政府与党は、この秋に予定されている消費増税の税収分の使途の目玉として、高等教育の学費私的負担の低減策を掲げ、関連法案の国会審議が始まった。いわゆる「大学無償化」政策である。



 この制度は、住民税非課税世帯(親子4人世帯で年収およそ255万円以下)から子どもが大学・短大・専門学校に進学する場合に、給付型奨学金を支給し、授業料を免除する(政府が肩代わりする)というものだ。ただこれを「無償化」と呼ぶのは誇大表現で、既存の奨学金制度と授業料減免制度を拡充し、低所得層の学費負担を軽くするというに過ぎない。支援を満額受けたとしても、一般的な進路である私立四年制大学文科系の学費全額はとても賄えない。

 そもそも日本の高等教育への公的支出額は国際的にみて極めて少なく、その分だけ大学学費の私的負担が重い。そこでこの政策は、低所得層に進学のチャンスを拓くことと絡めながら、この学費問題を改善しようとするものだ。格差是正の大義を前に、野党も正面からの批判の糸口を見つけられず及び腰になっている。

 だが、この政策が拙速に施行されようとしていることに、本当にこれでいいのか?との声も上がっている。いくつかの矛盾や疑問点が挙げられる。

●対象者は国民全体の1%以下

 政策の中身が具体化するにつれて、これは高等教育の拡充というより、低所得世帯への再分配政策としての意味合いを強く持つものだということがみえてきた。簡単にいえば、18歳人口120万人のうち、所得が低い3分の1ほどを対象に、大卒などの学歴の「購入」を扶助しようという制度なのだ。

 アメリカにはフードスタンプという公的扶助制度がある。1960年代以来、低所得層に対して、栄養摂取に不可欠な食料品を購入する場合に限って使えるバウチャー(現在は電子カード)を支給しているのだ。
「大学無償化」は、所得を基準にした公的扶助であるという意味において、このフードスタンプ制度と似ている。

 だが決定的に違うところがある。フードスタンプの場合は、扶助の対象となるのは5000万人ともいわれる低所得世帯全体だが、「大学無償化」の場合は、子どもがちょうど高校を卒業するという世帯で、かつその進路が就職ではなく大学などへの進学である場合に限られるということだ(初年度はすでに在学中の学生も対象)。学費が貸与ではなく無償給付されるのは、多くみても各学年30万世帯ほどだろう。すべての国民から徴収した税の一部が、国民全世帯の1%にも満たない該当世帯に、数年間にわたり50~100万円という規模で再分配されるという計算になる。そのために消費税増税分の1割強にあたる年度総額7600億円の予算を確保しているという。

●波及効果は見込めない

 確かにこの政策で、高等教育への公的支出が増えるので、外形上は公教育を重視したかたちにはなる。しかしこの7600億円は、市場を経由することなく、国庫から私立大学などの高等教育機関の財政を直接潤すしくみになっている。フードスタンプが食品の流通や消費を促進し、市場を活性化する作用をもつのとは大きく異なっている。

 もちろん長期的にみれば日本の労働力の質を高めるが、当面は新たな雇用を生むわけでもない。それどころか、高卒進学者が順当に増えれば、今でも不足が懸念されている20歳前後の若年成人労働力はさらに減少する。安倍政権としては、ちょうどその分を並行して進めている外国人労働者の受け入れ拡大により埋めることになるので、帳尻は合うことになるのかもしれないが、本質的な成果も、波及効果も大きくは見込めない。
私はミクロ経済学・労働経済学の専門家ではないが、これらは素人でもわかることだ。

●むしろ新たな格差を生じる面も

 食料品の購入と大卒学歴取得を比較するのはナンセンスかもしれないが、「消えモノ」のフードスタンプと違って、学歴は生涯にわたって利用できる。それが20世紀生まれの人びとには高額であったのに、ちょうど今年受験する21世紀生まれの世代のからは、急に安く手に入るようになるというのだ。高等教育進学の経済的な障壁が下がることはよいことなのだが、全ての世代がそのメリットを受けるには、長く継続することが必要だ。国民の1%に対する支援は40年ほど続けなければ、国民の4割に行き渡った状態にはならない。

