僕はイタリア料理が好きですが、イタリア料理といえばパスタですね。特に、トマトベースのパスタが好きです。

そこに少々の唐辛子を入れると味が引き締まりますし、たくさん入れるとアラビアータになります。しかし、これらは「アメリカ風パスタ」と名付けたほうが正確なのです。

 実は、イタリア料理には欠かせないトマトと唐辛子だけでなく、ドイツの国民食ともいえるジャガイモ、イギリス人が初夏の楽しみにしているイチゴ、ベルギー名産のチョコレート、アフリカの人たちがよく食べるトウモロコシも、すべてアメリカからやって来たものなのです。

 1491年10月11日にコロンブスが新大陸・アメリカを発見するまでイタリア人は、ニンニク・スパゲッティをせっせと食べていたのかもしれません。少量の唐辛子を入れるペペロンチーノは、まだありません。一方、アジアにおいても、コロンブスが活躍した大航海時代以前は、インドカレーや韓国キムチは唐辛子からくなかったことになります。

 しかし、アメリカから持ち込まれたのは良いものだけではありませんでした。今では少し肩身が狭くなったタバコもそうですが、大問題となったのは梅毒でした。中米ハイチあたりの風土病だった梅毒を、コロンブスの船の船員がヨーロッパに持ち込んでからの感染力はすさまじく、アジアにもあっという間に伝わり、日本にも倭寇を通じて感染者が出たのは、コロンブスが新大陸を発見してからたった21年後の1512年です。西洋人が初めて日本を訪れるより数十年も先駆ける感染力の早さでした。

 ちなみに、ここ数年、日本で梅毒患者が急増していると伝えられています。昨年は44年ぶりに報告数が5000件を超え、さらに今年はそれを上回るペースといわれています。


●独特な世界観を生みだしたシューベルト

 さて、コロンブスの時代から約300年後の1800年代ヨーロッパ。あるひとりの作曲家が梅毒にかかりました。彼の名前は「シューベルト」。歌曲『魔王』や『野ばら』『未完成交響曲』で有名な作曲家です。彼が梅毒に感染したのは1818年といわれていますが、潜伏期があるので、実際に梅毒の診断を受けたのは、1822年です。

 ドイツのコッホ博士が細菌自体の存在を発見したのが1876年ですので、まだ梅毒の原因である「梅毒スピロヘータ」などは知られていません。シューベルトが梅毒と診断された時はまだ25歳で、最高傑作とも称される『未完成交響曲』の作曲を始めた頃です。正式な名前は、『交響曲第7番(以前は『8番』ともいわれていた)』。通常の交響曲には4つの楽章があるにもかかわらず、この交響曲は2つしかないので、“未完成”と呼ばれています。実際に、1、2楽章を作曲した後に3楽章の作曲も始めたのですが、なぜかそれ以上はできなかったのです。

 僕は、小学生の時に初めて聴いた時から、そして実際に指揮するようになってからも、毎回、この交響曲に接するたびに、自分が不思議な感覚を持つことに気づいていました。なんだか精神が浮遊しているような、幻の世界の中に音が鳴っているような不思議な感覚です。
これは、それ以前のシューベルト作品では感じられない不可思議な感覚であり、『未完成交響曲』最大の魅力でもあります。

 シューベルトの病状について、少し調べてみました。1996年1月、国際フランツ・シューベルト研究所機関紙「Brille」に、ハンス・D・キームレ氏が投稿した説によると、『未完成交響曲』を作曲していた時は、梅毒の第1期から第2期への移行期くらいだったようです。この時期であれば、まだ神経障害は生じません。とはいえ、当時の梅毒は“不治の病”とされており、長くは生きることができないといわれていました。そんな悲劇的な状況に対する大きなショック。そして、神に見放されたかのような思いと、半面、神の救いへの渇望。そんなことが入り乱れて、シューベルトは『未完成交響曲』を作曲しましたが、1楽章は彼の苦悩を音楽にし、2楽章では神の救いを音楽にした時点で、これ以上、もう書くことがなくなってしまったのかもしれません。特に、2楽章の最後は、神の光が降りてくるような音楽で終えていますが、すべての苦悩が、音楽によって浄化し、解決した後になって、もう3楽章には続けられなくなったのではないかと、僕は勝手に解釈しています。

 それから6年後、彼は31歳という若さで亡くなってしまうのですが、死ぬ前年に作曲した彼の最後の大作ともいえる歌曲集『冬の旅』では、24曲からなる曲集の最後のほうにいくほど、幻想と現実のはざまで作曲したかのような音楽になっていきます。これは、感染後10年くらいで現れる梅毒による神経症状と、当時一般的だった水銀治療による中毒症状が生みだした名作といえるかもしれません。しかし、彼の苦しみのお陰で、後年の我々にとっては“見えない世界を聴かせてくれる”ような、魅力的な音楽として残されています。


 そのほかにも、ドイツの大作曲家・シューマンも、梅毒で神経が侵されたといわれています。真相はわかりませんが、若い時から長い間、神経疾患に悩まされていたシューマンは、とうとうおかしくなってしまい、ライン河に飛び込んでしまいます。幸いにも一命をとりとめましたが、それからはずっと精神科病院の中で一生を終えることになりました。一方で、彼の音楽もシューベルトと同じく、独特な世界観を持っており、世界の聴衆の興味を惹きつけ続けています。

 画家のゴッホやロートレックも、梅毒による神経症状が引き起こした精神的に不安定な状況の中で、幻覚をもキャンバスに書き込みました。“超人哲学家”のニーチェも、脳梅毒の悪化のため、むしろ精神が昂進し、精神活動が盛んになった10年の間に数々の著作を残したともいわれています。

 梅毒は、1942年にペニシリンが実用化されたことで、やっと治療の道が広がりました。今は治療すれば治るようになりましたが、かつての人々は、何が本当の原因かもわからず、神からの罰と考え、おののき耐えながら、死を待つしかなかったのです。そんな苦悩の中で、命を振り絞るように素晴らしい芸術作品を世に残してきた芸術家たち。現在の我々にとっては、残された素晴らしい作品を通じて、彼らの思いを推し量るしかありません。
(文=篠崎靖男/指揮者)

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