小学校5年生のときに国語の教科書に載っていた物語は何? と聞かれても答えられない人も多いことでしょうが(私は答えられません)、それでは小学校5年生の時に読んでいた少女漫画は何? と聞かれたら、スラスラ答えられる人が多いのではないでしょうか。少女漫画というのは、それほど子どもの心に大きな影響力があるものだと思います。


ただし、だからこそ罪深い面もあり、たとえば大人になって立派なキャリアウーマンとなっても、白馬の王子様を待ち続けたり、少女漫画にいるような完璧なプロフィールの男性を求めてしまうのは少女漫画の影響がないとは言い切れないと思うこともあり、ときどき微妙な気分になります。

○槇村さとる作品には、少女漫画にありがちな“恋愛感”が希薄だった

それはさておき、甘美で時に罪深い少女漫画界を長年牽引してきたのが、槇村さとるセンセイ。初期の代表作としては「愛のアランフェス」「白のファルーカ」、ドラマ化されたのでご存じの方も多いと思いますが「おいしい関係」「Real Clothes」「イマジン」があります(すべて集英社)。もちろん私も読者の一人でしたが、ちょっとした違和感があったのです。この時代の少女漫画と言えば、素敵な男性に愛され、両想いになるというのがひとつのゴールとされていたのに、槇村作品はそういう感じではない。恋愛や結婚ではなく、自分はどう生きたいのかを問うてくる感じがありました。


私にとっての謎は、槇村センセイのエッセイ「イマジンノート」(集英社)によって明らかにされるのでした。槇村センセイのお父さんは暴力をふるう人で、耐えかねたお母さんは小学生の槇村センセイと病気の弟さんを置いて、家出をしてしまいます。残された槇村センセイは女の子であるという理由で家事を担当し、弟さんの面倒を見るなど、今で言うヤングケアラーだったのです。これだけでも十分問題ですが(今なら警察案件です)、センセイのお父さんは子どもたちにも暴力をふるい、あろうことか、センセイに性加害をしていたのです。
○父の虐待、家を出た母、ヤングケアラーだった槇村センセイ

シングルマザーが再婚をし、新しく父親となったオトコと母親が子どもを殺してしまう。こんな事件が起きるたびに、どうして子どもは虐待を周囲の大人に訴えないのかと思う人もいるでしょう。
実際に担任の先生に訴えたのに無視されたというケースもありますが、なぜ子どもが黙っているかというと、子どもにもプライドがあるからと言われています。自分に悪いところがあったから殴られるのだというふうに理由をつけることで、自分を納得させる。なので、虐待されている人ほど周りにその話をせず、自分自身が忘れていて、別件でカウンセリングを受けている最中に突然記憶がよみがえってくるとういこともめずらしくないそうなのです。

「イマジンノート」によると、漫画界では順調にキャリアを積む槇村センセイでしたが、プライベートではアシスタントが集団でやめてしまうなど、「人付き合いが苦手」だったそう。センセイは高校を卒業した後、一般企業につとめ、会社員生活をしながら漫画の投稿を続けますが、売れたのが早かったので会社を数年で退職しています。ですから、組織になじみがなく、上司もしくは経営者としてのふるまいがよくわかっていなかったことと、「境界を引くのが苦手だった」ことが考えられます。

虐待の被害者は、境界線を引くのが下手だと言われる


「境界線を引く」とは心理学でよく使われる用語で、「どんなに親しい人でも、越えてはいけない一線がある」という考えの下、たとえ親子や夫婦であっても立ち入ってはいけない分野あると精神的な距離を置くことです。人によっては「水臭い」と思う人もいるでしょうが、実は対人トラブルのほとんどは「境界線を引けていない」、つまり必要以上に相手に近づいてしまうからと言われています。そして、槇村センセイのように性加害などのトラウマを受けた人は「他人との境界線があいまいになってしまう、境界線を引くのが苦手」とされています。必要以上に人にベッタリしたかと思うと、今度は急に心を閉ざしてしまう。センセイも親孝行の名の下、性加害してきたお父さんに家を建ててあげたり、生活の面倒をみてあげたりもしています。

しかし、そうはいっても、世の中は「人付き合いが苦手」な人の方がはるかに多いでしょうから、対人関係がうまくいかないことに自分の生育環境が関係していると気づく人はかなりの少数派だと思います。

○センセイが自分に目を向けるきっかけは、編集者のひと言だった

槇村センセイが自分というものに目をむけるようになったきっかけは、編集者のひと言だったと言います。「なぐるのは、愛しているから」というセンセイの描写に対し、編集者が「屈折している」と指摘したことで、センセイはお父さんからの暴力を正当化して、自分を守ってきたことに気付きます。そして、自分の内部へと興味を向けるようになり、それが代表作のひとつ、「イマジン」へとつながっていくのです。

もう一つ、センセイには変化がありました。出会ってわずか10日めに、キム・ミョンガン氏と結婚されたのです。センセイの考えるパートナーシップは「ふたり歩きの設計図」(集英社文庫)などに詳しいので、ご興味のある方はどうぞ。


センセイのお父さまが妻子に暴力をふるっていたことは許されないことですが、その一方で、暴力をふるわないといけない理由、たとえばお父さま自身も殴られていたなど、何か事情があったんだろうなと思います。そして、そういう悪循環を断ち切るのは、そう簡単なことではないのです。
○槇村センセイの名言「変わんないよ、人間は簡単には」

槇村センセイは生まれつきの才能があり、家の環境がよくなかったことから漫画を描くことに没頭し(いくら才能があっても、遊んでばかりの青春だったら、漫画家として大成しなかったでしょう)、編集者に自分のゆがみを指摘されたことで、大きな問題に気づき、パートナーを年収などの条件で選ばずに結婚することができた。これは正直、センセイが稀有なレベルの社会的成功者だからできることであって、一般人には真似できない“自立”だと思います。

前出「ふたり歩きの設計図」で、センセイは「変わんないよ、人間は簡単には」とお書きになっている。もしかしたら、槇村センセイご自身も、今でもご自分についてもてあましている部分があるのかもしれません。
生育環境由来の傷やゆがみを「治す」と考える人は多いものですが、シミをレーザーで打ったらぽろっと消えたというようなものではなく、頭が痛くなったら鎮痛薬を飲むように、だましだまし付き合っていくものではないかと思います。けれど、痛みが残っているからこそ、それが作品につながっていくわけですし、人知れず痛みを抱える人がいるからこそ、少女漫画のような美しい世界が必要なのだと思うのです。これからも、槇村センセイの作品を読み続けるぞと誓ったのでした。

仁科友里 にしなゆり 会社員を経てフリーライターに。OL生活を綴ったブログが注目を集め『もさ子の女たるもの』(宙出版)でデビュー。「間違いだらけの婚活にサヨナラ」(主婦と生活社) が異例の婚活本として話題に。「週刊女性PRIME」にて「ヤバ女列伝」、「現代ビジネス」にて「カサンドラな妻たち」連載中。Twitterアカウント @_nishinayuri この著者の記事一覧はこちら