 当面は生産年齢人口のなかに、学費が高かった世代と、大学に安く行けた世代の間の新たな格差が生じる。とくに、これまでも時代のめぐりあわせが悪かったロスジェネ世代の社会人たちには、少なからぬ不公平感が生じるだろう。この急な制度改正が、民主党政権時代の子ども手当のように、思い付きで何年かやってみたがやめた、というなりゆきになるのは最悪で、大きな混乱を生じるはずだ。

●当事者のニーズは誰も知らない

 では、支援を望んでいるはずの若者たちは、この青天の霹靂に歓喜しているのか。私は、これが国民が待ち望んでいた政策であるのかということについても、疑問符が付くとみている。次のことを再考してみよう。

 まず、家庭の経済的な事情により進学を断念しようとしている高校3年生は、いったいどれくらいいるのだろうか? そしてそのうちのどれだけの数が「大学無償化」の法案通過を受けて、「うちは住民税非課税世帯?」と親に家計の状態を尋ね、それなら進学しようと進路変更するだろうか?

 さらにかれらは、専門学校、短大、上位から底辺までの各ランクの大学にどれくらいの比率で進学するのだろうか? 言い換えれば、これにより志願者数が増える学校は、東京大学なのか専門学校なのか?

 私はこうした学歴をめぐる社会意識の調査計量を専門としているが、ここで挙げた疑問点についてエビデンスに基づいた実態を知らない。
「何を無責任なことを!」とお叱りを受けるかもしれないが、無責任なのは研究者ではなく、根拠なく政策を進めようとしている政治の側のやり方である。せめて高校の教員に進路指導の現場の状況の聞き取りくらいはしてから、政策立案すべきだろう。

 あくまで私見だが、この制度は当事者たちの関心を惹かないで不発に終わるという可能性もあると思う。実際に、次年度から大学進学率が急に伸びることは想定されていないし、受け入れる側の各大学も色めき立つことはなく、事態を静観している。

●多様な人生をサポートするバランスのよい政策が望まれる

 私は、低所得世帯の大学進学を支援する必要はないと言っているわけではない。それは今も昔も重要な課題であり、今回の「大学無償化」政策も全く無意味だというわけではない。だが十分な下調べもせず、何千億円も予算化するのは消費増税の税収の最善の使い道だとはいえない。

 今なけなしの税収で講じるべき対策は、低所得層の大学進学の障壁を下げることだけではない。学費支援があるとしても、なお大学に進学しないで社会に出ようと決める高校生、大卒学歴を得ることなく社会に出た20~40代の社会人たちにも、大学進学者と同等の公的な支援の手を差し伸べることが同じくらい重要だ。

 国はこの政策を打ち出すことで、18歳~20歳で大学に進学することが「勝ち組」の人生を歩むための唯一の道であり、この公的ルートを巨費を投じて支援するが、そこで大学に進学しない若者たちは一切サポートしないというメッセージを発しようとしている。

 自らが大卒エリートである政治家も官僚も企業人も知識人も、大卒学歴至上主義を疑うことはないだろう。しかし全国民がその価値観に同意して、大卒学歴を基盤とした「人生ゲーム」を戦っている、だからそこに参戦できないでいる人に経済的な支援をしよう、という考え方は少し傲慢ではないだろうか。


 社会的な成功へのルートは、何も大卒学歴を得ることだけではないはずだ。人生の幸福をつかむには、その他にも多様なルートがあるべきで、国はそのすべてを支援すべきだ。高校を出て地元で職を得ている20代の若者たち、小さな子どもを育てながら社会を支えている若い父母たち、人生の途中でやりたいことを見つけ、リカレント教育や起業を考えている人たち――。秋からはそんなだれもが消費税を2%だけ多く払うことになる。それがバランスを欠くやり方で再分配されるならば、納得しない人も少なくないはずだ。
(文=吉川徹/大阪大学人間科学部教授)

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