「これは芸術です。現実ではありません」——布施琳太郎『パビリ...の画像はこちら >>



Text by 今川彩香
Text by Naoki Takehisa



4月、ついに幕を開けた大阪・関西万博。各国パビリオンの建築美などポジティブな面も報じられる一方、膨らむ予算や工事の遅れ、開幕日の大混雑など、さまざまな課題も見られ、良くも悪くも注目されている。



時を遡り、まだ分厚い上着が必要だった寒い季節、東京では「もうひとつの万博」が開かれていた。夢洲と同じ埋立地である葛西臨海公園を舞台に現れた「パビリオン」。ARとVR、生身のパフォーマンスが混じり合い、現実と虚構の境が曖昧に。プラネタリウムでの追体験もでき、言論の保管庫として新しい美術雑誌を刊行された——―それらはすべて、アーティスト、布施琳太郎によるプロジェクト『パビリオン・ゼロ』において展開された事象だ。



布施琳太郎は、自ら手がけた詩やテクストを起点に、映像作品やキュレーション、書籍出版、イベント企画などさまざまな媒体を通して、自身の哲学や思考を表現するアーティストだ。そんな布施が大阪・関西万博への違和感を出発点にして企んだ『パビリオン・ゼロ』は、葛西臨海公園でのツアー型展覧会を中心に実施された。



今回はその起点となった2025年1月、シビック・クリエイティブ・ベース東京[CCBT]で2024年度CCBTアーティスト・フェローとして開催した記者会見から、締めくくりとなった『観察報告:空の証言』までを前後編にわけてレポートする。約2か月のあいだ、何が行われていたのだろう?



後編では、プロジェクトの中核をなす「ツアー型展覧会」を中心に、プラネタリウムでのアーカイブ展示、雑誌『ドリームアイランド』までをレポートする。



プロジェクト『パビリオン・ゼロ』は、CCBTの「アート・インキュベーション・プログラム」の一環として制作された。



2月初旬、東京・葛西臨海公園。冬晴れの空は高く、強い海風が吹き付けるその日、『パビリオン・ゼロ』の中核であるツアー型の展覧会が開幕した。展覧会は2日間にわたって「30時間」限定の開催とされ、複数回のツアーにわけて行われた。

作品は、会期中だれでも鑑賞できる「常設展」と、ツアーの進行に合わせて実施されるパフォーマンスの二種類。



「これは芸術です。現実ではありません」——布施琳太郎『パビリオン・ゼロ』全貌レポ【後編】



ツアーの参加者は抽選で選ばれ、1回につき20人ほどが同行した。参加者は全員、ヘッドマウントディスプレイを装着し、VRとARを行き来するのがこのツアー型展覧会の特徴だ。「ツアーガイド」として参加者を率いる布施ははじめに、「現実と虚構の関係を見極めるための努力を怠らないでください。これは芸術です。現実ではありません」と投げかけた。

鳥類園ウォッチングセンター内に集合し、着席したままの参加者の眼前にまず映し出されるのは、布施の映像作品『ソラの水族園(過去編)』。

ひさしぶり。いつか出会うことになるあなた。
時間の向きを逆にしてみよう。最後に「はじめまして」を言いたいから。

あなたがいるのは宇宙の缶詰の中なのです。

- 布施琳太郎『ソラの水族園(過去編)』より

ナレーションとともに、眼前に映像が展開される。地球の始まりを感じさせる大地、マグマ、海がざわめき、次第に撮影スタジオ、SF映画のような近未来的なシーン、葛西臨海公園の風景——。断片的な映像と言葉が、いま私たちが身を置いている場所の遠い過去と遥か未来へと意識を誘う。



「これは芸術です。現実ではありません」——布施琳太郎『パビリオン・ゼロ』全貌レポ【後編】

『ソラの水族園(過去編)』は『空のチュートリアル』として、鳥類園ウォッチングセンターでも展示されていた

今からするのは、灰になった夢をレンダリングする作業です。
このレンダリングこそが、空を飛ぶ海となる。

だから「はじめまして」に向けて……いってらっしゃい。
- 布施琳太郎『ソラの水族園(過去編)』より

映像作品が終わり、建物から足を踏み出した。慣れないヘッドマウントディスプレイを付けているため、参加者はみなよろよろと歩いている。視界をおおうディスプレイに映し出されているものが、果たして「ほんとうのもの」なのかわからない不安。たしかめるように見回してみると、視界の端に変な生き物がうごめいていた。それは、アーティストでアニメーターの米澤柊によるアニメーション作品だった。



「これは芸術です。現実ではありません」——布施琳太郎『パビリオン・ゼロ』全貌レポ【後編】

ツアーにおけるARのアニメーション制作とリサーチに基づいたインスタレーション展示『空とあたたかい』



米澤独特の、キャラクターの身体性と時間軸を強く感じる造形。

小さいものから大きいものまで、例えるならば、地球の原初の生物のような、微生物を拡大したような生き物(?)たちが参加者の周りを浮遊していた。しばらく見とれていると、大きな叫び声がこちらへ向かってくる。



