3月17日、ロック歌手の内田裕也さんが肺炎のため79歳で死去した。故人を惜しむように、生前の人柄を示すような豪快なエピソードや行動が伝えられているが、約8年前に私がお世話になった際の話を振り返ってみたい。
2011年11月20日。民主党政権が主催する公開型の「提言型政策仕分け」に出席し、蓮舫内閣府特命担当大臣に花束を渡した足で、内田さんは銀座へ向かっていた。
内田さんを出迎える私は、昭和通りで待っていた。数分後、白いジャージに黒いジャケット姿の内田さんが、こちらへ向かってくる。すれ違う女子高生がテレビで見かけるロックンローラーの姿に驚いている。
「はじめまして。本日はよろしくお願いします」と頭を下げると、内田さんは私の目を見て「おぉ、ヨロシク!」とあいさつしてくれた。この日、私は自分がかかわる競馬雑誌「競馬大予言」(笠倉出版社)の企画で、内田さんに登場していただいたのだ。
コーナータイトルは「ロックンローラーの馬券塾」。内容は「その日のレースを予想して馬券を買っていただく」「競馬に関する思い出を語っていただく」「表紙を飾っていただく」の3つである。喫茶店の個室で競馬新聞を開いた内田さんは「よし、ここからいくか」と新潟メインの福島記念を予想した後、軽くジョークを飛ばした。
「原子力だTPPだなんて言った後、ここ(競馬雑誌の取材)に来るヤツなんかいねぇだろ。
半年前に起きた、交際中の女性とのトラブルをネタにしてくれたのだ。その一言で笑いが起きた直後、同行していた編集者が内田さんがマークしたカードと現金を受け取った。マークカードに券種が記されていなかったため、編集者が「これは3連単ですよね?」と聞いたところ、内田さんは顔をゆがめて叫んだ。
「てめぇ、クセぇなこら」
鼻が悪い私は気づかなかったのだが、その編集者は前夜、餃子をたんまりと食べてきたという。二日酔いが抜けていない彼に「なんと緊張感がないのだろう」とあきれていたが、近しい者でさえ言いづらいことを内田さんは迷いなく指摘した。
ヤバい、機嫌を損ねたかもしれない。そう思った私は、カバンから3枚の写真を取り出した。それは、内田さんが主催してきた「ニューイヤーズ・ワールド・ロックフェスティバル」のライブ風景の写真だ。
「内田さん、実は私、高校生の頃から通わせていただいておりました」
ビートたけし、沢田研二、ラッツ&スター、ARB、スターリン、アナーキーといった当時の出演アーティストをバックステージから写した写真である。どこからかバックステージパスを手に入れた仲間が私にくれたおかげで、私は楽屋裏でライブを目にしていた。
ライブ終了後、エレベーターに乗り込んだ際に内田さんと一緒になると、内田さんは私を見て「誰だお前は」といった視線を投げかけた。当たり前である。
「内田さんに見つめられた直後、ブルッて頭を下げました」と告げると、内田さんは笑顔で「わはは。そうか。おい、ビール頼んでくれ」と機嫌を直してくれた。「話の流れで出してみよう」と思ってアルバムから抜き取ってきた写真が、思わぬところで役立ってくれた。
●6番と9番を大事にする理由
内田さんの馬券の買い方は、私が目にしたことがない手法だった。「好きな数字は大事にすべし」と語る内田さんは、6番と9番にまず目をやった。「ロック馬券」をベースに馬券をイメージするのだそうだ。
福島記念を勝ったのは1着固定した9番のアドマイヤコスモスだったが、4頭塗った2着欄に2着の馬番がなく、3着欄には塗られている。せっかく勝ち馬を当てたのに2着が抜けてしまった。配当はなんと236倍。私なら地団駄を踏んで悔しがるところだが、「そんな安い配当はパスだ! そこんとこヨロシク!」と内田さんは笑顔である。
次のレースの予想を終えると、内田さんは競馬での武勇伝を語ってくれた。当時からさかのぼること5年前、競馬で50万円近く儲けたのも束の間、財布をスラれてしまったのだという。
「頭にきてねぇ。取り返してやろうと徹底的に予想したよ」と挑んだのは、翌日のNHKマイルC。大事な数字である6番のロジックが勝ち、3連単20万馬券を的中させる。払い戻し金額は「スラれた金額とほぼ同じ」だったという。
「8年前、ロンシャン競馬場のパリ大賞典の日だった。タクシー代と晩飯代だけ残してVIPルームに入ったんだ。カウンターのボーイに『なんかいい馬いない?』と聞いたら、1番と6番だと。それで素直に1→6の馬単を買うと、100万円近くになったんだ。ボーイにご祝儀を渡しに行ったら、ほかの連中も並びやがった(笑)」
イメージと直感を大事にする、内田さんらしいエピソードだった。
●「それが『格好良く負ける』ってことだ」
レース後、オグリキャップやサイレンススズカといった思い出の名馬の名を口にしながら、話は競馬という文化、そして馬が人間に与えた恩恵に向かっていった。
「寺山修司さんとケンカしたことがあるんだけど、彼の名言は『競馬新聞は文学を超えるほどおもしろい』。なぜなら、いろんな馬のデータが全部載っているよね。1日中推理ができる。競馬はギャンブルのイメージもあるけど、決してそうじゃないんだな」
「日本はもちろん、中国や韓国の遊牧民族は馬に恩恵をもらっているよね。ビートたけしと宮沢りえと俺でパリで映画を撮ったとき、古代ヨーロッパの人間は生きるために城、食物、武器、そして馬を大事にしたんだと思わされたんだ」
迎えた最終レースのマイルCS。内田さんは、とてつもない決め打ちに出た。 3連単のオッズを見ると、1番人気が80倍から始まっている。本命サイドでも十分に高配当が期待できると踏んだ内田さんは、3連単の上位人気120通りをすべて買い込んだのだ。総額12万円。ちなみに、前の2レースでこの日のギャラはすべて消えており、最後は自腹購入だ。
あわてたのは、餃子を食べてきた編集者だ。
「間違えてもそれはそれだ。気にするな。間違ったって、それが当たることもあるかもしれねぇだろ。まぁ、こんな買い方は邪道でな、この前は124番人気がきちゃったよ。ハズレたら『120通り買って当たらなかったロックンローラー』って書いていいぞ」
断っておくと、内田さんは決して予想を放棄したのではない。このレースには外国馬が2頭出走しており、かなりの本気モードだった。「2頭のうちの1頭であるサプレザが馬券になりそう」という見解を示しており、実際にサプレザは3着に入っている。
どうせ負けるなら派手に負けてやる。そんな内田さんの思いが伝わってきた。
「悔しいけどな。いいんだよ。ストレス発散だしな。ただ、悔しさはすぐに忘れたほうがいい。それが『格好良く負ける』ってことだ」
結局、内田さんはギャラの2倍を超える金額を費やし、すべて失った。実に多くのミュージシャンに慕われてきた理由が、競馬を通じて少しだけ理解できた気がした。
内田さんと決して別れなかった樹木希林さんの「だって、お父さんにはひとかけら純なものがあるから」というセリフを耳にしたとき、私はこの日の内田さんを思い出した。合掌。
(文=後藤豊/競馬ライター)