Text by 山元翔一
Text by 柴崎祐二
現在公開中のポール・トーマス・アンダーソンの最新作『リコリス・ピザ』は、この夏のとっておきの1本の映画といって差し支えないだろう。若き巨匠が手がけた最新作として、『アカデミー賞』主要3部門ノミネート作品として、ボーイミーツガール的青春映画として話題を集めている。
舞台は1973年の夏、ハリウッド郊外サンフェルナンド・バレー。ヒッピーカルチャーの残り香の漂う街でふたりの男女が出会うところから物語ははじまる。主人公アラナをロックバンドHAIMのアラナ・ハイムが演じていること、ポール・マッカートニー率いるWings、デヴィッド・ボウイやニーナ・シモンなどの楽曲が多数フィーチャーされていること、Radioheadのジョニー・グリーンウッドが劇伴を手がけていることから、本作には音楽方面からも熱い視線が向けられている(ちなみにだが、トム・ウェイツも出演している)。
1970年生まれのポール・トーマス・アンダーソンはなぜ、1970年代前後の音楽で彩られた青春映画を撮ったのか。本稿では『リコリス・ピザ』とその音楽の使われ方、選曲の妙について、ポール・トーマス・アンダーソンを「最も優れた『DJ』」と評する音楽評論家の柴崎祐二に執筆してもらった。
既存のポップソングを映画の劇中で使用する手法が広く浸透したのは、1960年代後半に興った、いわゆる「アメリカン・ニューシネマ」期以降のことだ。カウンターカルチャーの新風が吹き荒れ、ロックを筆頭に音楽シーンのトレンドも続々刷新されていったこの時代以降、色とりどりのポップソングがさまざまな映画で使われてきた。
同時代のロック曲がふんだんに使用された『イージー・ライダー』(1969年公開、監督:デニス・ホッパー)の大ヒットが、こうした傾向を大いに活気づけたとされている。
その後、『ミーン・ストリート』(1973年公開、監督:マーティン・スコセッシ)でThe Ronettesの“Be My Baby”(1963年)が象徴的なかたちで使用されたのをはじめ、過去のポップソングを再発掘して起用することも増えていく。
同1973年公開の『アメリカン・グラフィティ』(監督:ジョージ・ルーカス)こそは、こうした傾向を決定づけた最重要作で、映画の舞台である1960年代初頭を彩ったオールディーズ~ロックンロールの名曲が全編にわたって使用された。
さらにその後の歴史をざっくりたどると、アメリカ映画における既存曲使用のあり方は、1990年代に現れた2人の天才監督によって新たな段階を迎えることになる。その先鋒のひとりがクエンティン・タランティーノであり、もうひとりが、本稿の主役ポール・トーマス・アンダーソンだろう。
あらかじめ断言すれば、ポール・トーマス・アンダーソン(以下PTA)は現代最高の映画監督のひとりであるにとどまらず、最も優れた「選曲家」でもある。
いや、ここはもっとくだけた言い方で、最も優れた「DJ」と言ったほうがいいかもしれない。ここで言う「DJ」とは、ラジオDJ=ディスクジョッキーとしての意味とともに、ディスコ~レアグルーヴ以降の近代的なクラブDJとしてのニュアンスも帯びている。
これまでも『ブギーナイツ』(1997年)を筆頭に、自身が監督した諸作で多くの既存曲を「プレイ」してきた彼だが、現在ヒット中の最新監督作『リコリス・ピザ』で、いよいよその選曲センス / 技巧はかつてないレベルにまで達した。
この作品は、すでに多くの場所で紹介されているとおり、前述の『アメリカン・グラフィティ』に多大なオマージュが捧げられている。冒頭の男子トイレでの悪戯のシーンからしてそうだし、過ぎ去った日々を舞台に、ノスタルジックな青春と甘酸っぱい恋模様を描き出すという全体のテーマも重なり合っている(※)。
オフショット写真。ゲイリーとの初デートの衣装を着たアラナ / © 2021 METRO-GOLDWYN-MAYER PICTURES INC. ALL RIGHTS RESERVED.
ゲイリーのオフショット写真 / © 2021 METRO-GOLDWYN-MAYER PICTURES INC. ALL RIGHTS RESERVED.
