Text by 常川拓也
Text by 今川彩香
布団のなか、ポチッと指を動かすだけで、注文した商品が翌日には自宅まで届いている。雨の休日、外に出るのもおっくうだから、宅配でファストフードを届けてもらおうか。
『オーロラの涙』監督のローラ・カレイラは、その作品を通して労働者を見つめてきたケン・ローチの制作会社に見出され、初の長編として本作を世に出した。機械のように管理され、同僚ともほとんど交流がなく、家に帰ればただスマホでSNSを見ている——そのスマホが故障すると、修理代で生活がままならないほどの低賃金。現代の労働生活への、たしかな批判も含まれている。
一方、近く公開されるケン・ローチの最新作にして引退作という『オールド・オーク』は、かつて労働組合で団結した元労働者たちと、シリア難民たちの対立から物語が始まる。さびれた小さなまちで、「国に見捨てられた」と鬱憤を募らせる住民は、その矛先を難民に向けてしまう。ただ、まちの交流の場であるパブの店主らの行動で、次第に状況が変わっていく——。
映画批評家、常川拓也が映画を通して社会を見つめる連載コラム「90分の世界地図」第9回目は、『オーロラの涙』と『オールド・オーク』にフォーカス。ギグ・エコノミーの陰で人間らしい生活ができない労働者の視点から、社会的に弱い立場に置かれた人々が手を取り合って連帯する希望まで、作品を通して紐解いていく。
映画はその歴史を通じて、資本主義社会が奴隷のごとく労働者を搾取し、厳しい貧困から抜け出すことがいかに困難であるか、その現実を私たちに突きつけてきた。
時代とともに仕事のかたちに変化はあれど、根本の生産の仕組みは変わらず、新たなプロレタリアート(生活のために自分の労働力を売って賃金を得る階級)が取って代わっているだけ。映画界において一番、労働生活を真剣に考えるべきものとして扱ってきたのは、ケン・ローチではないだろうか。ローチは、福祉よりも経済的利益を優先させる資本主義の構造を、社会教育学的かつ体系的な視点から批判してきた。前作『家族を想うとき』(2019)では、ゼロ時間契約(※)で働く宅配ドライバーが、次第に携帯型電子スキャナーの「奴隷」として翻弄される窮状を強く訴えた。
「映画は労働を見つめることを避けている」と語るのは、『オーロラの涙』を手がけた新鋭ローラ・カレイラだ。生まれ故郷であるポルトガルを財政破綻(※)後に離れ、スコットランドに移住したカレイラは、短編時代から移民労働者の境遇を取り上げてきた。
そんななかで、「日常生活の現実を描いた、政治的な映画をつくることに興味のある映画監督を探していた」というローチの製作会社に見出され(※1)、この長編デビュー作を完成させた。『オーロラの涙』は、ローチががギグ・エコノミーを考察した『家族を想うとき』と同じ問題意識を引き継ぎ、GAFAM経済(※2)が支配する社会において、労働者に突きつけられる厳しい現実を浮き彫りにしている。
『オーロラの涙』が映し出すのは、スコットランド・エディンバラ郊外の広大な物流センターでピッカーとして働く、ポルトガル人移民オーロラの生活。ピッカーとは、Amazonなどの大手IT企業で、荷物の取り出し・仕分けを担当する倉庫作業員のこと。
ピッカーが使うハンドスキャナーは、一定時間操作がないとアラームが鳴り響くようにプログラムされており、ノルマに達するよう時間厳守で作業に従事しなければならない。宅配ドライバー同様、生産性を高めるために、機械のように扱われ「非人間化」される。
上司たちは彼らの名前を知らず、コンピューターシステムに社員番号で管理されるように、利益の囚人と化すのである。もしくは、ノルマを達成すれば、業績に対する報酬として小さな箱からチョコバーが与えられる。それはまるで子どもへのご褒美かのよう。また、職場見学で訪れた子どもからは、動物園で動物にエサを恵むかのように、お菓子を投げ入れられる。
『オーロラの涙』© SIXTEEN DT LIMITED, BRO-CINEMA LDA, BRITISH BROADCASTING CORP
シャンタル・アケルマン(※1)にも影響を受けたカレイラは、ミニマルなアプローチで、オーロラの単調な日々を忍耐強く、そして正確に追っている。ドラマティックな演出も劇伴も用いることなく、変わりばえのない日常の反復と、その仕草を細やかに観察することで、新自由主義の陰にいる労働者の実存的な空虚さや疎外感を捉えていく。スーパーマーケットの在庫管理係の労働のなかに美しさを見出したドイツ映画『希望の灯り』(2018)とは対照的だ。手持ちカメラでの撮影はオーロラの不安定な生活を反映し、タイトなクローズアップが、閉塞感やプレッシャーを感じさせる。
