東大には何の役に立つのか分からないユニークな研究をしている人がたくさんいる。東大院で言語学を研究する中野智宏さんは、「人工言語作家」として活動し、これまで数百種類の「架空の言語」を作り出してきた。
■極限まで緻密に作り込まれた「架空の言語」
’Ändëjï boru mënys’at! Phomi məñäng dej Näkänö Tömöhïrö. Məñäng phuos’ëëw məjdejing pəsät goo, brëw thej puo-bäkïng phñəjwi sərïng.
いま、私がなんと言ったか、理解できた人はいるでしょうか。いきなり知らない言葉で書かれて、面食らった方ばかりかと思います。上記の文章は私がゼロから創った架空の言語「ウーパナンタ語」で記述されています。
直訳は「太陽と太陰の恵みがあなたにありますよう。私の名前は中野智宏です。私は学者になるために学び、同時に創作された言語の作者として働いています」。つまり、初対面となる皆様へ挨拶と、軽い自己紹介を兼ねた文章でした。
最初の一文はあいさつの定型文。Məñängは一人称sukの丁寧形。phuos'ëëwは「すべてを知る者」の意味で、賢者、学者などを指します。
私はみなさんに外国語の講座をしたいわけではありません。それどころか、今私が綴った言葉は、地球上のどこにも存在しない言葉です。この「ウーパナンタ語」は、ディズニープラスオリジナル作品である『ワンダーハッチ 空飛ぶ竜の島』のために、私がゼロから単語や文法を作って組み上げた「人工言語」なのです。
■新しい言語を作る「人工言語作家」
「人工言語作家」という言葉は聞き馴染みがないかもしれません。人工言語作家とは、作品世界の中で話されたり綴られたりする言語の作成と提供が仕事のクリエイターのことです。
そもそも人工言語とは、その言葉の通り「人間の手によって人工的に作られた言語」を指します。私たちが普段使っている日本語や、英語、中国語などは、誰かが「これから○○語を作ろう!」と言って作られたものではありませんよね。このような言語を「自然言語」と呼びます。
私は現在、研究者として研鑽を積む傍らで人工言語作家として活動しています。人工言語の作成を始めたのは、小学校の頃からで、もう始めて15年ほどにもなるでしょうか。
まだまだメジャーな分野とは言いがたい人工言語ですが、『指輪物語』あるいは『ロード・オブ・ザ・リング』に登場する架空言語のエルフ語は非常に質が高い人工言語の例として有名です。私も『ワンダーハッチ 空飛ぶ竜の島』で、劇中で使用される架空言語「ウーパナンタ語」の作成依頼をいただき、実際に制作に携わらせてもらいました。
■作り込まれた『指輪物語』のエルフ語に魅せられた
私が人工言語にハマったきっかけは、『指輪物語』でした。6歳頃から親の仕事の都合でパリに1年半ほど移住したのですが、フランス語なんてまったくわからないまま現地校に入学して、言語の壁の高さ、厚さを感じていて。
そこで、自分を救ったのが、映画『ハリー・ポッター』シリーズでした。そこからファンタジーの世界に魅了されていき、当時出ていたファンタジー小説はかなり読んだと思います。『指輪物語』には、その一環で出会いました。
劇中には、エルフやドワーフといった架空種族が登場するのですが、彼らが用いるのは、エルフ語などの架空言語なんですね。現代のファンタジー作品にも、架空言語はちょくちょく登場しますが、『指輪物語』に登場するそれは、明らかにほかの言語と一線を画すレベルで作り込まれていました。
原作者であるJ.R.R.トールキンは、文献学者・言語学者でもあり、その一方でファンタジー作家もやっている人でしたから、そのこだわりが強く出ていたのでしょう。なんにせよ、ファンタジーが大好きで、創作活動を始めたばかりだった自分には、「存在しない言葉をここまで綿密に作り込むなんて!」と衝撃で、そこから自分の創作にも架空の言語要素を足すようになりました。
とはいえ、当時は単純に音を置き換えただけのものなどもあり、本格的に人工言語と言えるものを作り始めたのは、私が中学生になってからです。
■作り込まれた人工言語は少ない
