●「ええかっこしい」は「アホ」の下
4月から初めて関西に住んだり、関西文化の強い企業に入ったりで、独特の文化への適応に四苦八苦している方も多いかもしれない。私は、関西に転勤する方にいつも「ええかっこしいは、アホの下」と、サバイバルアドバイスしている。
関西人に、「小林さんて、どんな人ですか」と聞いたとする。関西人が「小林か、あいつ、アホな奴や」とにっこり笑って答えた時の本当の意味は、「人間的魅力があるので、付き合うといいよ」である。一方、「小林か、あいつ、ええかっこしいや」と答えた時の意味は、「付き合わないほうがいい。口もきくな」という意味である。
実際、関西では「アホな奴」というのは、かなりの肯定的なニュアンスが含まれる。場合により、ほとんど同じ意味で使われる「おもろい奴」となると、もう明確に関西社会では高いステイタスを意味して尊敬の対象だ。関西の小学校では、モテる男の子は、足の速い子か、おもろい子だ。
話がおもしろいということは、「頭がいい」とさえ思われることがある。従って、「山田か、あいつは、アホな奴や。ギャグが切れる。頭ええで」などと、「アホ」と「頭ええ」の矛盾する表現が同居することすらある。
一方、「ええかっこしい」は、最低の社会的地位である。東京で「キザ」「野暮」といわれるような雰囲気が言動の一部に出てしまう人。最近では「KY」、つまり空気が読めない人。かといって、過度に丁寧なのも「気取っている」とみなされる。そういう「ええかっこしい」の人間には、関西では生存権はない。関西で息をする以上、「アホ」になることに切磋琢磨し、ゆめゆめ「ええかっこしい」と思われないようにしなければならない。
関西育ちの私が大学に入学して東京に出てきたとき、初めてのクラス会で、とても立派な発言をした人がいた。発言の内容は、間違いなく実に立派なのだが、私の受けた印象は「この人、よく二十歳まで生きてこられたなあ」だった。
関西では、そんなに立派な発言をする人は「ええかっこしい」と罵声を浴び、小学生からずっといじめの対象になる。間違いなく、小中高の12年間も生き延びることができない。
立派なことをいうときほど、慎重には慎重を重ね、ギャグをかませるか、オチをいれるかしなければならない。
●「なんぼのもんですのん」
それでは、ひとつ「ええかっこしいは、アホの下」法則の応用例をみてみよう。
以前に東京出身の優秀な遺伝子工学の研究者に聞かれたことがある。彼は、短期間だけ請われて京都大学で研究をしたことがあった。その時、下宿の大家のおばあさんに、「京都大学で何を、やってはるんですか」と聞かれた。まじめな彼は、戸惑いながらも「遺伝子工学です」と答えた。大家さんは「それって、なんぼのもんですのん?」と真顔で聞いたという。この研究者は、答えに窮した。彼の私への質問は、「こういうときに関西ではどう答えればいいのか?」というものである。
ここで、おばあさん相手に「遺伝子工学の今日的意義」を講義するようだと、関西では生存できない。答えは、難しいが「なんぼのもんでもありまへんがな」が適当なところだろう。「ごく潰しですわあ。
●関西人が東京に適応するには
関西人も、こうした関西文化と東京の文化の違いを理解しておけば、東京の社会に適応するときに役に立つだろう。関西人は、「ええかっこしい」とみなされるのを恐れるあまり、自己の過小評価をしてみせ、自虐的なギャグで笑いを取ろうとする。それが、東京の社会では、相手に違和感を与えることが多い。
つまり、過度に自虐的なギャグは、東京では「ドンびき」されることがあるので、注意したほうがいい。また、大組織で動くときは、自分の能力や状態を過不足なく正確に伝えて、効率的なチーム編成をしなければならず、自己の過小評価も組織には迷惑なことになる。
また、東京では「関西人はおもしろい」というイメージが定着していて、極端な人は関西人はみんな漫才師のような人だと勘違いしていることもある。そこで、ときによっては「関西人なのだから、さあ、いまからおもしろいことを言え」というような無茶な状況になることもある。このあたりは、最初に無理をしておもしろいことをすると後々が大変なので、無理せず、関西人がみんな漫才師ではないことを周囲に理解してもらったほうがいい。
何年か前に、日本のことをまだあまり知らないアメリカ人から、関西人のステレオタイプのイメージについて聞かれたことがある。
そこで私は、アメリカ人に関西人の説明をした。
こういう説明を聞くとそのアメリカ人は、「そりゃ、アメリカにおけるユダヤ人が持たれているステレオタイプのイメージとそっくりだ」と驚いていた。
どこか違うような気もする。アメリカ人と雑談して、探っていただきたい。
(文=小林敬幸/『ビジネスの先が読めない時代に 自分の頭で判断する技術』著者)