人口減少を乗り越えるために、「ジェンダーギャップ解消」を掲げ、その戦略的かつ包括的な手法で注目を集める町がある。兵庫県豊岡市。
豊岡ならいける、と感じた3つの条件
大崎さんが豊岡市と初めて接点を持ったのは、2018年のこと。ジェンダー・スペシャリストとして、全国の自治体との関わりも多い大崎さんだが、知人から依頼を受け、豊岡市の担当者から話を聞いたとき、これならいける、という手応えを感じたという。
「ジェンダーの問題は、対症療法的な取り組みをして結果が出る、という生易しいテーマではありません。さまざまなステークホルダーが手を組んで、組織の構造や社会のありようといった根本から変革を起こしていかないと実現できない、とても大がかりな取り組みなのです」 (大崎さん)
「ジェンダーの問題は、対症療法的な取り組みをして結果が出る、という生易しいテーマではありません。さまざまなステークホルダーが手を組んで、組織の構造や社会のありようといった根本から変革を起こしていかないと実現できない、とても大がかりな取り組みなのです」
大崎さんが、国連時代に手がけた調査で明らかになった「ジェンダー主流化プロジェクトを成功に導く3つの条件」が以下だ。
首長がジェンダーの問題に関心を持たず、専門の部署を作っても十分な予算を投資せず、「ジェンダーの問題なんて誰でもできる」と専門家を投入せず、現場任せ。そんな生ぬるい姿勢では、当然変化は起きづらい。
「その点、豊岡市の中貝宗治・前市長は、ジェンダーギャップ解消の重要性を何度も何度も言葉にして説き、予算を確保し、必要な人材を配置していました。また、主担当者になった市の職員が、皆さん行政経験が長く、地元企業や教育関係など、地域のキーパーソンたちといい関係を築けていたことも大きかった。分野横断的なネットワークを持つ方たちが陣頭指揮をとったからこそ、コミュニティ全体を巻き込めていけたのです」(大崎さん)
ジェンダー主流化の第一歩は、男女別データを読み解くこと
撮影/中山実華2021年春まで、通算5期20年にわたって市長を務めた中貝宗治・前市長は、絶滅の危機に瀕したコウノトリの野生復旧事業や、演劇を通じたまちづくりなど、“突き抜けた政策”で、市政を牽引してきた。その前市長は、人口減少を解決する糸口として、なぜジェンダーギャップ解消に目をつけたのか。
その鍵は、2015年度に実施された国勢調査にもとづく「若者回復率」のデータにあった。
豊岡市の若者回復率の推移<1980年~2020年>(豊岡市役所サイトより)
課題をしっかりと把握するうえで、データを読むことの重要性を大崎さんは強調する。
「ジェンダー主流化の第一歩は、男女別のデータをしっかり見ることです。豊岡市は、若者回復率に示された男女間のギャップに着目したからこそ、この背景にはどんな要因があるのだろう、と次のステップに進めたのです。背景を調べていくと、 市内の男女別の平均収入額と非正規雇用率、市役所内の管理職の男女比率、育休取得者の男女比率、同じ勤続年数の男女の職員が経験してきた職務 ……さまざまな関連データから、性別役割分業を前提とした社会や経済のしくみが、はっきりと浮かび上がりました」 (大崎さん)
2019年夏から市の取り組みに参画した大崎さんは、まず、若年層と経営者、地域のリーダー層の男性の声をヒアリングするところから始めた。見えてきたのは、人手不足や高齢化に対して、経営者や地域のリーダーたちが抱いている危機感。そして、性別役割分業の意識は低く、仕事に対しては働きがいを求める、若者たちのフラットな感性だった。 大崎さんらは調査で得た声を提言書にまとめ、 2020年12月に提出。それを受け、市は多世代・多様な立場の男女で構成されるジェンダーギャップ解消戦略委員会を立ち上げ、商工会議所会頭が座長を務めた。
この戦略にもとづき、市は、さまざまな分野でジェンダーギャップ解消の取り組みを行なっている。ジェンダーギャップについて考える啓発マンガの制作から、ジェンダー視点に立った保育・教育を考える教員向けの研修会、働きたい女性向けのビジネスセミナー開催など、その手法は多岐にわたる。
結果、自治会の役員を目指す女性や、起業にチャレンジする女性の数も増えてきたという。少しずつではあるが着実に、ジェンダー規範の強かった町に、“ジェンダー平等”の概念が広がっているのだ。
経営者たちの本気の取り組みが、働く女性たちを変えた
一方、豊岡市内の企業におけるジェンダー平等推進の核となるのは、「ワークイノベーション推進会議」だ。市民たちとワークショップを重ね、そこから吸い上げた声をもとに、働きやすさと働きがいの向上を目指し、2018年秋に発足した。現在は市役所をはじめ、110を超える企業や事業所が名を連ねている。