最近ではいろいろな作品で架空言語が使われるようになりました。ただ、実際に運用できるレベルまで作り込まれているものは非常に少ないと感じます。
最近の作品で私が感動したのはジェームズ・キャメロン監督が手掛けた『アバター』(2009年公開)の劇中での一幕。劇中で用いられるナヴィ語では、言葉の中に感情を表す接辞(通常それだけでは意味をなさず、語や他の形態素と組み合わさって意味を追加する要素)を付け足すことができます。
ナヴィ語では通常のあいさつは“Oel ngati kameie.”「あなたが見える」といい、最後の“kameie”にはポジティブな感情を表す接尾辞-ei-が挿入されています。ですが、主人公ジェイクが初めてイクランに乗る場面で、ヒロインのネイティリが婚約者のツーテイにあいさつしたときは“Oel ngati kame.”と「あなたが見える(がそれを特段嬉しく思っていない)」ことを遠回しに表しているのです。
字幕はついておらず、気付く人もほぼいないと思われるところまで、しっかり作り込まれている。これに気付いた時、私は観客としてもクリエイターとしても、大きく心が揺さぶられる思いがしました。
■文字を思い付きで羅列しているわけではない
作った人工言語は、いまでは数百種類に及びます。
例えば、動物だと人間を「哺乳類霊長目……」と分類しますよね。これと同じように、英語は「インド・ヨーロッパ語族ゲルマン語派……」と分類します。動物たちが共通の祖先から分岐しながらさまざまな種類へと分化していったように、言語も共通の祖先(祖語)があって、そこから分岐して現在の諸言語があると考えられています。
そして、この子孫への受け継がれ方や起きうる変化には、ある程度の法則性が見られます。架空の生物を考えようとしたときに、いきなり生物それ自体を空想しても説得力がついてきませんが、環境の変化や進化の系譜から作り込めば、「なぜそのような形で生き残ってきたのか」に存在感、実在感が出てきます。
言語も同じで、祖先となる言語から、どんな変化が起きたかを考えながら、徐々に世代を発展させて作っています。こうすることで、私が言語作成の際に最も重視している「探索可能性」、すなわち私の作った人工言語を見た人が法則性や規則性を発見する楽しさに富んだ言語を作成することができます。
■人工言語にも民族の歴史や文化を組み込ませる
そもそも、言語とは何かしらの意味を伝える音信号の連続のことをいうのですが、スイスの言語学者のソシュールによれば、言語記号とその意味の結びつきには恣意性が見られます。
例えば、「犬」という概念を表すのに、日本語では/inu/、英語では/dog/という記号を用いますが、これらの音の並びは必然性があってそうなっているわけではないということです(歴史的な経緯があって現代の言語の語形があるわけですが、祖語における語形がなぜそうなっていたかは、究極的には必然性だけで説明することはできません)。
また、言語の背景にある文化によって、ある言語ではひとつの語彙で表される概念が、別の言語ではいくつにも細分化されることもあります。世界の諸事物に対してどう区切れ目を入れてどう呼び分けるかも、言語によって異なるのです。
ではエルフ語などの架空言語はどうかといわれれば、究極これは言語を作っている作者の意図次第でどうにでもなります。もちろん、僕が作ったウーパナンタ語、ヴァロケリム語、アルティジハーク語についてもそうです。
ただ、ある音の並びに対して思い付きで意味を当てはめていけば人工言語になるのかと言えば、そうではない。言語とは、やはり空中に突如出現するものではなく、背景にはその言語を使用してきた民族の歴史や文化を抱えているものだからです。
■人工言語にクオリティを求める理由
連綿と続く歴史や人々の息遣いが感じられるものであったほうが、完成度の高い人工言語になりやすい。私は、人工言語のクオリティの高さは、先ほど述べた「探索可能性」にあると考えています。これはすなわち、「観客がその言語に興味を持って調べたり考察したときに(つまり「探索」したときに)どれくらいその探索に耐えうるか」です。
