ずっと年下の男性をみても、そうだ。
そうなると、恋愛対象が「既婚者」になってしまう確率もどうしたって高くなってしまう。
よく「好きになった人に、たまたま奥さんがいただけ」というフレーズを耳にするが、私はこの言葉が好きではない。なんだか非常に開き直っていて、不倫を正当化させているように聞こえるからだ。でも、一方では「確かに、そうとしか言えないよなあ」とも思う。
私も何度か不倫を経験したが、振り返って考えてみても「好きになった相手が既婚者だった」という、言葉そのままの状態で、無防備に恋愛に突入している。
不倫のはじまりっておかしなもので、ブレーキを踏むべきところで、逆にアクセルをふかしてしまうのがお決まりではないだろうか。罪悪感なんて1ミクロンもない(少なくとも私の場合は)。
もしそんなものがあったら、もっと手前で折り返している。様子見とはいえ危険地帯に近づいている時点ですでに「この人と恋愛したら、どんな日々が待ち受けているのだろうか」とか「どんな愛し方をするのだろうか」など、アクセルを踏んだあとのことしか妄想していないのだ。
危険地帯にずっぽり入り込んだあとも、私の場合、罪悪感などはわき起こらなかった。
そもそも、罪悪感を感じるのは男性の役割でしょ。「家で夕飯作って待っている妻がいるのに」そう思いながら、他の女性を抱くのだから。その罪悪感で、びっしりと寝汗をかいたり、ときには男性機能が役立たなかったりしたこともある。
「ははは、今日は飲み過ぎたかな」「今夜は暑いよね」などとあれこれ言い訳をする男性の目を、まっすぐ見つめるのだけは避けてあげる。横目で見ながら「ああ、苦しんでいるのだな」と、妙に冷めた気分で、横たわる男性の体温だけを肌で感じている。
相手の妻は妻で、夫の不倫を知ってか知らずか「妻という存在オーラ」をあちこちで放つ。
たとえば、洗濯物の香り。男性から抱きしめられると、ふわりと柔軟剤の優しい香りに包まれることがある。
不倫経験者の女友だちと話している時、そのひとりがこんなことをつぶやいたことがあった。
「結婚指輪って、まるで意味がない」。
私もほかの女友だちも「ほんと、意味がない!」「本気で意味がない!」と鼻息荒くシュプレヒコールのようにその言葉を繰り返した。
男は、結婚指輪をしたまま、妻以外の女性の手を握ることができるし、その指で他の女性の体を触ることが平気でできるのだ。
手をつないだとき、とくに相手がギュッと強く握り返したときに、結婚指輪が私の中指を薬指の根元に食い込んで痛みを与える。「痛い」と声に出しても、男性は「ごめんごめん。強く握り過ぎちゃったね」と、とんちんかんな反応をする。男性は、こちらの本当の痛みに気づくことはない。
「結婚指輪していたって、やることはやるのよ。
「指輪には、意味がある」と。
自分の目が届かないところで、ほかの女性に痛みを与えている。そしてその痛みは、ひた隠しにしていた「みじめな気持ち」に直結して、鈍く響いていく。
無機質で硬質な物体から放たれる「揺るぎない存在」が、じりじりと「みじめゾーン」へと追いこんでいく。だから、結婚指輪には、やはり十分「意味がある」のだ。
最初こそ「女としての自信」を与えてくれた男が、今度は「自信をなくさせる原因」と変化するのは案外早い。結局は「選ばれない女」であることを身をもって知ることになり、そのみじめさと、「わかっていながらこの恋に進んだ自分の愚かさ」にとどめをさされ、打ちのめされるのがお決まりパターンではないか。
だから、もう不倫はしない。絶対にしない。
きっぱり誓ったのだが、でも将来、果たして「恋する人」が独身なのかどうか、まったくわからないから困ったものだ。
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