参加企業は、「働きがいと働きやすさ」に関する匿名の従業員意識調査を、従業員に対して行う。
「無記名ということもあり、調査結果はかなり辛辣だったそうです。男女間の待遇差や評価に対する不満など、これまで口をつぐんできた女性たちの本音が出るわ出るわ。でも、これらの本音と向き合えるかどうかが、リーダーが真に課題にコミットメントしているかどうかのリトマス紙。
企業経営者たちが、厳しい声と向き合い、評価や勤務形態の見直しなど、さまざまな改革に取り組みはじめた結果、市内の企業や事業所では、残業の削減、男性育休の導入、評価基準の改定、女性管理職の増加……と、目を見張るような変化が次々と生まれている。ある企業では、それまで男性ばかりが取得していた国家資格に女性社員も挑戦するようになり、またある企業では、数十年続けられてきた女性社員によるお茶くみ制度が廃止され、別の企業では、海外展開を担うチームのメンバー全員が語学堪能な女性従業員、という成功例さえ出てきた。
「これまで補助的な役割を担い、出産を機に辞めることが多かった女性でも、ちゃんと機会を提供してサポートをすれば、能力を高めたいという意欲を持ち、行動も変わる。経営者の皆さんがそんな気づきや経験を共有し合い、励まし合えるプラットフォームがあるからこそ、町ぐるみの変化が起こっているのでしょう。当初は意識調査の結果に落ち込んでいた男性経営者の方々も、今では楽しそうにジェンダー平等に取り組んでいますよ」(大崎さん)
さらに豊岡市では、2020年度より、従業員意識調査をもとに、「あんしんカンパニー」という独自の表彰制度を設けている。評価の基準は厳格で、毎年10社前後がエントリーするなか、受賞企業は開始から3年でたった4社と、かなりの狭き門だ。この制度は「働きやすさ」「働きがい」を表す指針として、就職先を決める就活生のひとつの基準にもなっている。 誰にとっても働きやすく、働きがいのあるフェアな職場環境を整えなければ、生き残っていけない――そんな意識が、製造業から観光業まで、業種を問わず豊岡の企業に浸透しているのだ。
ビジョナリーリーダーが描く未来へ
撮影/中山実華中貝・前市長自身、市の女性職員の声に耳を傾けるなかで、「これまでの豊岡にはフェアネス(公正さ)が欠けていた」という大いなる反省と気づきを得て、市役所内のジェンダーギャップ解消に主体的に取り組んできた。
そんな中川・前市長を“ビジョナリーリーダー”と称する大崎さん。先見性をもって長期的なビジョンを描き、力強いリーダーシップを発揮するその姿を、第7代国連事務総長コフィー・アナンの姿に重ねる。
「2020年にコフィー・アナンが国連グローバル・インパクトを発足させ、 “民間セクターの巻き込み” を提唱した当時、私をはじめ、多くの国連職員が彼の言うことがよく理解できませんでした。20年以上が経った今、 デューディリジェンスや非財務情報の開示は、当たり前になりました。 ESGも “ビジネスと人権” も、大元を辿れば彼の描いたビジョンに行き着くんです。中貝さんが始めたジェンダーの取り組みも、10年後・20年後にこういうことだったのか、と本当の意味で理解されるのだろうと思います」(大崎さん)
中貝・前市長が打ち出したジェンダー平等の種は、市長が変わった今も、さまざまなステークホルダーにより、脈々と受け継がれている。この結果は、そう遠くない将来、若者回復率をはじめとする町の各種データにも反映されてくるだろう。
高齢化や人手不足、その足元に横たわるジェンダーギャップ。抱える課題は、どの自治体、企業も同じだ。豊岡市の事例には、あらゆる組織に活かせるジェンダー平等実現のヒントが詰まっている。人口8万人の地方都市にできて、一企業にできないことなどあるだろうか。この町の成功例にならった本気の取り組みが、今、日本中の企業に問われている。
組織内のジェンダー平等推進には、女性のエンパワーメント原則(Women's Empowerment Principles、通称「WEPs(ウェップス)」)の枠組みを参考にしたい。WEPsは、企業がジェンダー平等を経営の核に位置付け、自主的に取組むための行動指針で、2010年3月に国連グローバル・コンパクトと国連婦人開発基金(現 UN Women)が共同で作成した。
参考:大崎麻子 秋山基 共著『豊岡メソッド-人口減少を乗り越える本気の地域再生手法-』(2023、日本経済新聞出版)