ビジネスとアート、それぞれのロジックをもつ2つの世界はどうつ...の画像はこちら >>



Text by 森谷美穂
Text by 豊島望
Text by 奥岡新蔵



「アートが身近かどうか」という問いは、もちろん個人の肌感覚によりけりだとは思う。とはいえその主語をSNSや動画配信などのOTTサービスに置き換えた場合よりは、賛意が少ないだろう。

「なんとなしに感じる敷居の高さ」(一度ギャラリーに行ってもらえればきっとわかる)が、ひょっとしたら、私たちとアートを遠ざけているのかもしれない。



ところが、マネックスグループが主催する「ART IN THE OFFICE」は、アートとビジネスをブリッジするかのような取り組みを15年前から続けている。現代アートの分野で活動するアーティストを対象に、本社のプレスルーム壁面への制作案を公募し、受賞者の作品を約1年間展示するプログラムだ。受賞したアーティストは一定期間オフィスに滞在し、社員と交流をしながら制作を行なう。



今回は過去に「ART IN THE OFFICE」を受賞した蓮沼昌宏、橋本晶子にインタビュー。二人の共通点は、この特異なプログラムの受賞者であることのほか、蓮沼はドイツへ、橋本はフランスへと、海外での滞在経験があること。二人の対話を通して、海外での経験、日本を取り巻くアートの環境、それから私たちにとっての「アートとの関わり方」について考えてみたい。



最初に言い添えておくと、この記事はアートをめぐる日本の制度や態度を批判するものではない。もしくはアートのビジネス的な議論の記録でも、きっとない。



ところで、ここ最近は「アート 本」と調べれば「アート思考」というタイトルの本が出てきたり、企業でもアート作品をオフィスに置くことがステータスになっていたり、どこかアートとビジネスの距離は近づいたようにも思える。もしくは、ビジネスがアートにかける期待値が高まっているのかもしれない。



一方で、「そんなのは一時的だよ」と斜に構えた意見も、もしかしたらあるだろう。

けれどマネックスグループでは、15年も前からアートとビジネスをつなげるプログラム「ART IN THE OFFICE」を続けている。3歳の子なら成人を迎えるくらいには長い期間である。



ビジネスとアート、それぞれのロジックをもつ2つの世界はどうつながれる? 現代美術家と考える

「ART IN THE OFFICE」2017年の作品(『There is something I want to talk about.』 / 橋本晶子)



「ART IN THE OFFICE」では、受賞したアーティストがオフィスに滞在し、その場所のための作品を制作する。アーティストはマネックスグループの社員とワークショップなどを通して交流もする。



「アートとビジネスの交流」と聞くと、そこにはすぐに結果に結びつくような、アートに課題解決のためのヒントや施策を求めてしまいそうだが、「ART IN THE OFFICE」はそうではなく、ただ「普段はあるはずのない環境」を、アートというモチーフを使って生み出すに留めている。



アーティストは社員が横を歩くすぐそばで制作をし、社員はアートという一風変わった営みがデスクから少し離れた場所で展開される、そんな不思議な交わりの場がつくられている。



そう話すのは、受賞者のひとりの、蓮沼昌宏。2015年度の「ART IN THE OFFICE」を受賞し、その年にマネックスグループのオフィスを1年間、その作品で飾ったアーティストだ。



ビジネスとアート、それぞれのロジックをもつ2つの世界はどうつながれる? 現代美術家と考える

蓮沼昌宏(はすぬま まさひろ)
1981年生まれ。絵画やアニメーション、写真などを表現手段とする。2015年の「ART IN THE OFFICE」受賞。2016年から1年間、文化庁新進芸術家海外研修員としてドイツに滞在。

現在は長野県を拠点に活動。



普段のアトリエとは違った場所で制作することに苦労はなかったのかと聞くと、彼は次のような言葉を返した。



ビジネスとアート、それぞれのロジックをもつ2つの世界はどうつながれる? 現代美術家と考える



ビジネスとアート、それぞれのロジックをもつ2つの世界はどうつながれる? 現代美術家と考える

「ART IN THE OFFICE 2015」受賞作『新しい昔話』(蓮沼昌宏)



作品をつくっていると、ときどき社員がふらっと訪れて、何気ない会話をしていくこともあったという。



ビジネスとアート、それぞれのロジックをもつ2つの世界はどうつながれる? 現代美術家と考える

橋本晶子(はしもと あきこ)
1988年生まれ。主に紙と鉛筆での絵画やインスタレーションを表現手段とする。2017年の「ART IN THE OFFICE」受賞。2018年から1年間パリに滞在。



アトリエとは違った巨大なオフィスビルに通いながら作品をつくるアーティスト、そんなデスクワークとは似つかない作業をしているアーティストを横目にしながら業務に邁進する社員。どうみても異色な環境だ。



アートのプログラムとしてもそうだ。通常は美術の専門家が審査員をし、美術館やホワイトキューブでの展示を前提としてアーティストを募集する。けれども「ART IN THE OFFICE」の場合はビジネスパーソンが審査員の半分を担い、展示場所は美術館でもギャラリーでもない。



ビジネスとアート、それぞれのロジックをもつ2つの世界はどうつながれる? 現代美術家と考える

オフィス入口にあるプレスルーム。毎年ここでアーティストが作品を制作し、完成した作品は壁に展示される



ビジネスとアート、それぞれのロジックをもつ2つの世界はどうつながれる? 現代美術家と考える

「ART IN THE OFFICE」2017年の作品(『There is something I want to talk about.』 / 橋本晶子)



