日本経済の終わらない冷え込みへの対策には何が必要か。第一生命経済研究所首席エコノミストの永濱利廣さんは「中流が貧困へと転落しないための仕組みと、転落した時のトランポリンを国は用意しなければならない」という――。

※本稿は、永濱利廣『新型インフレ 日本経済を蝕む「デフレ後遺症」』(朝日新書)の一部を再編集したものです。
■効果的な中小企業向けの補助金制度
2023年、都道府県別実質賃金でプラスを達成したのは群馬県と大分県のみだった。
特に群馬県の「+0.6%」を些少(さしょう)と思うのは間違いだろう。あとの45都道府県は軒並みマイナスだったのである。その成功要因から、補助金制度の重要性を見てみよう。
群馬県のプラスは複数の施策と環境が重なった結果だが、大分県と共通する部分としては中小企業向けの賃上げ補助金制度がある。これまでも政府の賃上げ優遇税制はあったが、税制優遇は基本的に黒字企業にしか適用されない。つまり、全企業の3分の2を占める赤字企業には恩恵が及びにくいのである。
その点、補助金であれば企業の収益状況に関係なく支給されるため、より広範な効果をもたらしたと言えよう。
これに加えて、地域経済の活性化も大きい。もともと群馬県太田市は「大手自動車メーカーの城下町」として有名だったが、すでに60年ぶりとなる国内新工場が建設中(2027年稼働予定)である。
■賃上げ圧力となったスーパーの実例
さらに、群馬県の前橋市と明和町(めいわまち)へ外資系大手スーパーが出店したことが、地域全体の賃金水準を押し上げていることもある。

背景には、その外資系大型スーパーが、時給1500円と高い賃金水準を設定して人材を募集していることがある。大型店ゆえに募集も多く、「うちのバイトさん、パートさんをとられては困る」となった地元店舗は、自(おの)ずと時給を上げざるを得なくなっている。こうした小売業以外の産業に目を向けても、群馬県の製造業基盤の強さが、人手不足を通じて賃金上昇圧力となった可能性もある。
そして群馬県は、本社機能移転の優遇策も展開している。首都圏から近く、地盤が安定していて地震に強いという特性を活かし、大手企業の本社機能を誘致しているのだ。
こうした群馬県のモデルは、地域特性を活かした産業誘致と、実効性の高い補助金制度の組み合わせにより、地方における賃金上昇を実現できることを示している。
■「適度な格差」と「有害な格差」
いくら個人消費が促され、実質賃金が上がっても、取りこぼされてしまう人は必ず出てくるだろう。新型インフレが続き、格差が一層広がれば、そうした人が増えていく可能性もある。そう考えた時、支出支援のみならず、格差是正として長期的な「治療」も考えるべきだろう。
しかしながら、格差ゼロというのは現実的な話ではない。全員が同じように働き、同じ額を稼ぐというのは資本主義経済ではあり得ないことである。つまり、経済活力を生む「適度な格差」は認めながら、社会の安定性を脅かす「有害な格差」を是正していくというスタンスが良いだろう。

SNSなどで膨らむ「不公平だ!」という声に釣られるかのように、富裕層への課税強化が検討されることもある。しかし、これが行き過ぎると経済活力を損なう可能性がある。したがって、平等・公平についての感情論に引きずられることのない、慎重な制度設計が必要だろう。
とはいえ、行き過ぎた格差拡大は重大な社会問題を引き起こす。富の一極集中が進めばマクロの個人消費は低迷し、経済成長を阻害する側面もある。貧困や社会不安が増大すれば、政治への不信感が高まり、民主主義の基盤を揺るがす危険性もあろう。そして、環境問題や貧困問題とも密接に関連して、持続可能な社会の実現を阻むことになると言えよう。
■持続可能な社会に向けた格差是正
特に、教育機会の格差や社会的機会の不平等は、世代間の格差を固定化し、社会の潜在能力が低下する元凶となる。
その是正にはまず、教育支援の充実が不可欠だろう。低所得世帯の子どもへの支援強化や質の高い教育機会の提供を通じて、社会的流動性を確保しなければならない。
さもなければ、良い教育を受けて所得が高い仕事に就いた親の元に生まれない限り、望む道に進めないという悲しい未来になってしまう。教育機会の不平等は、資本主義が作る新たなカースト制度を固定することになりかねない。

また、雇用環境の改善も重要であり、最低賃金の適切な引き上げや労働条件の改善も求められよう。
社会保障制度についても、生活保護制度の拡充や、世代間で調整された医療費負担の実現、さらには税制改革を通じて、社会の安定性を高めていくことが格差是正につながろう。
しかし、こうした取り組みは国任せにしていい話ではない。企業にも従業員への適切な待遇や地域社会への貢献など、社会的責任の遂行が求められるだろう。
格差是正は単なる「富の再分配」ではない。社会の持続可能性を高めるための総合的な取り組みと考えるべきだろう。
■中流の貧困化を防ぐトランポリン型社会
「格差社会は嫌だけれど、私はまだ大丈夫」
そう思っている中間層は、実は転落の途上にあるかもしれない。中流の貧困化を防ぐためにも、教育から雇用、社会保障まで、包括的なアプローチが必要となるだろう。
まず教育面では、格差是正と同じく、誰もが質の高い教育を受けられる環境を整備しなければならない。
子どもだけでなく大人にも、生涯学び続ける機会が必要だ。社会の変化に対応できるリスキリング環境を充実させていくことが、たとえ職を失っても再浮上できるトランポリン型社会の礎となるだろう。
本書では、就職氷河期世代の苦境について述べてきたが、彼・彼女らが労働力人口の多くを占めることを考えれば、雇用環境の改善も大切だろう。
非正規雇用から正規雇用への転換を促進し、キャリアアップの機会を創出することで、安定した所得基盤を確保すべきだろう。
■老後の生活不安への個人レベルの対策
社会保障制度についても、年金や医療保険などの制度を強化し、老後の生活不安を軽減しなければならない。
「過度な不安」がどれほど経済を冷え込ませたかは、改めて述べるまでもない。住宅供給の増加や空き家の有効活用による住居費対策、子育て支援の拡充、中流層の生活基盤を支える仕組みづくりをしなければ、消費は生まれず、人々はお金を蓄えたまま活力を失うしかない。
同時に、個人レベルでの対策も講じていくべきだろう。複数の収入源確保や不要な支出の見直し、貯蓄・投資の促進など、自助努力による生活基盤の強化が求められる。それには金融・税務リテラシーの向上が欠かせない。
このように、中流が貧困へと転落しないための仕組みと、転落した時のトランポリンを国は用意しなければならないだろう。だが、そうした仕組みが用意されたとしても、肝心の利用者が寝そべっていたら、いかにトランポリンがあっても再び跳び上がることはできないだろう。

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永濱 利廣(ながはま・としひろ)

第一生命経済研究所経済調査部 首席エコノミスト

1995年早稲田大学理工学部工業経営学科卒。2005年東京大学大学院経済学研究科修士課程修了。1995年第一生命保険入社。
98年日本経済研究センター出向。2000年4月第一生命経済研究所経済調査部。16年4月より現職。内閣府経済財政諮問会議政策コメンテーター、総務省消費統計研究会委員、景気循環学会理事、跡見学園女子大学非常勤講師、国際公認投資アナリスト(CIIA)、日本証券アナリスト協会検定会員(CMA)、あしぎん総合研究所客員研究員、あしかが輝き大使、佐野ふるさと特使、NPO法人ふるさとテレビ顧問。

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(第一生命経済研究所経済調査部 首席エコノミスト 永濱 利廣)
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