『オーロラの涙』© SIXTEEN DT LIMITED, BRO-CINEMA LDA, BRITISH BROADCASTING CORP
オーロラの職場では、労働者たちが唯一話せる機会は昼食時だけ(同僚たちが繰り返し話題にするのは、何のテレビドラマを見たかである)。
以降、オーロラが商品の物干しロープを何度も見つめるように、死あるいは希死念慮という主題が映画全体に通底して流れている(後半、オーロラに店頭でメイクを施す化粧品販売員にはリストカットの跡が見られる)。このような憂鬱な心情や虚無感は、平凡な日々に疲弊した内向的な女性が自らの死を空想する『時々、私は考える』(2023)を思い起こさせる。
一方、ケン・ローチの最新作にして引退作と銘打たれた『オールド・オーク』でも、心優しいパブ店主のTJが、希死念慮を抱えていた人物として現れる。
『オールド・オーク』は、ケン・ローチが現代資本主義に取り残された者たちの姿を描く「イギリス北東部三部作」の最終章である。イギリスの社会保障制度の崩壊を詳らかにした『わたしは、ダニエル・ブレイク』(2016)、ギグ・エコノミーを痛烈に批判した『家族を想うとき』(2019)に続く作品だ。
三部作はすべて、ローチと長年タッグを組む脚本家、ポール・ラヴァティが脚本を担当。彼らがこの前二作で国家の無関心と組織的な搾取、そして労働者の日常生活が断片化されていることを描いたとすれば、『オールド・オーク』では分断された者同士の連帯を描き出そうとしている。
『オールド・オーク』© Sixteen Oak Limited, Why Not Productions, Goodfellas, Les Films du Fleuve, British Broadcasting Corporation, France 2 Cinéma and The British Film Institute 2023
本作の舞台は、ブレグジット(英国のEU離脱)前の2016年、英国北東部の小さな町。唯一の地域産業だった炭鉱の閉鎖から町は荒廃し、失業に苦しむ町民と、内戦から逃れてきたシリア難民が対立するところから始まる。
「1920年代、ファシズムは貧困と不安から生まれた」と、人種差別が生まれる根源に着目するローチは、移民の流入が憎悪の矛先となり、町民が差別的な思考に陥っていく様子、難民たちを経済問題のスケープゴートに仕立て上げる過程を、静謐に展開させていく。同情を乞うような感傷的な表現も派手な感情表現も必要ないと言わんばかりに。
この分裂の渦中に立つのが、題名にもなっているパブである。そこは生計手段を失った鉱夫たちがビールを飲みながら愚痴や不満を語らう「逃げ場」であった。少数の頑固な常連客が、ただ食事をして集う場所を求める難民の入店を拒否したことで、社会的不和の様相を呈していく。
『オールド・オーク』© Sixteen Oak Limited, Why Not Productions, Goodfellas, Les Films du Fleuve, British Broadcasting Corporation, France 2 Cinéma and The British Film Institute 2023
シリア難民でアマチュア写真家のヤラはTJとともに、パブの裏部屋——かつて鉱夫たちの食堂だったが、老朽化のために放棄されていた——を改装し、困窮するすべての人が交流し、結託する場所として、食堂をつくりだす。「共に食べて団結を」──裏部屋の壁に貼られたままの炭鉱夫の写真に記された、この地域のモットー。それを体現し、多文化主義と連帯のささやかなユートピアを構築するのである。
冒頭、TJがパブの看板の傾きを直そうとする場面が象徴するように、『オールド・オーク』は、互いに政治に見捨てられた集団同士の誤解を修復し、コミュニティの融和を試みる物語なのだ。
『オールド・オーク』© Sixteen Oak Limited, Why Not Productions, Goodfellas, Les Films du Fleuve, British Broadcasting Corporation, France 2 Cinéma and The British Film Institute 2023