『アバター』のナヴィ語も感情を表す接辞まで作り込まれているからこそ、実在の言語として運用される姿が想像しやすくなる。科学が発展した21世紀においても、現実世界には多くの謎が満ちている。であれば、空想世界についても同じであるべきでしょう。
■実際の人工言語の作り方
実際に言語を作るときには、一番小さな単位から大きい単位へと広げるように作っていきます。具体的には、まずは音素目録から考えていきます。音素とは、意味を区別する上での音声の最小単位のことで、例えば「花」を私たちは「はな」と発音しますが、もっと小さく細切れにすれば、「h」の子音と「a」の母音が組み合わさって「は」が、「n」と「a」が組み合わさって「な」ができているでしょう。
一つの言語の中に存在する音素の数は有限であり、人間が出しうるたくさんの言語音の中から、人工言語の中でどれを使うかを選ぶところから人工言語制作は始まります。こうしてできた音素のリストを音素目録と呼びます。その次のステップとして、音素がどういう規則で並んで音節を形成するかなどを考えます。
これができたら、次は形態素です。「花火」は「花」と「火」に分けることができますね。ですが、「花」という語はこれ以上分けることができません。「は」と「な」に分けたら「花」という概念を指示できない。このように、意味を表すことができる最小の単位のことを「形態素」と呼びます。これを組み合わせることで多種多様な語を形成できるのです。
■作中に出ない部分まで緻密に作り上げる
こうしてある程度の数の形態素を設定したら、ようやく語を作成できます。言語によっては、屈折といって、語が文中での役割などに応じて変形することがありますが、その有無やパターンもここで決めます。語の制作が終わったら、次は文の作成ですが、そのためには統語のルールを、その次は実際の用例として語用・意味を……と、決めることはいくらでもあります。
ある程度完成したら、今度は用例を作ります。自分でその言語の文法問題を作って、自分で解いていく。こうして文法内の不整合を確認して、一通りないことがわかったら、ことわざや慣用句の作成に移ります。これらもまた、その言語の歩んできた歴史や価値観を表す重要なファクターだからです。
作品に登場させる人工言語については、作中で見えない部分まで作り込んでいます。登場しない単語、文法事項、ことわざ、慣用句……。一見無駄に思えるかもしれませんが、ここまで作り込んだほうが、言語としての説得力が上がります。
■ウーパナンタ語は1週間で完成させた
ディズニープラスの依頼で作ったウーパナンタ語は、実は当初納期が1週間で依頼されたものでした。普通は1週間だとかなり厳しいものがあるのですが、そこは仕事ですから、どうにか完成させないといけない。ですから、音素や形態素などコアの文法の部分だけ急ピッチで2日間かけて作りました。
そうしてざっくり形を整えた後で、5日かけてセリフを翻訳しつつ、ゆっくり細部を調整していきました。人工言語作成は大変な作業ですが、実際の言語変化の法則を活用して作っているので、時に自然言語に近しい現象が確認できることがあります。こうした時、自分が作ったはずなのに、謎のリアリティを感じられて面白く感じます。
この業界は非常に狭くて、プロとして活動されている方はほとんどいません。アマチュアの作家は結構な数いますが、そもそも商業作品から「うちの作品にオリジナル言語を作ってくれ」という依頼自体がなかなか発生しないんですね。
数少ない依頼は、『ゲーム・オブ・スローンズ』のドスラク語やヴァリリア語群などを監修したDavid J. Peterson氏のように、実績の豊富なごく一部の有名クリエイターの下へ行ってしまう。やはり依頼する側も実績がある方に依頼したいと考えるのが自然ですからね。そうした意味で、私に依頼をいただけたのは、大変幸運なことだと感じます。
■言語の研究をしながら「人工言語」を極めていく
撮影現場では、経験豊富な撮影チームの監督から「先生」と呼ばれるなど、私のような駆け出しにはもったいないくらい尊重していただけました。細かい部分の発音指導など、こだわりたい私には大変ありがたい限りで、良い経験でした。