当然ながら、その音楽の使い方にも近似性を指摘できる。冒頭のニーナ・シモン“July Tree”やWingsの“Let Me Roll It”をはじめとして、劇中の登場人物には聞こえていない設定で音楽が流れている例(=アンダースコア)としての使用法ももちろん多いが、それと並んで興味深いのが、カーラジオやパーティー会場のスピーカーから流れているという設定で、登場人物に聞こえている体の曲(=ソースミュージック)としての使用例が多数あるということだ。
『アメリカン・グラフィティ』でも、カーラジオから流れる曲を登場人物と観客が共有することで、「あの時代」の風景とドラマへの没入を助けていた。PTAの巧みさは、こうしたオマージュを劇中で頻繁に捧げつつも、ソースミュージックとアンダースコアを自由かつ複雑に、そしてリズミックに行き来し、各楽曲の持つ魅力を最大限に引き出している点にある。
もちろん、こうした「行き来」はPTAのみが得意とする手法ではなく、すぐれた監督(あるいはエディターや音響技術者)ならば自明のテクニックとして駆使しているものでもある。
写真撮影のアシスタントとして高校を訪れていたアラナをデートに誘うゲイリー / © 2021 METRO-GOLDWYN-MAYER PICTURES INC. ALL RIGHTS RESERVED.
それでもなおPTAが段違いにセンスフルであるのを理解してもらうには、何より実際に本編を観てもらうのがベストなわけだが、ここで少し、私が特に感動した使用例とともにその巧者ぶりを紹介してみよう。
※以下より、映画本編の内容に関する詳細な記述が含まれています。あらかじめご了承下さい。
まずは、ゲイリー(クーパー・ホフマン)が自身のウォーターベッド販売会社を立ち上げ、アラナ(アラナ・ハイム)らとともに、地元ラジオ局「KPPCパサデナ」(※)を訪ねてDJに商品の宣伝をしてもらうシーンを見てみよう。
小気味よいトークでひとしきり宣伝を行なったあとにDJがプレイする曲は、The Doorsの“Peace Frog”(1970年)。
躍動的な曲調に反して、酒とドラックにはまり込みつつあった時期のジム・モリソン(1971年没)が歌う、しかもあまり晴れ晴れしいとはいえない歌詞を伴ったこの曲が、彼らの行く末に待つ暗雲を示唆しているかも知れない……といった深読みも十分に面白いわけだが、ここで注目してみたいのは、この曲のソースミュージックからアンダースコアへのキレのいい転換ぶりだ。
ラジオでプレイされている体の曲が、いつの間にかファット・バーニーズ社(ゲイリーが立ち上げた会社)の慌ただしい仕事ぶりを演出する劇伴音楽へと転じ、画面の「外側」から躍動感を注ぎ込んでいる。
フォードのトラックを操り、アラナはゲイリーとともにウォーターベッドを売りさばく。アラナ・ハイムへのインタビューによると、本作では90%くらいは自らが運転していたとのこと / © 2021 METRO-GOLDWYN-MAYER PICTURES INC. ALL RIGHTS RESERVED.
そのうえ見事なのは、建物の奥行きや階段での上下運動を駆使したこのシーンの後半部にあって、カメラの動きや俳優たちのリズミカルな動きと曲の構成やビートがうまく同期しているふうに見える、という点だろう。
つまりここでは、ソースミュージックからアンダースコアへの転換を経て、さらには、登場人物には聞こえているかどうかは判然としないが登場人物もそれと同期しているふうに感じられるという、いうなれば「メタソースミュージック」とでも表現できそうな役割を、この“Peace Frog”が果たしているのだ。
本作において、アラナとゲイリーとの関係にはつねにほかの異性の存在がちらつかされる。ブラッドリー・クーパー演じるジョン・ピーターズ(左端)もアラナに近づこうとしたひとり
一方のゲイリーも、物語の冒頭でアラナに熱烈な思いを伝えていたにも関わらず、ほかの女の子を誘う描写が繰り返し描かれる
もうひとつ例を挙げよう。
ここで流れているのは、英国のポップロック系バンド、Smokieのクリス・ノーマンと、女性ロック歌手のパイオニアであるスージー・クアトロがデュエットするMORナンバー“メロウなふたり(原題:Stumblin' In)”。
はじめ、環境音が遮断されていることから、観客はこの曲がアンダースコアとして流れているのだと思ってしまうが、ランス(スカイラー・ギソンド)がアラナに話しかけると、彼女がイヤホンを取るのに合わせて曲のボリュームが絞られる。つまり、この曲が実はゲイリーとアラナだけに聞こえていたソースミュージックだったのが明かされる。
いまだ無垢なふたりの関係を破るように色男ランスがアラナにアプローチをかける……というプロットとのシンクロからしても、見事すぎる演出効果を発揮しており、唸らざるをえない。
物語冒頭、まだ出会ったばかりのアラナとゲイリー / © 2021 METRO-GOLDWYN-MAYER PICTURES INC. ALL RIGHTS RESERVED.
