彼と同棲生活をしていても、その先に結婚を考えたことはありませんでした。カッコつけた言い方をするならば「彼はいつか私から巣立っていく」と思っていたんです。
いまはただ年上に憧れる年ごろで、同年代の子が行かないような飲食店に行ったり、知らなかった遊びも体験できる。世界が広がっていくサマが楽しいだけだ、と。そして、いつか自分と釣り合う人を見つけていくんだろうなって考えていました。
それともうひとつ、DV夫との結婚が地獄すぎて「結婚は二度とすまい」と固く心に誓っていました。元夫からの暴力だけじゃなく、親戚付き合いにも辟易したんですね。
結婚って当人だけの問題じゃなく、否が応でも親や親戚が付随してくる。うまく関係が築ければいいけれど、私の場合はそうじゃなかった。最初から元夫の親戚から「関東の人間は嫌だ」と、拒否反応を示されていました。
盆暮れ正月、GWに帰省してコミュニケーションをとろうとしても、誰も目も合わせてくれない疎外感。でも長男の嫁だからと冠婚葬祭ではフル活用されるし、いざ夫のDVが始まっても知らん顔。
結婚に微塵も興味がなかった私とは対照的だったのが彼でした。具体的なプロポーズこそないものの。スーパーからの帰りの道で彼はよく「一緒になったら毎日こんな感じかなあ」などと言っていました。「別に一緒にならなくても毎日買い出しには行くんじゃない」と突っ込む私に、彼はショボーンとしていました。
あるとき、私は勤務先の社長から「ちょっといいか」と肩を叩かれました。「今日の夜な、六本木の叙々苑に来い。待ってるぞ」と。突然の呼び出しに私は戦々恐々。緊張しながら叙々苑に行くと、社長の向かいに彼がちょこんと座っていました。そして、私の顔を見るなり社長は笑顔で持ってたトングを振り振りこう言い放ちました。
「おう、待ってたで! コイツから話は聞いた、一緒になってやってくれ! コイツには年上女房がぴったりや!」
そう、彼は結婚のため外堀から埋める作戦に出たわけです。
彼の両親と会ったのも、同じくだまし討ちでした。彼が「友達との飲み会に彼女もみんな連れてくるから」というので連れ出された日のこと。繁華街に行くハズが、そこは横浜の住宅街。なんと彼の実家のすぐ近くだというではありませんか。ゴネる私に「もう両親が待ってるから」と彼も譲らず、さらに兄が迎えに来る始末。「またしてもやられた」と、叙々苑の悪夢が脳裏をよぎりました。
それでも「"バツイチ・年上"の私みたいな女は年配の女性は嫌がるだろうし、追い返してくれるに違いない」と妙な自信がありました。
実家のドアを開けるなり彼の母が「まあまあまあ! ようこそ~!」と、いきなりハイテンションで出迎えてくれました。居間に通されると挨拶もそこそこに、彼の母は分厚さで定評のある結婚情報誌『ゼクシィ』を両手で掲げるように持って、こう言い出しました。
「私ね! 結婚式は雅叙園がいいんだけど、どうかしらっ!?」
一瞬、私は頭が真っ白になりました。「え、雅叙園......?」。頭がクラクラしながらも「いかん、この流れを食い止めねば!」と、慌てた私。そうだ、自分から嫌われるようなことを言えば追い返してくれるに違いない。私は残念そうな顔をして「じつは離婚歴があって......」と言いはじめたところで、彼の母は遮るように首をヨコに振りました。
「この子から全部、ひととおり聞いているのよ。
祝い酒を午前中から飲んで、隣ですでにベロンベロンになっている彼の父も深く頷きました。
「それにね、この子なーんにもできないでしょう。私の育て方が悪かったんだけど。だから年上って聞いたときに"よかった~"って思ったの! 安心して任せられるわ。これからうちの子、よろしくね~!」
この親にしてこの子あり。彼の無垢さはこんな両親に育てられたゆえなのか、と合点がいきました。「結婚して彼と家族になりたい」とは一度も思わなかったけれど、このとき「私、この人をお母さんって呼べたら毎日楽しいだろうな」って、ものすごーく思ったんです。だから、彼との再婚を拒否するのをこの日を境にやめました。さんざ「結婚は懲りた」といいながら、変わり身のはやさに我ながら呆れますが。
一重にも二重にも外堀から埋められて、プロポーズらしきものをされた覚えがなく半年後に入籍しました。子どもだと思っていた彼も、こんな策を巡らすようになったのですから大人の階段をものすごい勢いで駆け上がっていたようです。
雅叙園じゃなかったけれど、お母さんの要望を全部詰め込んだ披露宴をしました。
次回は同棲生活ともちょっと違う「年下夫との結婚生活」について書いていきます。どんなときも頼りにはならない、甘えん坊の年下夫がやっぱり仕上がりました。
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