一方で、実際問題として、人工言語作家だけでご飯を食べていけるかと言われると、相当コンスタントに依頼が入らないと厳しいというのが実情です。先ほど挙げたPeterson氏ですら、大学教員をする傍らで言語作家として活躍しています。
とはいえ、専業で食べていく人自体が少ない業種と予想されますから、そこまで問題だとは思っていません。私もアカデミアの世界で言語の研究をしつつ、その知見を生かして「人工言語作家」として活動するだけでなく、自分の映画や音楽、小説など総合的な創作活動を続けていきたいと考えています。
幸運にも近年は人工言語関係で取材をいただく機会も増えてきました。こういった露出の機会を通じて、自分の考えるファンタジー世界を作り、発信し続けていくつもりです。「いつまでやるの」と聞かれることもありますが、やはり、自分の楽しいと思える限りは、創作も言語研究も、無限に続けていくのではないでしょうか。
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布施川 天馬(ふせがわ・てんま)
現役東大生ライター
世帯年収300万円台の家庭に生まれ、金銭的余裕がない中で東京大学文科三類に合格した経験を書いた『東大式節約勉強法 世帯年収300万円台で東大に合格できた理由』の著者。他にも『人生を切りひらく 最高の自宅勉強法』(主婦と生活社)、『東大大全』(幻冬舎)、『東大×マンガ』(内外出版社)、『東大式時間術』(扶桑社)などがある。
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(現役東大生ライター 布施川 天馬)
中野さんの研究は、どんなことに生かされているのか。東大生ライター集団「カルペディエム」の布施川天馬さんが取材した――。
■極限まで緻密に作り込まれた「架空の言語」
’Ändëjï boru mënys’at! Phomi məñäng dej Näkänö Tömöhïrö. Məñäng phuos’ëëw məjdejing pəsät goo, brëw thej puo-bäkïng phñəjwi sərïng.
いま、私がなんと言ったか、理解できた人はいるでしょうか。いきなり知らない言葉で書かれて、面食らった方ばかりかと思います。上記の文章は私がゼロから創った架空の言語「ウーパナンタ語」で記述されています。
直訳は「太陽と太陰の恵みがあなたにありますよう。私の名前は中野智宏です。私は学者になるために学び、同時に創作された言語の作者として働いています」。つまり、初対面となる皆様へ挨拶と、軽い自己紹介を兼ねた文章でした。
最初の一文はあいさつの定型文。Məñängは一人称sukの丁寧形。phuos'ëëwは「すべてを知る者」の意味で、賢者、学者などを指します。
Gooという接続詞で「~すると同時に」の意味が表せます。puo-bäkが「創造主」、接尾辞-ïngをつけて、文中で文法的にどんな役割を果たす語か示します。Phñəjの原義は「声」ですが、意味変化で「言葉」の意味になったもの。Phñəjwi sərïngで「人の手で創作された言語」を表します。
私はみなさんに外国語の講座をしたいわけではありません。それどころか、今私が綴った言葉は、地球上のどこにも存在しない言葉です。この「ウーパナンタ語」は、ディズニープラスオリジナル作品である『ワンダーハッチ 空飛ぶ竜の島』のために、私がゼロから単語や文法を作って組み上げた「人工言語」なのです。
■新しい言語を作る「人工言語作家」
「人工言語作家」という言葉は聞き馴染みがないかもしれません。人工言語作家とは、作品世界の中で話されたり綴られたりする言語の作成と提供が仕事のクリエイターのことです。
そもそも人工言語とは、その言葉の通り「人間の手によって人工的に作られた言語」を指します。私たちが普段使っている日本語や、英語、中国語などは、誰かが「これから○○語を作ろう!」と言って作られたものではありませんよね。このような言語を「自然言語」と呼びます。
これに対して、人工言語は、ある人もしくは集団が、何かしらの意図をもって作り上げた言語のことですから、成り立ちが全く異なります。
