●「魂動磨き」の誕生
マツダ本社工場の一角には、機械加工がすんだ金型が並べられている。これを造形を崩さないように、金型職人たちが一つひとつ手で磨き、1ミクロンレベルの「面粗度」に仕上げていく。
「表面はあたかもピカピカに見えるけれども、機械加工目であるカスプを落とさなければいけない。大手の自動車メーカーさんは、それを機械でやろうとする。だけど、われわれは面粗度は人の手でやる。デザインさん、モデラーさんの思いは、機械ではつくれない。人の手ならではの味わいが金型に注ぎ込まれる。機械でミクロンのカスプを落とそうとすると何十時間もかかってしまうし、デザインのこだわりの想いは再現できない。だから、磨きの現場は『魂動デザイン』を必死で理解し、その極意を頭に叩き込んでいる」
人の手の重要性について、こう熱弁をふるう金型部門の橋本昭の作業着の腕の部分には、なんと「魂動」の2文字が縫い取られているではないか。複雑なかたちをしている金型の磨き作業は根気がいる。作業者の技能に依存する部分が大きい。しかも、単に磨けばいいというわけではない。やみくもに磨けば、形状が痩せてしまう。
「最初、われわれはカスプを落としきって、きれいになったということで、『できた、できた』と大威張りしとった。
最終磨き作業で製品形状面を丁寧に仕上げ、金型の組み立て作業に入る。こちらも難題だ。単に部品を組み合わせただけでは使いものにならない。誤差のまったくない加工は不可能だからだ。小さな誤差が重なれば大きな誤差となり、金型の合わせ面に隙間が生じてしまう。だから、加工された各部品を削りながら、微妙な調整を図っていく。
しかも、「魂動デザイン」は車体に曲面を多用している。加えてキャラクターラインを使わずに、光と影のリフレクションでエモーショナルな動きを表現するために、金型の合わせ作業には“神業”が要求される。
「これがもう至難の業でね。面と面が全部一体になるようにつくっていかなきゃいけない。
果たして、思い通りに金型を磨き込めるか。ブレイクスルーとなったのは、クレイモデラーが“ご神体”を制作する姿である。クレイモデラーはご神体に命を吹き込むかのように、リフレクションを通したい方向へと面を磨いていた。これを金型の磨きに応用したのだ。
生まれたのが、「魂動磨き」である。それによって、キャラクターラインに合わせて面の連続性を出せるようになった。
課題はまだ残されていた。砥石である。美しい仕上げ面と正確な寸法仕上げには、よい砥石が欠かせない。では、よく削れる砥石がよい砥石なのかというと、そうとは限らない。市販の砥石は、一擦りで7ミクロンから8ミクロン削れる。
「最初、広島の砥石メーカーは全然話に乗ってくれんかった。愛知の砥石メーカーが既製品をもってきたけど、ダメだった」
金型製作部は、独自の砥石の開発に踏み切った。
「砥石の3要素の組み合わせを示し、砥石メーカーと共同開発した」
できあがったのが、5ミクロンの精度で磨くことのできる「魂動砥石」である。「勝手に名前をつけさせてもらった」と、橋本は胸を張る。
また、狙い通りの光のリフレクションの再現を確認するために、金型製作部は2016年、「ゼブラ投光器」を導入した。20本以上の蛍光灯が車体にシマウマ柄の曲線を映し出す。「ゼブラ投光器」を使って、デザインのCADデータと照らし合わせ、確実にデザイン面通りのリフレクションが再現できているかどうかを確認する。
「ラインの流れを見ながら、完璧になるようにやっていく」
金型の仕上げ工程は、文字通り匠の世界だ。
「匠と称する技をもつ超ベテランは、ツボを押さえているというか、ある種独特の技能がある。そういう人をもっとつくらにゃいかん。だから、勘とコツの領域を要素分解して、どういう訓練をすればいいかに踏み込んでいる」
金型仕上げ職場は、磨き作業のあるべき姿を探るため、品質工学を用いて磨き作業を機能分解した。あるべき姿を「最小の砥石使用重量で、加工後のカスプのみをすべて除去する状態」と定め、そこから基本機能を設定した。4つのポイントを作業手順に落とし込むことで、若手でもベテラン同様の磨きができるようになった。
「ここだけは絶対に外してはいけないポイントいうのが、磨きの領域にはある。
金型部門は現在、「ツーリングビジョン2025」に取り組んでいる。高度で複雑な「魂動デザイン」を効率よく量産するための取り組みである。
●マス・クラフトマンシップ
マツダのクルマは、人間中心の開発哲学から生まれる。だから、クルマづくりにおいて、心地よいと感じる人の感覚や研ぎ澄まされた感性をつくり上げる職人技、すなわちクラフトマンシップを大事にしている。その職人技を、いかに量産車に反映させるか。金型の現場が大切にしているのが、クラフトマンシップとマスプロダクションのいいとこ取りを実現する「マス・クラフトマンシップ」だ。
「デザインさん、モデラーさんの職人技を量産につなげるには、手仕事に加えて、効率性も重要になってくる。効率を考えるうえで欠かせないのは、職人技の『技能』を『技術』に進化させることだ」