「フリー!」「フリーズ!」



「これは芸術です。現実ではありません」——布施琳太郎『パビリオン・ゼロ』全貌レポ【後編】



突如現れたペンギン(おそらくマカロニペンギン属)と飼育員らしき人が、参加者の眼前で攻防を繰り広げる。葛西臨海水族園から逃げてきたのだろうか? ペンギンは「フリー(自由)」、飼育員が「フリーズ(止まれ)」と叫びあい、公園の一角は異様さをまとった劇場と化した。参加者ではない、通りすがりであろう人々も足を止めて見入っている。



「これは芸術です。現実ではありません」——布施琳太郎『パビリオン・ゼロ』全貌レポ【後編】



ペンギンを捕まえようとしていたかに見えた飼育員は、どうやらペンギンに装着されたタグを取り除いて解放しようとしていたらしく、ペンギン側の誤解がとけ、最後に本当の自由を掴んだペンギンは満足げに「フリー!」と雄叫びを上げた。アーティスト、倉知朋之介による『フリーフリッパー』というパフォーマンスだった。



何事もなかったように、また歩みを進める。



「これは芸術です。現実ではありません」——布施琳太郎『パビリオン・ゼロ』全貌レポ【後編】



やけに距離感が近い通行人がいると思ったら、それもパフォーマンスの一部だった。断片的にマイマミについての会話が聞こえてくる。アーティスト、米村優人による『あいつらのこと(M - Seaside)』。やがて開けた一角に辿り着くと、椅子に腰掛けたパフォーマーが海に向かってラブソングを歌い始めた。



「これは芸術です。現実ではありません」——布施琳太郎『パビリオン・ゼロ』全貌レポ【後編】

海は嫌いで あまり行かない
途方もなくて 悲しくなるから

もう会えない あなたとあなた
誰も知らない 誰も知らない
- 米村優人『あいつらのこと』より

別離を感じさせる歌。失恋なのか、はたまた。また何事もなかったような顔をしたツアーガイドにしたがって、歩き始める。



水上バス待合所に到着し腰掛けると、ヘッドマウントディスプレイに映像が流れ始めた。布施による『ソラの水族園(未来編)』。ガラス張りの待合所が白黒の世界に塗り替えられると、水族館という存在から、私たちの実存についてまでを問う言葉たちが投げかけられる。

なんだか途方もない気分になったのち、水上バスに乗るため、ここでツアー中はじめてヘッドマウントディスプレイを外した。一行が水上バスへ向かっていると「ねえ!」と呼び止められる。どうやら怒っている様子の人物が、ツカツカとこちらに駆け寄ってきた。

あのさ、私が泣いてるの気づいてた?
気づかなかったでしょ
酷いやつだね
その電気機器を通して、胡蝶の夢を見て

私の顔なんて見ていなかっただろう
- 黒澤こはる『ショーケース越しの逢瀬』より

「これは芸術です。現実ではありません」——布施琳太郎『パビリオン・ゼロ』全貌レポ【後編】



通行人にいちゃもんを付けられたのかと思ったが、これもパフォーマンス。アーティスト、黒澤こはるによる『ショーケース越しの逢瀬』。一行はまだ怒っているような、諦めたかのような様子のパフォーマーを船着場に残し、いそいそと水上バスに乗り込む。



水上バスに乗り込むと、布施が説明を始める。



「これは芸術です。現実ではありません」——布施琳太郎『パビリオン・ゼロ』全貌レポ【後編】



救命胴衣などの事務的な説明をしているかと思えば、アーティスト、雨宮庸介との宮城県石巻での交流の話題に移り、さらに当時好きだった人の話題へ。口調は次第に朗読の色を帯び、布施は水上バスをぐるぐると歩き回る。ついに大きな鼻歌で“少年時代”(井上陽水)を歌いながら走り始め、ときに転げながら、駆けるスピードを上げていった。



これは雨宮庸介の作品『For The Swan Song A』が、布施によって行われたということだった。あまりにも突然で、自然な口調から始まるものだから、筆者以外の参加者も面食らったに違いない。これも「虚構」と「現実」が混じり合っているということなのだろう。



「これは芸術です。現実ではありません」——布施琳太郎『パビリオン・ゼロ』全貌レポ【後編】



布施によるパフォーマンスが終わると突如、アーティストで詩人の青柳菜摘から布施に電話がかかってくる。水上バスのデッキに移動すると、そこで青柳による『ぼくは戦争を手に入れた』という詩の朗読が始まるのだった。それは2024年に刊行された詩集『亡船記』に収録されたひとつで、青柳本人が自宅から読み上げていたという。



