「推定無罪」という言葉がある。1789年のフランス人権宣言を起源とする考え方で、「何人も有罪と宣告されるまでは無罪と推定される」という近代法の基本原則だ。

罪を犯したかどうかを審理するために裁判はあるのだから、判決が出るまで容疑者は犯人かどうかわからない。むしろ、推定無罪の原則に照らすならば、無罪であるとの前提で検証するのが理性的な考え方だ。

 だが、日本のマスメディアに、そのような理性は見受けられない。警察に逮捕された瞬間から、その人物が犯人であるかのように報道される。逮捕されたとしても、その後、起訴されない場合も多く、起訴されても裁判で無罪判決が出る可能性があるにもかかわらずだ。

 千葉県松戸市で、ベトナム国籍で小学3年生のレェ・ティ・ニャット・リンさんの遺体が3月26日に見つかった事件で4月14日、千葉県警捜査本部はリンさんが通っていた小学校の保護者会長の男性を死体遺棄の容疑で逮捕した。

報道の正確性・信頼性の向上を促進するために活動している日本報道検証機構代表理事の楊井人文氏は、この男性を犯人のごとく報道するメディアの姿勢を問題視している。

 たとえば、産経新聞は逮捕翌日の15日付朝刊で、「子供の安全を守るべき立場の人物による犯行」と断定的に報じた。

「逮捕直後から、男性が犯人であることが疑う余地のないものとして報道されています。産経新聞ほどの断定的表現でなくても、すべてのメディアが『見守り役の犯行』という前提に立った報道を積み重ねているといえます」(楊井氏)

 後追いの週刊誌報道では、男性は「鬼畜犯」「卑劣漢」とまで呼ばれた。

「捜査機関が『動機などの解明を急いでいる』(毎日新聞)というような報道もみられます。動機の解明は、犯人(被疑者)が自白していることを前提とした話であり、これも“有罪推定報道”の典型的表現です」(同)

●DNA鑑定に基づく逮捕の危険

 当初、リンさんの遺体や所持品に付着していたDNAと、男性のDNAが一致したことが逮捕の決め手になったと報じられた。
産経新聞記事「DNA型鑑定 決め手」では、タイトルと本文が矛盾した内容となっていると、楊井氏は指摘する。記事では以下のように書かれている。

「県警は平成25年6月に同県習志野市で女性が殺害された事件で、DNA型鑑定を有力な証拠として逮捕した容疑者が不起訴となった苦い経験を持つ。このため、捜査本部内にはDNA捜査への慎重論もあったという。捜査幹部は『習志野の事件では課題も残った。DNA型が一致しただけではすぐに逮捕はできない』と振り返る」(産経新聞記事)

 DNAというと、決定的な証拠という印象がある。だが、1990年の「足利事件」ではDNAの一致を大きな証拠として有罪判決が下されたが、その後のより精緻な鑑定によりDNAは不一致であることが判明し、再審で無罪となった。97年の「東電OL殺人事件」でも、DNAの一致により下された有罪判決が、再審でDNAの不一致が判明し無罪となった。

「大半のメディアが、遺留物から検出されたDNAと被疑者男性のDNAが『一致』したと報じていますが、朝日新聞は『酷似』と表現しています。ちなみに、逮捕時の県警記者会見ではノーコメントでした。問題は、どこから検出されたDNAが一致または酷似したのかですが、その点が明確に特定されず『遺体に付着した遺留物』『体などの複数箇所から』といった曖昧な情報がほとんどです」(楊井氏)

 本件の場合、女児が行方不明になった日、被疑者の車が遺棄現場近くを走行していたことを示す証拠があるとも報道されている。刑事訴訟法199条、60条の「罪を犯したことを疑うに足りる相当な理由がある」と判断され、男性が逮捕・勾留されたのは確かだろう。


「一般的にいって、逮捕段階で起訴できるだけの証拠、つまり間違いなく男性が犯人であるといえるだけの決定的な証拠をつかんでいることは、ほぼありません。現在、まさにそれを見極めるための捜査が行われている最中です。その結果、検察が“明らかに犯人である”と立証できると判断できれば起訴し、そうでなければ不起訴ということもあり得ます」(同)

 日本新聞協会が2008年に策定した「裁判員制度開始にあたっての取材・報道指針」には、「事件に関する識者のコメントや分析は、被疑者が犯人であるとの印象を読者・視聴者に植え付けることのないよう十分留意する」と書かれている。

 本件に関する多くの報道は、これに背いているのではないだろうか。

 楊井氏が新聞協会に問い合わせたところ、「各社は本件事件においても、それぞれの判断と責任において、被疑者の人権に配慮して報道していることと存じます」「新聞社の報道は各社の編集権に基づいて行われており、当協会がチェック・指導することはありません」との回答だったという。

 冤罪の恐ろしさは、罪のない人に刑が科せられるということだけではない。その一方で真犯人がのうのうと日常生活を送り続けることになるのだ。リンさんへの犯行は極めて残忍であり、決して許されることではない。だからこそ、疑いがあるとして「逮捕された段階」の人物を犯人視して報道することは、慎むべきではないだろうか。
(取材・文=深笛義也/ライター)

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