ちなみ、この“メロウなふたり”の発売年は1978年だ。つまり、映画の設定年である1973年とは時代考証的な整合性がとれていないうえ、音楽的な洗練度合いからいっても他のトラックとくらべるとやや違和感があるふうだ。
しかし、この「誤り」をPTAが知らぬはずはなく、おそらくは意図的に異化作用を発生させる装置として使っているのだろうし、もっといえば、ある特定の時間を切り取ったように見えるこの映画も、結局のところはひとつのファンタジーである……という当然の事実をあえて匂わせているようにも思われる。
監督へのインタビューによると、本作は長年親交があったプロデューサーのゲイリー・ゴーツマン(1952年生まれ)の少年時代のエピソードから大きなインスピレーションを受けているという。なお本作のゲイリーのモデルはほかでもないゲイリー・ゴーツマンである。ちなみに、アラナのモデルは『アメリカン・グラフィティ』で映画デビューしたケイ・レンツ / © 2021 METRO-GOLDWYN-MAYER PICTURES INC. ALL RIGHTS RESERVED.
加えていうと、非常に細かい例ではあるが、こうした「ズレ」は、ゲイリーがアラナとランスのデートを車のなかから目撃してしまうシーンで流れる、トッド・ラングレンのアルバム『Something / Anything』(1972年)のラジオスポット音声にも仕掛けられているのではないだろうか(と私は推察してしまった)。
このアルバムの実際のリリースは映画の舞台である1973年夏の前年2月であり、劇中のスポットで「ニューアルバム」と言われているのはややおかしい気もする(※)。
もちろんその選曲自体も、大いに注目すべきものだ。あるDJが優秀かどうかの評価基準においては、ミックスの技巧はもちろん、(いわゆるレアグルーヴ文化の例からもわかるとおり)「かつて存在したのにいまは見捨てられてしまいがちな音楽(レコード)を新たな文脈とともに発掘 / プレイし、その魅力を再び輝かせる」、というのも大変重要な要素となる。そして、この側面からも、PTAは超一流といえる。
『Licorice Pizza (Original Motion Picture Soundtrack)』ジャケット(Apple Musicで聴く / Spotifyで聴く)
『リコリス・ピザ』の選曲には、当時のカリフォルニアで親しまれた「懐メロ」の回顧という側面も多少は含まれているとは思うが、それにも関わらず、というかそれだからこそかえって、現在の「シリアスな」音楽ファンからはほとんど顧みられる機会のないような楽曲の数々が、驚くべき彩度を伴って迫ってくるのだともいいうる。
おそらく、音楽マニアを自認する観客なら余計に、この選曲には強烈なショックを覚えるのではないか。
凡庸な選曲家なら一体どうして、このようにウェルメイドで洗練された(「オシャレ」な、と言い換えてもよいが)青春映画で、ブラスロックバンド、Blood, Sweat & Tearsの汗たぎる曲“お聞き、リサ(原題:Lisa, Listen to me)”(1971年)や、ジョー・ウォルシュが在籍したのでも知られるワイルドなハードロックバンド、James Gangの曲“Walk Away”(1971年)を流そうと思うだろうか。
ほか、上で紹介したクリス・ノーマン&スージー・クアトロの“メロウなふたり”にしても、カナダのシンガーソングライター、ゴードン・ライトフットの”心に秘めた想い(原題:If You Could Read My Mind)“にしても、ある年齢以上の観客の郷愁を誘う効果もたしかにあるだろうが、真正面からとらえるとお世辞にもあまりクールな選曲とは言い難く、ちょっと陳腐ですらある。
誤解してほしくないが、これらの曲が元来劣っているといいたいのではなく、PTAの手にかかると、長くまとっていた「懐メロ」としてのイメージが霧散して、最高にヴィヴィッドな曲として再生されるということだ。
ゲイリーとアラナが警察署から走り出すシーンと、エンドロールでも使われていたSonny & Cher“But You're Mine”(1966年)を聴く(YouTubeで聴く / Apple Musicで聴く / Spotifyで聴く) / © 2021 METRO-GOLDWYN-MAYER PICTURES INC. ALL RIGHTS RESERVED.