一例は、プレス金型だ。金型の設計には、コンピュータ・シミュレーションが不可欠だが、限界もある。その限界を数値と経験による勘で見極めながら、理想の金型の形状を探っていくのだ。金型づくりには、鉄との“対話”が欠かせない。鉄には曲げると戻る性質がある。
したがって、鉄の性質を踏まえて匠の経験を織り込んだ“見込み値”を設定し、金型をつくる。クラフトマンシップとマスプロダクションのいいとこ取りだ。手作業による匠の技と科学的な手法との融合といえる。
「デジタル化するには、プロセスのなかでなぜそういうことが起きるのかをわかっていなければいけない。そうでないと、ウソのモデルベースになる。大切なのは、数値だけでなく、モノの本質。シミュレーションだけではダメ。だから、最後は人の手もいる。われわれは、両方を目指している。一番のポイントは、モノのからくりの解明にある」
日本の金型産業は、優れた技術者、技能者の取り組みに支えられてきたことは確かだ。だからこそ、日本の金型は長年にわたって世界一の座を維持し、日本の製造業の発展に重要な役割を果たしてきた。橋本は、次のように自負を述べる。
「金型というのは、転写技術なんです。だから、転写される側の精度は、どこまでも追求すべきだと私は思っとる。プラスチックだろうが、鉄だろうが、樹脂だろうが、何がきてもいいように、金型をきっちりつくり上げて、絶対に再現できるようにしなければいかん」
ところが、2000年以降、日本の金型産業は厳しい局面を迎えている。
「金型は日本の得意中の得意ではあるけれど、リーマン・ショック後の円高で半分つぶれたからね」
2008年9月のリーマン・ショックの影響を受け、金型の生産量は激減した。かつて40%を超えていた日本の金型の世界シェアは、現在、20%を切っている。そして、型種によっては中国と韓国に抜かれているのだ。橋本は、わが国の金型業界について、こう語る。
「リーマン・ショック後、中国、韓国があちら値段で台頭してきた。しかも、彼らはお金をもっているから、新しい設備もどんどん入れてくる。でも、お金にかまけて機械で勝負しようとしても、そこから先はムリ。しかも、中国や韓国では、人が定着しない。だから、日本から人を呼んでくる。だけど、それではノウハウの伝承はできない。リーマン・ショック後、日本の金型の生産能力自体は落ちた。しかし、生き残った会社は確かな技能と技術を持っている」
当然、マツダも日本の金型産業が抱える苦悩と無関係ではいられない。マツダの金型製作が強みを発揮し続けるには、サプライヤーにも力をつけてもらわなければならないからだ。マツダは今後も、金型製作を自社で抱えていく方針に変わりはない。課題はどこにあるのか。
「金型の内製化率はもっと上げていく。よいものをつくるのは変わらないが、つくる量は倍にする必要がある。効率化は絶対に避けては通れない」
日本の金型産業が競争力を維持するには、ネットワークやCAD/CAM/CAEなどのIT活用による、生産システムのさらなる合理化、技能、技術の伝承に向けた仕組みづくりなどが課題になる。
「ドイツは、機械を5年ごとに更新する。それができるのは、産官学で金型をつくっているから。金型を専門に学べる大学もあり、マイスター制度も整っている。それに比べて、日本は民間企業にまかせっきりで、投資にも限界がある。初期費用をどれだけ削るかに汲々としている」
加えて、求められるのはクルマの開発期間の短縮を受けた、金型製作のスピードアップだ。
「おまけに、試作型が消え、極めて短いスパンでたくさんの量産型をつくらなければいけなくなった」と、橋本は言う。
これまでは試作部門にて簡易の試作金型を製作し、実験用のクルマをつくってきた。ここ最近ではその試作型をなくし、いきなり量産金型を製作している。試作金型をなくすことができたのは、マツダが1996年以降、取り組んできた「MDI(マツダ・デジタル・イノベーション)」のおかげだ。ITを駆使し、クルマのデザインや部品を従来の平面設計図から3次元の立体画像に置き換え、すべてをコンピュータ上で処理する。製品開発の精度が上がり、金型修正および設計変更などの手戻りがなくなり、開発期間を大幅に削減できた。
「しかし、シミュレーション、シミュレーションといっていますが、数値の世界だけではダメで、モノの本質がどこにあるか、なぜ、そういうことが起きるかをわかった上でデジタル化しないと、絶対に違う答えが出てくる。シミュレーションですべてがわかるわけではない」
こう橋本は語る。
アジア諸国などの追い上げが激しさを増すなかで、ITの活用による生産システムの合理化が求められるのは確かだ。しかし、それでもなお、蓄積してきた日本の金型の強みをないがしろにしてはいけないということだろう。
実際、マツダが美しいクルマをつくり続けるためには、金型へのこだわりが欠かせない。金型こそが、マツダのデザインの背骨を支えている。金型製作部のこだわり、そして匠の技なくして、デザインの力を原動力にマツダを進化させることはできないのである。
(文=片山修/経済ジャーナリスト、経営評論家)

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