Text by 常川拓也
Text by 今川彩香
いっときのあいだ、ここではない、でもたしかに私たちとつながっている場所に飛び立てる。スクリーンに縁取られた世界は、どこかの誰かが見ていた世界でもあるのだろう——。
本作は、タリバン政権から逃れたアフガニスタン難民の日常を、ユーモアを交えながら描いた物語。監督ババク・ジャラリは、自身の作品に通底するテーマを「故郷から追放された感覚」の探求だと話し、ガザ侵攻が続くパレスチナ問題にも強い関心を寄せて声を上げる。社会の周縁に追いやられてきた人々を、監督はどんなふうに見つめているのだろう。オンラインインタビューでの言葉を交えながら、本作から見える「世界」を考えてみたい。
2024年の『インディペンデント・スピリット賞』の授賞式が行われている最中。その外では、パレスチナ支持者たちがガザ解放と即時停戦を訴える、抗議デモのシュプレヒコールが鳴り響いていた。式典に混乱をきたしたり、彼らを揶揄したりする者もいるなか、『ジョン・カサヴェテス賞』(100万ドル未満で制作された映画が対象となる)に輝いた『フォーチュンクッキー』の監督ババク・ジャラリは、自身の受賞の言葉よりも抗議の声のほうがはるかに大切だとスピーチした。紛争地帯から避難したアフガニスタン難民を描く本作には、この彼の社会的姿勢が貫かれているだろう。
オンラインインタビューでジャラリに尋ねると、彼は「私にとって、パレスチナ問題はとても重要なこと。以前からずっと抗議活動に参加していましたし、彼らが解放されるまで声を上げ続けたい」と即答した。
カリフォルニア州フリーモントの小さなフォーチュンクッキー工場で働く主人公ドニヤは、かつてアフガニスタンの米軍基地で通訳を務めていたが、タリバンの脅威からアメリカに逃れてきた若い女性である。彼女は、基地での経験のトラウマだけでなく、家族を未だ危険な地域に残してきたことの罪悪感、アメリカのために働いたことで故郷で裏切り者と見なされている葛藤を抱えているため、慢性的な不眠症に苦しんでいる。戦争で祖国と敵対した地で安全に暮らしている自分を許すことができず、夜も眠れない状況にいるのだ。映画は、白黒と狭い画面のスタンダードサイズを採用することで、寡黙な彼女の窮屈感や孤立感を強調している。

© 2023 Fremont The Movie LLC
この設定には、歴史的背景が反映されている。2021年8月、アフガニスタン政権崩壊後、米軍を支援したアフガニスタン民間人などを避難させる活動「同盟者歓迎作戦」が行われ、約8万9000人のアフガニスタン人が米国に移住、そのうち約3000人が北カリフォルニアの都市に定住したと言われる。原題にもなっている「フリーモント(Fremont)」は、その一都市であり、北米最大のアフガニスタン人コミュニティが存在する地域である。ドニヤを演じる映画初出演のアナイタ・ワリ・ザダは、アフガニスタンでテレビ司会者兼ジャーナリストとして活動していたが、タリバンによるカブール陥落後、姉とともに国外逃亡を余儀なくされた。
隣国イラン出身のジャラリは、自作に通底する主題を「故郷から追放された感覚」の探求にあると説明する。「本来住んでいるべき場所から追い出された感覚、故郷やアウトサイダーという概念、そしてどこにいても人間は自由であるという考え方にずっと関心を抱いてきました。

© 2023 Fremont The Movie LLC
劇中でドニヤは、工場、難民の仲間たちに囲まれた集合住宅、行きつけの食堂、睡眠薬を得るための精神科を行き来する単調な生活を送っているが、その穏やかなトーンの陰に、アフガニスタンとアメリカの引き裂かれた複雑な関係があることを滲ませる。本作は大袈裟に物語を展開させず、難民を哀れむべき犠牲者として描くことを避けている。「ただ同情されるだけの移民の物語は描きたくなかった」とジャラリはその意図を語る。
「難民の悲劇的な面ばかりに焦点を当ててしまうと、観客はどこか他人事として、自分とは違う人々だと哀れむ見方をする恐れがある。ひとりの人間として見てほしいんです。だから、そのような描き方は有害だと感じます。私は、差別や偏見のもとになる人種的・文化的違いによる「脅威」というものは、想像からつくり出されてしまうものだと考えています。例えば、私が住んでいるイギリスでは6年前、ブレグジット(※、イギリスのEU離脱)がありましたが、あのとき政治家や一部のメディアは、『移民はあなたとは違う存在だ』と恐怖を掻き立てた。その結果、それまで隣り合って暮らし、一緒に働いてきたはずの人々に対して、想像上の恐怖心を植え付けられてしまったのです。
私はフィルムメイカーとして、人と人の違いを見せたり、他者性を強調したりすることに一切関心がありません。むしろ普遍的な類似点に目を向け、架空の差異や恐怖心を取り除くような映画を目指しています。