もちろん、こうした「もともと楽曲がまとっていたイメージの再編集 / 転倒」というべき選曲技は、先達クエンティン・タランティーノの仕事とも明確に響き合っているものに感じられる。
また、昨今のマーベル・シネマティック・ユニバース作品にも同様の選曲方針が感じられるし(特に『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』シリーズで顕著)、ドラマ『ストレンジャー・シングス』シリーズでもそういった選曲が注目ポイントになってきた。
しかし、今回『リコリス・ピザ』という圧倒的傑作に触れて改めて認識したのは、ほかでもないPTAこそが、アメリカンシネマの新潮流を牽引しながらこうしたモダンDJ的な選曲術を深化させた張本人であり、演出、ショット、編集、音効操作あらゆる要素間の目の覚めるような相乗効果から言っても、映画界においてまごうことなきトップランナーである、ということだ。
ものの喩えというレベルを超えて、この映画を劇場の音響環境で鑑賞するという体験は、素晴らしい選曲とミックスで物語と音楽的風景をつくりだす優れたDJのセットをノンストップで浴びる体験に似ている。
映画のラストで「LICORICE PIZZA」のロゴとともに、「これ以外には絶対にありえない!」という最高のタイミングでカットインしてくるタジ・マハールの“君の明日はもう来ない(原題:Tomorrow May Not Be Your Day)”には鳥肌が立つ。
しかもこの曲の歌詞は、『アメリカン・グラフィティ』のラストシーンよろしく、登場人物たちのその後の未来が決して明るいものとは限らないことも示唆している(※)わけで……もう、幾重にも巧みな選曲というほかない。
物語終盤、自らの店の前でアラナを待つゲイリー / © 2021 METRO-GOLDWYN-MAYER PICTURES INC. ALL RIGHTS RESERVED.
物語終盤、ゲイリーと出会うアラナ / © 2021 METRO-GOLDWYN-MAYER PICTURES INC. ALL RIGHTS RESERVED.
ところで、本作のタイトル『リコリス・ピザ』というのは、70年代当時南カリフォルニアの若者たちの間で人気のあった独立系レコードショップチェーン(1986年に閉店)の名前だが、劇中にはついに一度もその店は登場しない(登場人物の会話にも上らない)。
けれど、PTA自身もティーンの頃に通ったという「リコリス・ピザ」からカルフォルニア中に散らばっていったレコードとそこに収められた音楽が、この映画のなかで再び蘇ったというふうに理解してみれば、その「省略」にも合点がいく。
つまり、この映画全体が、「リコリス・ピザ」というレコード店と、「リコリス・ピザ」から音楽が溢れていった時代への愛に溢れた言及なのだ、とも解釈できる。この映画に選んだ楽曲のうちどれが「リコリス・ピザ」で初めて手にしたものなのか、DJポール・トーマス・アンダーソンにいつか訊いてみたいものだ。
最高のミックスをありがとう! PTA!
『リコリス・ピザ』には、HAIMのメンバーであるアラナ・ハイムのふたりの姉(エスティ・ハイム、ダニエル・ハイム)に加え、3人の両親も出演。なお、ハイム家の母は、若き日のポール・トーマス・アンダーソンの美術の先生であったことが知られている
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