本作のTJとヤラの利益を目的としない関係性は、『わたしは、ダニエル・ブレイク』で描かれた、配偶者を失った男性が、困難な状況にあるシングルマザーを無償で助ける関係性とよく似ている。また、進歩主義を掲げる理想主義者のTJの姿は、『ジミー、野を駆ける伝説』(2014)でアイルランド内戦後、分断された人々を結びつけようと、地域の集会所を改修する活動家の姿も彷彿とさせる。
なお、芸術と生活に優劣はなく、本質的に結びついていると捉えるローチは「いい映画をつくるために人を虐待する必要はない」と断言している。撮影中、当初合意した範囲外でサプライズ的に「卑劣な策略」を俳優に仕掛けることを否定している点も付記したい。映画製作の過程でのハラスメントや搾取の問題が取り沙汰される現在、彼が、映画は監督個人に帰すのではなく、集団の成果だと繰り返し主張していることは重要だろう。
労働者階級の擁護者として、あらゆる形態の専制的なシステムや社会のあり方を糾弾してきたローチのこれまでの映画と比べると、『オールド・オーク』はいささか楽観主義的に見える。しかし、不正義へのたしかな怒りをもって、社会の構造的な問題を切実に暴こうとしてきた彼は、長い映画製作のキャリアに終止符を打つと明言した本作で、政治的な信条を発しているように思える。
自死の瀬戸際に立った過去がある男(TJ)を中心に描かれる、よりよい社会を構築しようとする無私の行動。それは、冷酷な個人主義に対抗しうるのは「連帯」であり、それを促すヒューマニズムへの賛辞に思える。まるでハリウッドの良心を象徴する名匠フランク・キャプラ(※)の如く、理想主義的な寓話を展開させるのだ。
『オールド・オーク』© Sixteen Oak Limited, Why Not Productions, Goodfellas, Les Films du Fleuve, British Broadcasting Corporation, France 2 Cinéma and The British Film Institute 2023
悲観主義を避け、人種差別主義者たちさえも断罪することなく、ただ善が勝利を収める——ますます不寛容になる世界において、喫緊の課題に対する、ローチからの明確なメッセージである。
ローチにとって、映画は「私たちが住んでいる世界に向けた鏡」である。
ローチは、これまでも2度、引退を撤回している──1度目は2015年の総選挙で保守党が勝利したとき、2度目はギグ・エコノミーという「新しい種類の搾取」を目撃したとき──ため、本当にこれが最後の作品となるかはわからない。しかし、個人的な問題のように見える事象の根源が、システムそのものにあることを暴く彼の高潔な精神は、たとえ本当に引退したとしても、その映画を通して途絶えずに生き続けていくだろう。
『オーロラの涙』© SIXTEEN DT LIMITED, BRO-CINEMA LDA, BRITISH BROADCASTING CORP
『オーロラの涙』も『オールド・オーク』も、抑圧された者たちが団結して体制を変えようとするどころか、自分よりも不安定な状況にある者を見つけ出して虐げるという、資本主義のもとで抑圧された階層が陥りやすい構造を注意深く見つめている。
劇的な好転や悪転を伴う、古典的な映画の筋書きや心理分析をほとんど避け、観察ドキュメンタリー的な演出に限定した『オーロラの涙』では、もはや社会への抗議の兆候も、反乱の気配も、微塵も感じられない。機械的に管理される仕事によって、オーロラの生活には、組織化や団結で力をもつ労働運動の存在が欠けている。ローチ同様、カレイラもまた、機械のように人間が扱われ、労働者同士の交流すらほとんどない労働世界を、根本的に強く非難している。
『オーロラの涙』© SIXTEEN DT LIMITED, BRO-CINEMA LDA, BRITISH BROADCASTING CORP
社会は、荷物を仕分ける人や食料を運ぶ人の苦しみを、つねに考えないようにしてきたのではないか。例えばUber EatsなどのCMで描かれるような現代の消費者にとって、オンラインショッピングを利用するときに、まず倉庫労働者や配達員の存在に思いを馳せる人がどれほどいるだろう。
2022年頃から、英国や日本を含む世界各地でAmazonに対するストライキやデモが広がっている(※)──彼らを、機械で管理された巨大なシステムのように考えることをやめ、顔の見える存在へと認識し直すこと。目の前で困っている人に思いやりを示し、孤立した苦難の経験を抵抗の連帯へと変える、ケン・ローチの精神が必要とされている。
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