© 2023 Fremont The Movie LLC
ドニヤと観客に感情的なつながりを築くために、ドライなユーモアを用いている。突飛で気まずいシチュエーションをドニヤが無表情に切り抜ける姿に笑いを見出すのだ。この手法について、ジャラリは3人の巨匠からの影響を認める。
「14~15歳のときに初めてアキ・カウリスマキ(※1)の作品を観てから、大好きな映画作家のひとりで、彼のように物語ることに憧れてきました。少しダークで重いテーマでも、不条理なユーモアで対処できることを教えてくれたのです。それ以来、私にとって不条理を描くことが重要であり続けています。なぜなら毎日、ニュースを見ているだけでも実感するように、私たちの世界自体が不条理でクレイジーなものだから。カウリスマキはアルコール中毒者や失業者をよく描きますが、超現実的に描写するよりも、そういった語り口のほうがその人間に対して思い入れが深くなると感じています。『ストレンジャー・ザン・パラダイス』(1984年)、『ダウン・バイ・ロー』(1986年)、『ミステリー・トレイン』(1989年)など、ジム・ジャームッシュ(※2)の初期の作品、そしてスウェーデンのロイ・アンダーソン(※3)の作品の独特のトーンからも強い影響を受けています」
本作は、同様に不眠症や倦怠感に悩まされている、大学卒業後のモラトリアムな若い女性を白黒で描いたケベック映画『まどろみのニコール』(2014年)を思い起こさせる。その監督ステファヌ・ラフルールは、アメリカ独立系映画には白黒と無表情喜劇の長い伝統があると言ったが、『フォーチュンクッキー』はまさにその正統な継承と言える。
私たちは、不条理な世界をドニヤの目を通して見る(ドニヤはダリー語で「世界」を意味する。

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シンプルな標語や運勢が書かれたおみくじの入ったフォーチュンクッキー。主にアメリカでは中華料理店で提供されるが、最近の作品では、青春恋愛ドラマ『私たちの青い夏』(2022年~)シーズン2第1話で、クッキーのなかから「幸せとは行為である」と出てきたのが印象的だった。本作『フォーチュンクッキー』では、小さなクッキーを作り、そのなかに幸運のメッセージをしたためるというその仕組み、あるいはそこで生み出される楽天的なイメージを支えているのが、さまざまな国からの移民たちである実態を浮き彫りにする。フォーチュンクッキーは希望の言葉を並べ立てるが、工場で働く同僚が言うように、彼女たちには「ナンセンス」な言葉として響くのだ。本作は、モノクロームのなかでアメリカンドリームを検証する映画でもある。
「個人的にはアメリカンドリームなんて、信じていません。まさにナンセンスだと思う。劇中でドニヤは『ただアフガニスタンから逃げ出したかっただけ。アメリカじゃなくても、エルサルバドルでもドイツでもフランスでもどこでもよかった』と言います。主人公がアメリカに渡って、何でも好きなことができ、何でもほしいものが手に入るような映画をつくる気は一切なかった。

© 2023 Fremont The Movie LLC
ただ夜に眠れること──ドニヤにとって、それすらも崇高な夢なのだ。本作は、自責の念に囚われた彼女の人生に、無償の優しさを示す自動車整備士(ジェレミー・アレン・ホワイト)を出現させる。彼だけがコーヒーを無料でドニヤに差し出すのであり、そのほんの小さな親切に彼女は新鮮な感動を覚えるようだ。彼女に支えとなるような存在が必要だと思ったかを問うと、ジャラリは「いい質問ですね」と述べ、少し逡巡した後に返答した。
「必要かどうかはわからないけど、ドニヤはある意味で仲間を求めているのだと思う。アウトサイダーには他者からジャッジされることへの恐怖がつねに存在しますが、彼はドニヤがアフガニスタン出身だと知っても決して否定的に見ない。無条件の愛というのは、ありのままの自分でいさせてくれるもの。それは、愛おしくて魅力的なことだと思います」

© 2023 Fremont The Movie LLC
映画のエンドクレジットの最後にジャラリが、「WOMAN, LIFE, FREEDOM…」と添えたことも見逃せない。これは、2022年、彼の故郷イランでヒジャブを着用しなかったために道徳警察に拘束されたマフサ・アミニの死後、イラン全土で広がった抗議運動のスローガンである。
「本作の編集中に、イランで女性の自由を求めたその運動が起こりました。編集作業をしている以外は、故郷で何が起こっているのか、ニュースを追ったり、知人に電話で連絡を取ったりしていたほど、すっかり私はその運動の経過に頭がいっぱいになっていました。イランでは前例のない出来事で、何か本当に大きなことにつながるような気がしたのです。
今回、インタビューをしたなかで、ジャラリが最も長考して出した回答が、身寄りのない孤独なドニヤは「コンパニオンシップを切望している」ということだった。故郷から追われた夢なき世界で、幸福を夢見ることにすら罪悪感を抱いてしまう彼女も優しさを享受すべき存在であると『フォーチュンクッキー』はさりげなく描く。現実的でありながらも、迷える魂に仲間意識や連帯感を示すことは、ジャラリが参画する社会運動と確かに結びついた表現なのである。