私は現在、研究者として研鑽を積む傍らで人工言語作家として活動しています。人工言語の作成を始めたのは、小学校の頃からで、もう始めて15年ほどにもなるでしょうか。
まだまだメジャーな分野とは言いがたい人工言語ですが、『指輪物語』あるいは『ロード・オブ・ザ・リング』に登場する架空言語のエルフ語は非常に質が高い人工言語の例として有名です。私も『ワンダーハッチ 空飛ぶ竜の島』で、劇中で使用される架空言語「ウーパナンタ語」の作成依頼をいただき、実際に制作に携わらせてもらいました。
■作り込まれた『指輪物語』のエルフ語に魅せられた
私が人工言語にハマったきっかけは、『指輪物語』でした。6歳頃から親の仕事の都合でパリに1年半ほど移住したのですが、フランス語なんてまったくわからないまま現地校に入学して、言語の壁の高さ、厚さを感じていて。
そこで、自分を救ったのが、映画『ハリー・ポッター』シリーズでした。そこからファンタジーの世界に魅了されていき、当時出ていたファンタジー小説はかなり読んだと思います。『指輪物語』には、その一環で出会いました。
劇中には、エルフやドワーフといった架空種族が登場するのですが、彼らが用いるのは、エルフ語などの架空言語なんですね。現代のファンタジー作品にも、架空言語はちょくちょく登場しますが、『指輪物語』に登場するそれは、明らかにほかの言語と一線を画すレベルで作り込まれていました。
原作者であるJ.R.R.トールキンは、文献学者・言語学者でもあり、その一方でファンタジー作家もやっている人でしたから、そのこだわりが強く出ていたのでしょう。なんにせよ、ファンタジーが大好きで、創作活動を始めたばかりだった自分には、「存在しない言葉をここまで綿密に作り込むなんて!」と衝撃で、そこから自分の創作にも架空の言語要素を足すようになりました。
とはいえ、当時は単純に音を置き換えただけのものなどもあり、本格的に人工言語と言えるものを作り始めたのは、私が中学生になってからです。
■作り込まれた人工言語は少ない
最近ではいろいろな作品で架空言語が使われるようになりました。ただ、実際に運用できるレベルまで作り込まれているものは非常に少ないと感じます。
最近の作品で私が感動したのはジェームズ・キャメロン監督が手掛けた『アバター』(2009年公開)の劇中での一幕。劇中で用いられるナヴィ語では、言葉の中に感情を表す接辞(通常それだけでは意味をなさず、語や他の形態素と組み合わさって意味を追加する要素)を付け足すことができます。
ナヴィ語では通常のあいさつは“Oel ngati kameie.”「あなたが見える」といい、最後の“kameie”にはポジティブな感情を表す接尾辞-ei-が挿入されています。ですが、主人公ジェイクが初めてイクランに乗る場面で、ヒロインのネイティリが婚約者のツーテイにあいさつしたときは“Oel ngati kame.”と「あなたが見える(がそれを特段嬉しく思っていない)」ことを遠回しに表しているのです。
字幕はついておらず、気付く人もほぼいないと思われるところまで、しっかり作り込まれている。これに気付いた時、私は観客としてもクリエイターとしても、大きく心が揺さぶられる思いがしました。
■文字を思い付きで羅列しているわけではない
作った人工言語は、いまでは数百種類に及びます。
もちろん、適当に思い付いた順番で作っているわけではなくて、種類ごとに作っています。言語には「語族」という種類分けがあるんですね。これは、共通の祖先から発展した言語グループのことを指します。
例えば、動物だと人間を「哺乳類霊長目……」と分類しますよね。これと同じように、英語は「インド・ヨーロッパ語族ゲルマン語派……」と分類します。動物たちが共通の祖先から分岐しながらさまざまな種類へと分化していったように、言語も共通の祖先(祖語)があって、そこから分岐して現在の諸言語があると考えられています。
そして、この子孫への受け継がれ方や起きうる変化には、ある程度の法則性が見られます。架空の生物を考えようとしたときに、いきなり生物それ自体を空想しても説得力がついてきませんが、環境の変化や進化の系譜から作り込めば、「なぜそのような形で生き残ってきたのか」に存在感、実在感が出てきます。
