山下智久、新垣結衣が主演を務める『コード・ブルー』(フジテレビ系)の第5話が8月14日に放送され、平均視聴率は13.8%(ビデオリサーチ調べ、関東地区)となった。第1話以降、下がり続けてきた視聴率だが、なんとか先週の視聴率をキープできた第5話。
天野奏(田鍋梨々花)の緊急手術を終えた藍沢耕作(山下智久)は、疲労がピークのなか、藤川一男(浅利陽介)にノロケ話を聞かされていた。妻であるフライトナースの冴島はるか(比嘉愛未)のつわりの大変さを語りながらどこかうれしそうな藤川。さらに救命スタッフたちは緋山美帆子(戸田恵梨香)の不倫話で盛り上がっていた。そこへ工事中の下水道が増水し、作業員とレスキュー隊員が流されたとドクターヘリ要請が入る。
軽傷と判断されたレスキュー隊員の処置をフェローの名取颯馬(有岡大貴)に任せ、白石恵(新垣結衣)とフライトナースの雪村双葉(馬場ふみか)は重体患者の元へ向かう。名取は意識のあるレスキュー隊員を見て楽勝だとほくそ笑み、二次対応の病院へ搬送。一方、白石が担当した作業員は低酸素脳症で意識不明のため、翔陽大学付属北部病院・救命救急センターに搬送された。
処置に奔走していた最中、冴島が突然倒れる。子宮からの出血を確認した緋山は冴島の対応に回る。さらに、先ほど名取が対応したレスキュー隊員が急変したとの連絡があり、翔北の救命に転送されることになった。
骨盤骨折の患者は白石たちの適切な処置で意識を回復するが、冴島の赤ちゃんは助からなかった。もっと早くヘリを下りていれば……と自分を責める冴島に、かける言葉が見つからない藤川。悩む藤川に藍沢は「結婚は幸せになるためにするんじゃない。大変な出来事を2人で乗り越えるためにするものだと思う」と語りかけた。
それぞれが目の前の出来事に向き合う状況下で、名取は自分と向き合えずにいた。白石からの叱責を茶化し、意識を取り戻したレスキュー隊員の倉田正敏(大谷亮介)が、低酸素脳症の状態から回復できない作業員を見て悔やむ姿を「あの状態で救えないのは仕方ない」と発言し、暗に自己弁護に走る。自分が悪者になっていく状況に苛立ち、心に響きそうになる倉田の言葉も無理やり振り払っていた。
頑なな名取の姿に白石が悩むところ、冴島は退院。緋山は好意を寄せる患者・緒方博嗣(丸山智己)に呼び出され、離婚届けの証人欄にサインをしてほしいと頼まれる。サインをしながら奥さんのどこが好きだったのかを聞く緋山。「美人で、頭が良くて、強くて、それで俺の料理を一番初めに美味しいって言ってくれた人」と語る緒方。
冴島は産むことができなかった赤ちゃんの火葬に向かう中で、藤川に「はるかは事故の後に、一番初めに赤ちゃんのことを思った。良いお母さんだ」と言われ、藤川と共に前を向く決心をする。救命では低酸素脳症の患者も意識を取り戻し、安堵する倉田。その姿を見た名取は、「骨盤骨折を見落としたのは僕です。申し訳ありませんでした」と初めて人に頭を下げた。
一方、藍沢は奏の後遺症を確認する場にいた。ゆっくりと手を動かす奏。後遺症は無さそうだとの判断にうれし涙を流す。しかし、母親から差し出されたハンカチに手を伸ばした瞬間、その手は震え出してしまうのだった……。
「患者の本当の痛みに医者はどうやって向き合うべきか」というテーマが描かれた第5話。
まず、「こんな医者に罹りたくない」という人が多すぎる。誰しも初めは未熟だし、成長していく姿を描くのがドラマだとは思うが、ここまで医者としておかしい人が集まると、そもそものリアリティが崩壊してしまう。第5話までにフェローのダメっぷりを一人一人丁寧に描いてくれたが、彼らに「頑張れ!」とエールを送りたくなるような感情にさせてくれない。これは、誰も本気で叱らないことが原因のようにも思う。確かに現代の理想とされる「叱り方」は相手のプライドを傷つけないように理解させることなのかもしれないが、ドラマの中で何度もこれをやられるとフラストレーションが溜まる一方だ。誰かが、本気で、全身全霊で怒鳴ってやる姿をなぜ見せてくれないのか? それでも食らいついていく姿に人はエールを送りたくなるのではないか。
そして人と人との関係が表面的にしか描かれていないという点を、第5話でも強く感じた。
緋山の恋も同じで、緒方の奥さんの存在ってなんだったの? と頭の中で疑問がグルグル回る。描き方が中途半端で、緒方と奥さんの別れの理由が「もう料理ができなくなったから」だけでいいのか? そういうことなのか? だとしたら、怪我をした後に別れ話が出たってこと? と理解に苦しむ。あまり必要のない人なら、出さないほうが余程いいと思ってしまう。
前シーズンまでは、ほんの数分しか出ていないキャラクターでも、その人の感情とドクターたちとの関係性が良くわかり、患者が助かったり亡くなったりすることに非常に重みがあった。だが今回は、生死の一つ一つがただのエピソードで終わってしまっている感が否めない。ドラマは作り手のもので、どう変えたって制作側の自由だ。だが、『コード・ブルー』には歴史がある。過去、積み重ねてきた思いで視聴する人が圧倒的に多いだろう。
(文=西聡美/ライター)