その様子は、最近流行っている「オフィスにアートを飾る」ではなく、そもそも「アートが生まれる現場をオフィスにする」という、似ても似つかないもの。しかし、そもそもこれがどうして特殊なのだろうか。



少し遠回りになるが、日本におけるアートを考える前に、蓮沼と橋本が経験した海外の状況について紹介したい。蓮沼がドイツに1年間滞在したなかで目を引いたのは、現地の人たちが美術に接する様子だという。



ビジネスとアート、それぞれのロジックをもつ2つの世界はどうつながれる? 現代美術家と考える



橋本は2018年にフランスに渡り、パリにある国際芸術都市に滞在した。ペインターやキュレーター、小説家や音楽家など、広く文化芸術に携わる人のための場所だ。滞在するアーティストにはキッチンや寝室、アトリエのある部屋が与えられる。



ビジネスとアート、それぞれのロジックをもつ2つの世界はどうつながれる? 現代美術家と考える



また、幼児を育てながらアーティスト活動をする夫婦がいたことにも驚いたと橋本はいう。



二人の言葉は、あくまでも二人の体験に留まっているから、それによって一概にどうとはいえないし、本人たちにもその意はないだろう。とはいえ、ヨーロッパの人々の作品に接する「振る舞い」について所見を話してくれた蓮沼は、なぜ日本ではそれを感じないか、あるいは感じづらいかについて、漫画やアニメなどサブカルチャーを例にとってこう話してくれた。



ビジネスとアート、それぞれのロジックをもつ2つの世界はどうつながれる? 現代美術家と考える



出版科学研究所のリリースによると、紙と電子書籍をトータルした漫画の市場規模は、2021年度では6,000億円を超えている。

対して、美術全般におけるアートの国内市場は2,000億円を少し超えるくらい(*1)であり、そこには3倍近い開きがある。当然、そこにお金と時間を使う人たちの数も違うだろう。



蓮沼が話してくれたように、アートに必要なのは「長い目で見ること」ではないか。週刊誌に連載される漫画のように毎週購買されるサイクル(それが悪いというのではない)とは違い、アートはむしろ植林して森をつくるような時間軸でその評価を見定めていかなくていけない。



特に現代美術の場合、モダンや古典の作家らのようにエスタブリッシュされた堅牢な評価があるわけではなく、長い美術の歴史にとっての個々の作家の価値は流動的である。アートにおける独特の時間軸が、市場との隔たりを生んでいるともいえるだろう。



「ART IN THE OFFICE」を執り行なっているマネックスグループは、日本、米国、中国(含む香港)、オーストラリアにリテール向けのオンライン証券ビジネスの本拠地を持ち、また暗号資産交換業、STEAM教育事業などを展開する会社。めくるめく速度で繰り広げられるビジネスの代表格のような領域だ。



少なくとも、まっさらなWordのページに向き合うことのほうが長い筆者なんかより数億倍の速度で動いているし、アートの世界よりもずっと速いサイクルを回し続けているように思える。そう考えると、「ART IN THE OFFICE」では、少なくとも速さのまったく異なる世界が重なっていることに気づく。



ビジネスとアート、それぞれのロジックをもつ2つの世界はどうつながれる? 現代美術家と考える



自分に関わるすべての時間を大事にする彼女の言葉のなかからは、アートに向き合ううえでの気構えのような含蓄を読み取ることができるようにも思う。



アート作品は、必ずしも決まった答えを示唆するものではない。

それを鑑賞したからといって目に見えた結果がすぐに出るわけでもなく、何かの問題が解決されるわけでもない。一つの作品が示唆するものは、ともすれば見過ごしてしまうくらいにささやかな場合もあるだろう。



「ART IN THE OFFICE」について述べるマネックスグループのサイトページでは、「様々な価値観や考え方を認め合うことの大切さを理解する」という文言がある。つまりこのプログラムによって何かの数字が変わったり、何かの商品価値をパッケージしたり、あるいは高めたりすることや期待する旨を謳ったりはしていない。



あくまで「こういう考え方もある」という、自分たちとは違う、ビジネスサイドから見て異なったあり方と対面する機会をデザインすることに留まっている。そんな「ひそやかな」アートへの関わり方を、このプログラムは続けているのだ。



プログラムの運営に関わるメンバーの一人、アーツイニシアティヴトウキョウ理事長の塩見有子は、別のインタビューでこう話していた。



日本でも近年になってダイバーシティを掲げるようになり、その多様な状態を受容し損なわないように取り組むためのインクルージョンが目立つようになってきた。その第一歩として、あるコミュニティのなかに多様な属性があること、それが自分とは異なる価値観であることに気づくことがあげられるだろう。



中世フランスの思想家・モンテーニュの言葉に、「人は、自分の習慣でないものを野蛮とみなしてしまう」というものがある。たしかに私たちは、慣れ親しんでないものを邪険にしたり、その価値を理解せず、優劣をつけてしまったりすることがある。



「ART IN THE OFFICE」は、「アートとビジネス」という異なるロジックと時間軸を生きる世界を結びつけ、お互いの価値を発見させる気づきの場を促すような取り組みだったからこそ、15年ものあいだ長い年月をアートという世界と関わり続けることができたるのかもしれない。

編集部おすすめ