言語も同じで、祖先となる言語から、どんな変化が起きたかを考えながら、徐々に世代を発展させて作っています。こうすることで、私が言語作成の際に最も重視している「探索可能性」、すなわち私の作った人工言語を見た人が法則性や規則性を発見する楽しさに富んだ言語を作成することができます。
■人工言語にも民族の歴史や文化を組み込ませる
そもそも、言語とは何かしらの意味を伝える音信号の連続のことをいうのですが、スイスの言語学者のソシュールによれば、言語記号とその意味の結びつきには恣意性が見られます。
例えば、「犬」という概念を表すのに、日本語では/inu/、英語では/dog/という記号を用いますが、これらの音の並びは必然性があってそうなっているわけではないということです(歴史的な経緯があって現代の言語の語形があるわけですが、祖語における語形がなぜそうなっていたかは、究極的には必然性だけで説明することはできません)。
また、言語の背景にある文化によって、ある言語ではひとつの語彙で表される概念が、別の言語ではいくつにも細分化されることもあります。世界の諸事物に対してどう区切れ目を入れてどう呼び分けるかも、言語によって異なるのです。
ではエルフ語などの架空言語はどうかといわれれば、究極これは言語を作っている作者の意図次第でどうにでもなります。もちろん、僕が作ったウーパナンタ語、ヴァロケリム語、アルティジハーク語についてもそうです。
ただ、ある音の並びに対して思い付きで意味を当てはめていけば人工言語になるのかと言えば、そうではない。言語とは、やはり空中に突如出現するものではなく、背景にはその言語を使用してきた民族の歴史や文化を抱えているものだからです。
■人工言語にクオリティを求める理由
連綿と続く歴史や人々の息遣いが感じられるものであったほうが、完成度の高い人工言語になりやすい。私は、人工言語のクオリティの高さは、先ほど述べた「探索可能性」にあると考えています。これはすなわち、「観客がその言語に興味を持って調べたり考察したときに(つまり「探索」したときに)どれくらいその探索に耐えうるか」です。
『アバター』のナヴィ語も感情を表す接辞まで作り込まれているからこそ、実在の言語として運用される姿が想像しやすくなる。科学が発展した21世紀においても、現実世界には多くの謎が満ちている。であれば、空想世界についても同じであるべきでしょう。
そのためには、一人の人間がいくら掘っても堀りつくせないほどに、多重のレイヤーで構成されないといけません。
■実際の人工言語の作り方
実際に言語を作るときには、一番小さな単位から大きい単位へと広げるように作っていきます。具体的には、まずは音素目録から考えていきます。音素とは、意味を区別する上での音声の最小単位のことで、例えば「花」を私たちは「はな」と発音しますが、もっと小さく細切れにすれば、「h」の子音と「a」の母音が組み合わさって「は」が、「n」と「a」が組み合わさって「な」ができているでしょう。
一つの言語の中に存在する音素の数は有限であり、人間が出しうるたくさんの言語音の中から、人工言語の中でどれを使うかを選ぶところから人工言語制作は始まります。こうしてできた音素のリストを音素目録と呼びます。その次のステップとして、音素がどういう規則で並んで音節を形成するかなどを考えます。
これができたら、次は形態素です。「花火」は「花」と「火」に分けることができますね。ですが、「花」という語はこれ以上分けることができません。「は」と「な」に分けたら「花」という概念を指示できない。このように、意味を表すことができる最小の単位のことを「形態素」と呼びます。これを組み合わせることで多種多様な語を形成できるのです。
■作中に出ない部分まで緻密に作り上げる
こうしてある程度の数の形態素を設定したら、ようやく語を作成できます。言語によっては、屈折といって、語が文中での役割などに応じて変形することがありますが、その有無やパターンもここで決めます。語の制作が終わったら、次は文の作成ですが、そのためには統語のルールを、その次は実際の用例として語用・意味を……と、決めることはいくらでもあります。
