山下智久、新垣結衣が主演を務める連続テレビドラマ『コード・ブルー』(フジテレビ系)の第8話が9月4日に放送され、平均視聴率15.4%(ビデオリサーチ調べ、関東地区)を記録。初回から下がり続けていた視聴率が、第8話になって先週より2.0ポイントの大幅アップを果たして15%台に。

視聴率1ケタ台のドラマが当たり前になってきたなかで、この数字は素直にすごいと思うし、『コード・ブルー』のファンがいかに多いかの証明でもある。でも、だからこそ、高い視聴率に喜ぶことと同じぐらい、厳しい感想にも真摯に耳を傾けてほしいと願わずにはいられない。 

 線路に転落したフェローの灰谷俊平(成田凌)は大事に至らず、すぐに現場復帰を果たすが、白石恵(新垣)は「誤って落ちた」という灰谷の言葉が腑に落ちず、心配を募らせていた。復帰後の灰谷は病的に患者の容体や薬剤の処方を厳しくチェックし、母親が「いつもの仮病」と言う腹痛の少年を入院させるほど慎重になっていた。灰谷を黙って見守る藍沢耕作(山下)も、天野奏(田鍋梨々花)がこぼす絶望の言葉が心に刺さったままの、苦しい日々を過ごしていた。

 そんななか、成田空港で意識を失った男性がいるとドクターヘリ要請が入る。緋山美帆子(戸田恵梨香)とフェローの名取颯馬(有岡大貴)、フライトナースの雪村双葉(馬場ふみか)が現場に向かい男性の処置をするが、名取が男性に刺した注射針が誤って緋山に刺さるトラブルが起こる。救命に運ばれた男性は大量の吐血の後に死亡してしまう。エボラ出血熱が疑われ、緋山も感染の有無が判明するまで病室に隔離されることに。

 一連の出来事で苛立っていた緋山は、フェローの指導方針をめぐって白石と衝突し、険悪なムードになる。名取は強がってはいるものの、犯してしまったミスの大きさに押しつぶされそうになり、緋山が思いを寄せる患者・緒方博嗣(丸山智己)に全てをこぼしてしまう。緒方は感染のリスクを気にもかけず緋山の病室に押しかけ、緋山の不安や苛立ちを和らげるのだった。


 緋山の言動により、自分はリーダーに向いていないのではないかと思い悩む白石も、橘啓輔(椎名桔平)から「お前をリーダーに推したのは緋山だ」と打ち明けられ、さらに緋山のいない部屋で一夜を過ごしたことで、白石の悩みも氷解。翌朝、緋山の病室に真っ先に向かった白石は「あなたがいなくて寂しかった。同居することで救われていたのは自分のほうだ」と思いをぶつける。2人の関係が修復されたところで、救命にデパートで意識を失った男性に対するドクターヘリ要請が入る。大動脈瘤の男性の受け入れで慌ただしくなるなか、灰谷が入院させた少年も腹内出血で急変する。

 藍沢と白石は男性の処置から手を離すことができず、灰谷、名取、横峯あかり(新木優子)のフェロー3人で少年の対処をすることになる。パニック状態の灰谷を、横峯と名取が叱咤激励してなんとか少年の命を救い、藍沢からも「よくやった」と言葉をかけられる。大喜びする3人の絆は強まり、灰谷も少しずつ自分の弱さを克服していった。

 緋山の検査結果も陰性で、無事に現場復帰。自分を責め続ける名取に「治る傷はどんどん経験したほうがいい。そうやって他人の痛みもわかっていく」と語りかける。緋山の言葉に名取は涙を流してうなずく。
その夜、緒方と初デートを楽しむ緋山。家に戻った緋山を抱きしめる白石。救命の仲間たちがそれぞれにチームであることの意義を感じる一方で、奏の手術をめぐって藍沢と新海広紀(安藤政信)の間には埋めようのない溝ができていくのだった。

 見たくない描写を集め、見せるべき描写をカットし、セリフだけを豪華に装飾すると、こんなにも見る者の心を逆撫でするドラマになるのかと、妙に冷静に分析してしまう第8話だった。「言葉を信じるな。行動を見よ」というのは実社会だけではなく、ドラマにおいても言えることを強く実感した。行動の描写がなく、セリフだけで重要な部分を説明されても白けるだけだ。

 前シーズンまでの『コード・ブルー』には言葉なんていらなかった。ある出来事があり、その出来事に対して誰がどう行動し、どんな表情をするかですべてのメッセージが伝わった。描写を見て湧き上がった感情を邪魔しないシンプルな言葉(セリフ)が、さらにドラマを深いものにし、自然と心が揺さぶられた。これまでの『コード・ブルー』だけではなく、良質なドラマというのは総じてそういうものだと感じる。

 ところが『コード・ブルー3』は、灰谷の事故の背景やドクターヘリの出動シーンなど「見せるべき描写」が少ないだけならまだしも、あえて見せないでほしいというシーンが多く、見るに耐えなかった。
緋山の苛立ちの描写はただただ性格が悪いように写るし、畳んだ衣服を足で散らかす描写は笑って済ませられるレベルではない。奏が藍沢を追い詰めるセリフを並べるシーンも胸糞が悪くなっただけだった。

 極めつきは、患者の死因を笑いの種にしたシーン。たとえ軽いシーンとはいえ、『コード・ブルー』でこの描写をするなんてあり得ないのではないか。特に今シーズン中にやられると、息抜きになるどころか「やはり命を軽く扱っている」と嫌悪感しか芽生えない。

 以前『コード・ブルー』の医療監修は非常に緻密だという記事を読んだことがあるが、針が刺さったことをすぐに報告しない緋山や、病院全体がパニックになるかもしれない感染症の情報をうかつに患者へ話す名取、そして検査結果が出ていないにもかかわらず患者と病室で過ごす緋山の姿に疑問ばかりを感じて、ストーリーに集中できなかった。奏が脳の大手術をしたのにサラサラロングヘアをキープしていることも地味に気になる。医療監修的にOKだったとしても、視聴者にこんなにも違和感を抱かせる描写はNGなのではないか。

「奏の腫瘍を自分が切除して藍沢を出し抜きたかった」という最後の新海の告白も、これ以上医者に絶望させないでくれ……とため息しか出ない。過去の思い出は捨てて、今シーズンの良いところを探そうと思ってもどうしても見つからない。もちろん、すべての視聴者がそう感じているわけではないだろうが、一視聴者として制作陣に強く訴えたい。『コード・ブルー』は何を伝えるために生まれたドラマなのか? どんな思いで脚本家が台本を書き、俳優陣が自分の身体と心を使ってメッセージを伝えてきたのか? 生みの親なら子供が生まれた瞬間のことを思い出せるはずと信じたい。

(文=西聡美/ライター)

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