ツアーも終盤。言葉の意味を咀嚼しながら詩の余韻にひたり、水上バスを降りると、乗船前のパフォーマーが待ち構えていた。

忘れないで、私を
水族園が、この展示が終わっても、
あなたは陳列された私のことを
- 黒澤こはる『ショーケース越しの逢瀬』より

「これは芸術です。現実ではありません」——布施琳太郎『パビリオン・ゼロ』全貌レポ【後編】



やっぱり怒っている? いや悲しんでいる? パフォーマンスは「やっぱり、忘れてください」と続き、「夢」や「消費」「飢え」という言葉が象徴的に扱われる。私たちにとってあの人は誰だったんだろう、と感じさせるパフォーマンスだった。



一行は最後に、谷口吉生の建築である展望台「クリスタルビュー」に到着。最上階で葛西臨海水族園の象徴であるドームを眺められる位置につくと、ヘッドマウントディスプレイにツアーを締めくくる映像が流れた。



「これは芸術です。現実ではありません」——布施琳太郎『パビリオン・ゼロ』全貌レポ【後編】



ツアーガイドとして、布施は最後に「参加者が何を見たのか、何を見なかったのか、僕にはわかりません。生きているってそういうことだから」と言い残して去っていった。



あの現実と虚構が混じり合ったツアーから約1か月後、コスモプラネタリウム渋谷にて、「全天球上映『観察報告:空の証言』」が行われた。これはプロジェクトを構成する3つの要素のうちの一つで、「かたり」と「映像」によって、ツアー型展覧会を「リプレイ」する企画だ。



前編で詳報した落合陽一、椹木野衣とのトークイベントで布施は、ツアー型展覧会のアーカイブとして「全天球上映」を企画した背景をこのように語っていた。



「誰もがみんなずっと、何かを見逃して、見過ごして生きているわけですけど。今回の万博も、人間全員が行くわけではないですよね。経済的に行けない人もいれば、まだ生まれてないから行けない人、死んでしまっているから行けない人もいる。そういう、むしろ『何かを見逃していった』ということそのものがコミュニケーションの媒介になるような枠組みを、このプロジェクトを通して実験したいと思っているんです」



アーカイブとはいえ、「全天球上映」でリプレイされたのは展覧会の一部。それでも、ツアー型展覧会で水上バスにて披露された雨宮庸介の『For The Swan Song A』は、ここでも布施によって生でパフォーマンスされ、現実と虚構の「境」にいる感覚を味わうことができた。



筆者は、この日の「全天球上映」にて、できたての美術雑誌『ドリームアイランド』を手にすることができた。この雑誌刊行も、プロジェクトを構成するうちのひとつだ。



「これは芸術です。現実ではありません」——布施琳太郎『パビリオン・ゼロ』全貌レポ【後編】

『ドリーム・アイランド1 特集|大地=根拠』



これはCCBTで製本版が無料配布されたほか、現在はオンライン上でも読むことができる。



『ドリームアイランド』には、漫画『チ。-地球の運動について-』の原作者、魚豊と布施の対談をはじめ、水野幸司や米澤柊らアーティスト、建築家の書き下ろし論考、そして『パビリオン・ゼロ』の記者会見からツアー型展示の記録が記されている。第2号も企画されているといい、今年の末には刊行する予定だという。



年明けから年度末まで、横断的で多発的に取り組まれた『パビリオン・ゼロ』。はじまりの記者会見で布施は、プロジェクトの目的を「1、日本の『大地=根拠』を問う」こと、「2、拡張されたアース・ワークの実践」とうたっていた。『ドリームアイランド』第1号の特集テーマも『大地=根拠』だ。



まず「1、日本の『大地=根拠』を問う」ということ。ツアー型展覧会や『ドリームアイランド』をはじめとする、一連のプロジェクトが内包する膨大なテキストのなかに、その問いがかたちを変えて、あるいはその答えが散りばめられていたのだろうとも思うが、正直に言うと、筆者はまだその問いの明確な着地点を見つけられていない。ただ、「現実」と「虚構」という存在、そして「過去」「現在」「未来」という時間軸、鑑賞者の意識を繰り返しそれらに誘導していることから考えるに、「現代社会を生きる人間が思考するための確固たる足場」を強く希求していることはわかる。前編でも記載したが、布施の以下の言葉に収斂していくのだろう。



「いまの文化には、過去に何があって、これから何が待っているのかという時間感覚を持って、世界や世の中、社会について考えるための場所、足場がないと感じていて。万博は、人類が『いまこの瞬間』と『未来』の二者関係だけではない過去や歴史の広がりのなかに立っていることを俯瞰できるような場所だったらいいなと思っています」



次に、「2、拡張されたアース・ワークの実践」は、ツアー型展覧会にて実現された。VR、AR、そして生身のパフォーマンスが混在し、しかも「これが作品である」という宣言もなく突然始まるので、芸術と日常すら交錯するような感覚になった。その新しい「展覧会」の様式は、現代の技術をもってして「拡張」されたアース・ワーク(ランドアート)だと感じた。



そして、一連の企画がひと段落してからついに始まった大阪・関西万博の饗宴。『パビリオン・ゼロ』の余韻と問いかけは、まだまだ続いているように思う。



「これは芸術です。現実ではありません」——布施琳太郎『パビリオン・ゼロ』全貌レポ【後編】

編集部おすすめ