ある程度完成したら、今度は用例を作ります。自分でその言語の文法問題を作って、自分で解いていく。こうして文法内の不整合を確認して、一通りないことがわかったら、ことわざや慣用句の作成に移ります。これらもまた、その言語の歩んできた歴史や価値観を表す重要なファクターだからです。
作品に登場させる人工言語については、作中で見えない部分まで作り込んでいます。登場しない単語、文法事項、ことわざ、慣用句……。一見無駄に思えるかもしれませんが、ここまで作り込んだほうが、言語としての説得力が上がります。
■ウーパナンタ語は1週間で完成させた
ディズニープラスの依頼で作ったウーパナンタ語は、実は当初納期が1週間で依頼されたものでした。普通は1週間だとかなり厳しいものがあるのですが、そこは仕事ですから、どうにか完成させないといけない。ですから、音素や形態素などコアの文法の部分だけ急ピッチで2日間かけて作りました。
そうしてざっくり形を整えた後で、5日かけてセリフを翻訳しつつ、ゆっくり細部を調整していきました。人工言語作成は大変な作業ですが、実際の言語変化の法則を活用して作っているので、時に自然言語に近しい現象が確認できることがあります。こうした時、自分が作ったはずなのに、謎のリアリティを感じられて面白く感じます。
この業界は非常に狭くて、プロとして活動されている方はほとんどいません。アマチュアの作家は結構な数いますが、そもそも商業作品から「うちの作品にオリジナル言語を作ってくれ」という依頼自体がなかなか発生しないんですね。
数少ない依頼は、『ゲーム・オブ・スローンズ』のドスラク語やヴァリリア語群などを監修したDavid J. Peterson氏のように、実績の豊富なごく一部の有名クリエイターの下へ行ってしまう。やはり依頼する側も実績がある方に依頼したいと考えるのが自然ですからね。そうした意味で、私に依頼をいただけたのは、大変幸運なことだと感じます。
■言語の研究をしながら「人工言語」を極めていく
撮影現場では、経験豊富な撮影チームの監督から「先生」と呼ばれるなど、私のような駆け出しにはもったいないくらい尊重していただけました。細かい部分の発音指導など、こだわりたい私には大変ありがたい限りで、良い経験でした。
一方で、実際問題として、人工言語作家だけでご飯を食べていけるかと言われると、相当コンスタントに依頼が入らないと厳しいというのが実情です。先ほど挙げたPeterson氏ですら、大学教員をする傍らで言語作家として活躍しています。
とはいえ、専業で食べていく人自体が少ない業種と予想されますから、そこまで問題だとは思っていません。私もアカデミアの世界で言語の研究をしつつ、その知見を生かして「人工言語作家」として活動するだけでなく、自分の映画や音楽、小説など総合的な創作活動を続けていきたいと考えています。
幸運にも近年は人工言語関係で取材をいただく機会も増えてきました。こういった露出の機会を通じて、自分の考えるファンタジー世界を作り、発信し続けていくつもりです。「いつまでやるの」と聞かれることもありますが、やはり、自分の楽しいと思える限りは、創作も言語研究も、無限に続けていくのではないでしょうか。
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布施川 天馬(ふせがわ・てんま)
現役東大生ライター
世帯年収300万円台の家庭に生まれ、金銭的余裕がない中で東京大学文科三類に合格した経験を書いた『東大式節約勉強法 世帯年収300万円台で東大に合格できた理由』の著者。他にも『人生を切りひらく 最高の自宅勉強法』(主婦と生活社)、『東大大全』(幻冬舎)、『東大×マンガ』(内外出版社)、『東大式時間術』(扶桑社)などがある。
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(現役東大生ライター 布施川 天馬)
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