、鈴木さんがおっしゃったことの重要性がわかるようになっていきました。対面でお話をする場では、先入観や本人の雰囲気で個人を判断してしまいがちです。でも、後日ノートを見直すと、まったく別の本質が浮かび上がるのです。何より、自分の意見を捨てたほうが物事の本質が魔法のように見えてくることに驚きました。

――「自分を捨て」たことで、どんな見え方ができるようになったのですか?

石井 たとえば、会議中は軽妙に話をしていたのに、紙に残すとあまり参考にならない意見だったという人がいます。
その一方、言葉数が少なくても、議事録を見直せばしっかり練られた意見だった、ということもある。自分を捨て、他者の意見を書き記していくうちに、他人の意見のなかに自分がやるべき仕事が隠されていることに気がついたのです。

「僕はこう思う」「俺はこうしたい」など、自分を押しつけるだけでは相手が引いてしまい、何も生み出しません。これが、鈴木さんに教えていただいた「自分を捨てろ」という言葉の本質だと思っています。

●宮崎駿ですら自分を捨てて仕事している?

――そもそも、どういう経緯で本書を出版することになったのでしょうか?

石井 実は最初、「自分が鈴木さんのことを書くなんて、おこがましくてできない」と思い、出版のオファーをお断りしたのです。すると、担当編集者が「鈴木さんではない人が書いた本が、今必要なんです。
編集者として、一度も鈴木さんに会わずにこの本をつくりたい」という、興味深い口説き方をしてきた。

「面白いことを言うなぁ」と思って鈴木さんに相談すると、「いいじゃん、石井にしかできないことだし。俺は本が世に出てから、読むよ」とおっしゃいました。「なるほど、確かに僕にしか書けないことがある。自分が学んだことでも、誰かに必要とされているのかもしれない」と感じて、引き受けました。

――鈴木氏と編集者の後押しがあったのですね。


石井 「必要とされている」と感じることは、すべての仕事人にとって最も重要なことです。もし、僕が本業とは関係ないところで「本を書きたい」と言っても、おそらく出版されなかったでしょう。自分がやりたいことは、相手のしてほしいことではないのです。他者から「この仕事をしてほしい」と言われて初めて、自分がやるべきことが見えてくるのが、仕事の面白さだと思います。

 実は、突出した才能を持っている人たちこそ、自分を捨てて誰かのために仕事をしているのです。宮崎駿さんですら、「俺はそもそも、自分がやりたかったことをやったことがないんだ」と言っていました。
宮崎さんはずっと、高畑勲監督の下で高畑さんが目指す映像を絵にし、監督となってからも、「お客さんが何を求めているか」を最優先に作品を作り続けてきた。「必要とされているから、やる」。そこから傑作が生まれているんです。

 たとえば、『千と千尋の神隠し』は観客動員数で日本新記録を達成しましたが、宮崎さんがやりたかったのは別の企画で、その企画を鈴木さんに反対されたため、その場で思いついたアイデアがきっかけで生まれました。世界一の監督が「自分のやりたいこと」にこだわっていない。だったら僕のような凡人が「自分のやりたいことだけをやりたい」なんて言えるわけがない。


――確かに、「自分がやりたい仕事はこれじゃない」と不満を漏らす人をよく見かけます。

石井 自分がやりたい仕事のために独立する人もいますが、そういう人は自分に求められていることが見えていないケースが多い。僕自身、もともと自我も自己主張も強い人間だったのでよくわかるのですが、特に若い人ほど「個性」を勘違いしがちです。僕が「自分を捨て」て気づいたのは、「自分らしさを持っている人ほど、求められた仕事をしている」という真実でした。

●自分がコンプレックスを感じた人を真似れば才能が開花する?

 ジブリで6年間、議事録をはじめ、人間関係、トラブルの処理、宣伝の手法に至るまで、さまざまな面で鈴木氏を真似し続けた石井氏。本書には「宮崎駿という人は、高畑勲という人の下で20年間、真似をし続けた人なんだ。考え方や立ち振る舞い、話し方。字まで真似たんだよ」という鈴木氏の言葉も紹介されている。

――その鈴木氏およびジブリからの独立を決めた理由はなんだったのでしょうか?

石井 究極に真似し続けていると、「これ以上真似できない」と感じる時期が来るんです。鈴木さんを尊敬しすぎて、一緒にやることがお互いにとってよくない状況になった頃に、他社から大きなチャンスをいただいたのです。本の出版もそうですが、「チャンスは自分でつくるのではなく、与えられるもの」だった。そこで、独立を決めました。

――石井さんのように、近くに理想的な「真似したい対象」がいる人は恵まれているようにも思います。周囲にそうした真似する相手がいない場合はどうしたらいいのでしょうか?

石井 本書を読んで下さった方から「自分のまわりには真似たい人がいないんです」と言われることがよくあります。でも、真似する相手は憧れの人だけとは限りません。僕は今も、ひとつのプロジェクトのなかで「真似る人」を決めて、コピーをしています。嫌いな人や会いたくない人、コンプレックスを感じた人を選ぶことも多い。

 真似る際のポイントは、行動や服装、持ち物、話し方など「型」から入ることです。思考や考え方をすぐに真似するのは困難です。真似し続けることで、相手から盗めるもの、決して盗めないものが見えてくる。良い部分も、そうでない部分も見えてくる。いったん自分の身体を通すと、それが自分にとって必要か否かもわかってくる。そうしているうちにコンプレックスも感じなくなり、自分の中に新たな才能を見いだせる事も少なくないのです。

――確かに、石井さんがコンプレックスを抱いていた映画プロデューサーの川村元気氏を真似たエピソードも印象的でした。ちなみに、石井さんが今「真似たい」人は誰ですか?

石井 先日、ある企業の社長さんの講演を聞く機会がありました。とても興味深いお話をしてくださったのですが、最前列に座っていた男性が、スマートフォンをいじったり、眠ったりしていた。僕はその態度にすごく腹が立ったのですが、社長さんはまったく気にしない素振りで話し続けていました。講演が終わってから、僕が所属する株式会社クラフターの古田彰一社長に報告すると「あの社長はすべてを見ていて、そういう人たちのことすら超越しているんだよ」──と。

 失礼な態度に対して感情をあらわにせず、本当に話を聞いてくれる人に語りかけるという姿勢に感銘を受けました。今の僕にはそれができていない。だからこそ、真似てみたいと思っています。

――ありがとうございました。

 自分を捨てて、人の真似をすることで、最終的に自分らしい仕事にたどり着く。石井氏は「人から見た自分が本当の自分。自分のなかには何もないんですよ」とも語る。もし「自分流の壁」にぶつかっている人がいるなら、本書が変わるきっかけのひとつとなるかもしれない。
(構成=真島加代/清談社)