女優の中谷美紀さんが、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団のビオラ奏者、ティロ・フェヒナーさんと結婚されたというニュースが話題になっています。おふたりが国境を越えてお付き合いされているということは、報道を通じて知っておりましたが、中谷さんは女優ですし、フェヒナーさんも世界一忙しいオーケストラのひとつであるウィーン・フィルの団員なので、いろいろな垣根を越えての結婚といえるでしょう。

本当におめでとうございます。

 ウィーン・フィルといえば、元日に生中継される「ニューイヤーコンサート」が有名ですが、僕にとっては指揮者としての原点ともいえるオーケストラです。

 日本の大学を卒業し、指揮者の卵として悶々としていた20代。11月2日付の本連載『オーケストラのプロの指揮者になる方法は、指揮者自身もよくわからない?』にも詳しく書きましたが、指揮者としての看板をあげたのはいいものの、どこからもお呼びはかからず、イタリアの指揮者コンクールで最高位を受賞して、ようやく仕事が入ってきましたが、自分の勉強が足りないことを実感していました。

 すべてを辞めて、成田国際空港から音楽の都・ウィーンに飛んだのは1995年。27歳の頃でした。ウィーン国立大学の指揮科で勉強できることとなり、まずはウィーン・フィルの演奏会を聴かないとと、当地ウィーンでも入手困難なチケットをなんとか手に入れて聴いた曲が『マーラー交響曲第5番』でした。すっかり打ちのめされてしまいました。オーケストラというもののイメージが大きく変わるような、僕にとっては大きな事件でしたが、前半のプログラムでは、日本の作曲家、武満徹さんの作品も素晴らしく演奏され、「音楽には国境なんてないんだ」と強く実感した演奏会でもありました。

 つまり、このときからウィーン・フィルに夢中になったのです。とにかく留学中に、ウィーン・フィルの演奏を1分1秒でも多く聴かなければ、と思っていました。友人の日本人留学生の先生が幸運にもウィーン・フィル団員だったので、そのつてで正式に許可をもらい、リハーサルに通うことができました。


 裏話ですが、許可をもらう前はどうしていたかというと、潜り込んでいたのです。ウィーン・フィルのコンサート会場であるウィーン学友協会大ホールは、1870年に完成。それこそ前出のマーラーも指揮をしており。世界一の美しさと響きの良さを持っているという評価通りの素晴らしいホールです。

 このホールの正門は、リハーサル中は鍵が閉まっているので入れません。仕方がないので楽屋口から入るのですが、そこには怖い大きな門番が居て通れません。しかし、それなりに攻略法があって、「上の図書館に行くから」と言うと通してくれるのです。とはいえ、図書館は週に3日しか開いていないので、それ以外の日は通れません。そんなときは、門番がよそ見をしているときに、さっと通り抜けるんです。運悪く見つかってしまうと、文字通りつまみ出されてしまいます。

 ところが、まったく大丈夫な日がありました。それは、小澤征爾先生が指揮をなさっているときです。
門番も、「日本人だから、小澤マエストロの関係者だろうから」と通してくれたのです。

●ウィーン・フィルは日本人女性と結婚する楽員が多い

 ウィーン・フィルのリハーサルは、さぞや上品に静かに進行していくのではないかと思っていたら、まったく違います。ちなみに、日本のオーケストラが世界で一番静かだと思います。当時のコンサートマスターのひとりであるウェルナー・ヒンクさんなどは、本番は気品あふれるソロを披露しますが、リハーサルではチェロのトップと怒鳴り合っていますし、楽員もなんだかざわざわしています。ヒンクさんは、もちろん音楽のことで論議しているわけですが、そんなやり取りの後、指揮者が指揮棒を振り下ろすと、この世のものとは思えない音楽が、ホール一杯に広がっていきます。なんだか魔法のような時間でした。

 しかし、そうでない日もあります。第一コンサートマスターのライナー・キュッヘルさんがコンマス席に座っているときは、楽員もかしこまっているんです。キュッヘルさんは、弱冠20歳からウィーン・フィルのコンサートマスターを務め、レベルの維持と向上に努めてこられた名コンサートマスターです。何よりも、音楽に対する態度はとても厳しく、楽員から一目も二目も置かれているのですが、その睨みの利かせ方も鋭いんです。彼は、2年前にウィーン・フィルを退団し、現在はNHK交響楽団のゲストコンサートマスターとして、日本でも活躍していますが、実は彼の奥様は日本人です。キュッヘルさんが音楽以外に興味があるのは日本語だそうで、日本語辞書を読むのが趣味と聞いたことがあります。
日本人の弟子から聞いた話では、レッスンも日本語だそうです。

 実は、ウィーン・フィルの楽員は、日本人女性と結婚している方が多いのです。自己主張がはっきりしすぎている欧米の女性よりも、日本人女性のほうが献身的で可憐に感じるのだと聞いたことがあります。そういえば、キュッヘルさんの先輩の名コンサートマスター、ゲルハルト・へッツェルさんの奥様も日本人でした。

 中谷美紀さんも、「また、楽員が日本人女性と結婚したらしいよ。有名な女優らしい。綺麗な女性だなあ」と、スムーズに受け入れられると思います。

 さて、もう今年もあと1カ月となりました。あっという間に正月です。クラシック・ファンにとっては、先述した元日のニューイヤーコンサートが待っています。シュトラウス作曲の『ウィンナ・ワルツ』を、世界各国のお茶の間に向けて生放送で放送しており、今ではオーストリアの広告塔にもなっていますが、実はウィーン・フィルは1年に1度しか『ウィンナ・ワルツ』を公式には演奏しないのです。しかも、元日という特別な日のコンサート。
実際に、コンサートのチケットを入手するのは不可能に近く、入手できても大変高価です。ウィーン・フィルの公式ホームページを見ると、来年のチケットは最高額が14万円です。しかも、これは抽選に当たった方のみで、それでも安く買えたラッキーな方です。街中の民間のチケットセンターでは、倍以上の値段で売られています。

 このニューイヤーコンサートの観客席には、ものすごく日本人が多いそうです。では、彼らはどうやってチケットを手に入れるのでしょうか。実は、ツアーが数多くあるのです。たとえば前回は、産経新聞社が8名限定の旅行企画を行ったのですが、12月30日に日本を出発する6日間のツアーで、1人189万円というものでした。
(文=篠崎靖男/指揮者)

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