近年、企業で働く人の3人に1人が、過去3年間にパワハラを経験しているといいます。国もその対策や解決を声高に求め、対策を立てる企業も増えてきています。
●感情と事実に分けて対応できていない
まず、パワハラ問題がこじれる1つめの理由は、パワハラ問題に潜む感情と事実の2つの要素を考慮して対処していないからです。
パワハラ問題への対処には、「感情の救済」と「事実の認定(クロなら処罰も)」という2つの異なる要素があります。この2つの要素があることと、その要素の優先順位が、ハラスメントに関わる立場によって異なることが、多くのハラスメント問題をこじらせているようです。
まず、パワハラを受けた相談者は、救われたいという感情と、パワハラを自分が受けたという事実を認めてほしい、そしてできれば相手を処罰してほしいという希望があります。
一方、パワハラをしたとされる相手には多くの場合、そのようなクレームがされたことに対する怒りや失望、落ち込みといった反発の感情が生じます。そして、そのクレーム内容が事実とは認定されたくないという事実への否定や、もしくは自分はパワハラをしていないと考えるに至りますが、後者のほうが多いです。ハラスメントとは「加害者の意図に関係なく行われたこと」と定義されていますから、このような反応は当然なものとも言えます。
そして、会社側の立場としては、まず相談者の感情を助けたいと考えます。が、それは必ずしもパワハラの事実を認定し、加害者を処罰するということではないのです。会社にとってパワハラ事実の有無判定は、あくまで一連の定められているプロセスです。
このように、パワハラに関わる3者の求める内容や優先順位が異なることを認識せず、「訴え→調査→判定と処罰」を行っている限り、多くのわだかまりが生じることは容易に想像がつきます。
対処案としては、パワハラの判定プロセスが定められているのと同じように、相談者の精神面のフォロー体制もしっかりと構築し、感情の救済も並行して行えるようにすることがあげられます。
●処分や罰則ありきのパワハラ規則と調査委員会
パワハラ問題がこじれる2つめの理由は、パワハラがあったと認定された場合の処罰が事前に決まっていることもあるからです。
パワハラを起こさせない抑止力としては、パワハラが認定された場合の加害者に対する処罰は厳しくあるべきですし、その内容は社員たちに公表されるべきでしょう。しかし、規則で決まっている処罰があると、多くの場合、パワハラの有無の判定時に、その“処罰から逆算”してパワハラの有無を認定するかどうか考えてしまうようです。
実際に私が相談を受けた社員1万人規模のある会社では、パワハラ認定されると加害者は退職と決まっていました。年間に(認定される)パワハラが何件あるのか聞いたところ、片手に収まるほどでした。自分の産業医経験から、その数が少なすぎること、この会議に出ていた若手社員たちが下を向いていたことなどから後日、他の社員たちにヒアリングすると、パワハラの相談や調査依頼は他社並みに多数あるものの、調査委員会では多くのケースは“退職”させるほどのものではないという理由で、なかなかパワハラありと判定されないとのことでした。
対処案としては、パワハラ調査員会は、処分や罰則が決まっていて、その処分が妥当かでパワハラの有無を判断するのではなく、パワハラの有無や程度を判定し、それによる処分や罰則を適用するという順番の徹底しかありません。
●主治医が問題をこじらせる
パワハラ問題がこじれる3つめの理由は、主治医です。
パワハラ被害者が身体的精神的にダメージを受け、実際に病気になってしまうことは少なくありません。
しかし残念なことに、この診断書の書き方に難があり、パワハラ問題がこじれてしまうケースも少なからずあるのです。
病気であれば、診断名もあるはずです。公式文書である診断書ですから、診断名には疾患名(病気の名前)を書くべきでしょう。診断名はICD-10(WHOによる国際疾病分類)にあるような正式な疾患名でなく、打撲、抑うつ状態、自律神経失調症などの俗称や症状の記載でも許容できると思います。
しかし、ときにこの診断名に「パワハラによるうつ病」などと書かれていることがあります。このようなとき、私は素朴な疑問を感ぜずにはいられません。主治医の先生は患者だけの話を聞いて、どうしてパワハラの有無を公式文書に記載するほどの確信を持てるのでしょうか。ハラスメントを認定した根拠が、一方だけの訴えでは、話が通りません。
多くの場合、そのような診断書は患者社員に言われるがままに書かれたのでしょうが、自分の名前で診断書を発行することの重みを、もう少し自覚してほしいと思ってしまいます。
会社の立場に立ってみると、社員に症状がある、病気である、働ける状態にないなどの医学的判断を専門家に判断してもらうことに反論はありません。しかしながら、ハラスメントの有無を会社の調査委員会等が判定する前に、「ハラスメントによる~」という診断書を提出されたとき、のちのちのことを考えると、会社は素直にこの診断書を受け入れることはできなくなってしまうのです。
「医学的内容は受け入れますが、ハラスメントの有無を判定してもいないときから、しかも一方のヒアリングだけであたかも事実確定のように書くなんて」と思う会社と、「医者もハラスメントと書いているのだからハラスメントなの。早く相手を処分してほしい」という相談者の気持ち。問題解決に向けて協力せねばならないのに、両者の気持ちに乖離が生じてしまう瞬間です。
産業医からの経験としては、主治医の先生は診断名にパワハラという文言は書かずに、診断名の下の説明のところに、「患者さんはパワハラと言っています」や「患者さんによると原因は職場での嫌がらせとのことです」など、“患者さんによると“と客観的事実の記載に止めてくれたほうが、会社のプロセスは非常に円滑に進みやすいです。
対処案としては、パワハラの解決に向けた各自の役割について、日頃から関係者が知っておくことでしょう。主治医はパワハラ判定ではなく医学的判断に徹し、会社は感情の救済(産業医やカウンセラー等)と事実の有無の認定(調査委員会等)を並列して進めること、そしてそのようなプロセスがあることを日頃から全社員が知っておくことが大切だと思います。
●こじれないための処方箋は初期対応にある
私は産業医として年間1000人以上の働く人と面談をしています。パワハラの最初の相談窓口となることも多々あります。一方からしか話を聞かない私の役割は、初期対応としては相談者の感情の救済であり、パワハラの有無の判定ではありません。
過度な期待を持っている相談者には、パワハラの程度にもよりますが、結局は会社としてのパワハラの処罰は「落としどころ」的な意味合いもあり、関係者全員が納得というケースは少ないと感じているとお話しすることもあります。
また、パワハラの程度にもよりますが、その有無判定とは、必ずしも相談者が言うがままに「あり」となるものではないこと、「あり」の場合でも、加害者への処罰内容は会社が決めるものであり、厳しい処罰で相談者が救われるものとは限らないことをお伝えすることもあります。パワハラがあったと判定されても、必ずしも加害者が退職するわけではないのが現実です。
その上で、まずは実際にパワハラの有無を調査し判定を仰ぐかの判断を相談者にするように促しています。公平な判断のためには、会社は相談者社員だけでなく関係者各位からヒアリングをする必要があること、相談者がヒアリングに耐えられそうもない状態にあるときは、その旨お伝えし、実際にクレームとしてあげるのは待つことを提案もします。
このような対応をしていても、パワハラの問題は、関係者全員満足の結果になることは稀で、非常に難しいものと感じています。
ぜひ、読者の皆様においては、このようなパワハラの相談から判定につながる落とし穴とその対応方法を知ることで、もしものときも慌てずに対処できるようになり、自分や周囲のために、少しでも役立てていただければ幸いです。
(文=武神健之/医師、一般社団法人日本ストレスチェック協会代表理事)