●「絶対にもう歌から逃げない」と決意
「20世紀最後の大型新人」と言われながら2009年以降、表舞台から姿を消していたアーティスト・shela。昨年12月1日、自身のデビュー日に22年ぶりとなるワンマンライブ『shela Special Fun Live』を東京・南青山レッド・シューズで開催した。
彼女は現在、1児の母として奮闘中だが、この復活まで様々なことに悩み苦しみ、未来への絶望があった中での奇跡のワンマンライブだった。

その背景には彼女を支え続けたファンのとある行動も…。ライブを終えたshelaを、マイナビニュースが独占取材した。彼女の心を押しつぶしていた重し、そしてそこへ降り注いだ奇跡とは――?

○地元・北海道に生活拠点を移し、1児の母に

開演時刻の19時。いよいよライブが幕を開ける。デビューシングル「White」に収録されている「White Destiny」のイントロが鳴り響くと、フロア後方からshelaが登場。長い時を経たshelaとの再会に早速、多くのファンの涙が頬を伝う。shela本人も涙をグッと堪えながら、歌唱していた。

1コーラスを終えると、ファンに優しく見守られながら一歩ずつ進んでステージ前方へ。会場から「おかえり!!」「shela!!」とあふれんばかりの歓声が飛び交った。

2曲目に選んだのは、自身最大のヒット曲「Love Again ~永遠の世界~」。当時と変わらぬ歌声に、会場は酔いしれていった。
歌い終えると、「みなさんこんばんはshelaです」と挨拶し、MCへ。「ここにいることが本当に奇跡。みんなの気持ちに応えることができずにいた自分を責めたりもした」とこれまでの不安や葛藤を告白しながら、「絶対にもう歌から逃げない。一つ一つを積み重ねてファンの方と同じところからリスタートしたい」と決意を語った。

shelaは1999年12月1日、「20世紀最後の大型新人」としてシングル「White」でデビュー。2ndシングル「RED」の収録曲「Love Again ~永遠の世界~」はドラマ主題歌に起用され自身最大のヒットシングルとなる。翌年11月、日本有線放送大賞新人賞、翌々年1stアルバム『COLORLESS』でオリコン週間アルバムチャート1位を獲得するなど大きな功績を残した。

だが、歌い続けていく未来に不安を感じ始めた。それは一人の女性として人生の節目ともいえる20代から30代へ移り変わる時期――「母親になりたい!!」

医師から妊娠しづらい身体だと告げられていた。それでも彼女は交際していた男性との結婚を選択。地元・北海道に生活拠点を移し、間もなく1児を授かった。
○ニセモノshelaが登場「元avex歌手だけど質問ある?」

だが、思い描いていた生活と現実は違った。
やがて彼女は1人で子育てすることを決めた。

「でもshelaとして、どこかのお店でバイトをしているのを見つかったら、ファンをがっかりさせるかもしれない。何がきっかけで『shelaがここで働いていた』などと、ネットに書かれるか分からない。それでは子どもを守れない」──そんな思いを抱えながらの生活。さらには、「私の唯一の取り柄である歌が封印されていた。もちろんその都度の私が選択した結果でしたが、自己肯定感がどんどん下がっていったんです」と述懐。陰うつとしていく中で、まず1つ目の奇跡が起こる。shelaのニセモノの登場だ。

「ネット掲示板に『元avex歌手だけど質問ある?』というスレッドが立ったんです。それは私のなりすましでした。私も友人から知らされ覗いてみると、『あの曲が好きだった』『今もアルバム大事に持っている』などの声が…。私のことを覚えている人がいたんだと身体が震えました」

心の底からうれしかった。
しかし、歌から離れて10年。もう二度と歌うことはないと思っていた。そんな彼女に「ありがとうの気持ちを歌うことで伝えてみたら?」と、現役時代を知る友人がYouTubeの開設を提案。1カ月ほどの悩み抜き、「歌ってみた」などのコンテンツを公開した。

音源を使用するにあたってクリアすべき課題も多く、再び以前のような活動することは容易ではない。だが開設して2年。フタを開けてみれば、1万5千人を超える登録者、「Dear my friends」の「歌ってみた」が25万回再生を記録。楽曲のサブスクリプション配信の解禁と共に当時のレーベルより公開された「Love Again ~永遠の世界~」のミュージックビデオが82万回再生と、想定を大きく超える反響に彼女も驚いた。

こんなにshelaを求めてくれる方々がいたなんて――そんな喜びの中の彼女を次に襲ったのはプレッシャーだった。

「うれしいんですが、『次の動画待ってます』『次はこれを歌ってください』と次々とメッセージが届き、復帰したと間違えられたのではないか、期待を持たせすぎたのではないかという重圧がのしかかってきました。現状ではアーティスト活動をフルで行うことはできない。それなのにこれ以上、何をどうやっていけばいいんだろうという葛藤が始まりました」

歌と真剣に向き合いすぎた結果…

そもそも彼女は、アーティストであってYouTuberではない。YouTubeに自身の曲を流してファンに聴いてもらうことと、現状、真剣に歌と向き合うことができないプロとしての後悔。
shelaとしてYouTubeに取り組むことに対し、中途半端な覚悟で向き合ってしまったのではないかと激しく苦悩してしまったのだ。それは時折、すべてを終わらせようとチャンネルを消すことも心に浮かんだほど…。

20年前の彼女は、歌と真剣に向き合いたいがために、がむしゃらに生きてきた。時に衝突を生み、そこからさらに良い結果が導き出されていったりもした。それほど彼女にとって歌は特別であり、大切であった。常に全力投球。中途半端な覚悟で挑めるようなものでは到底なかったのだ。

だが、そんな刹那に身命を賭して全力で駆け抜けていく衝動は、人を盲目にもする。

「今もファンでいてくださる方々の期待に応えられないと悩む一方で、あの頃の私は歌にがむしゃら過ぎて、私の曲を聴いて励まされたと言ってくれる優しいファンがこんなにもいたということに、正直、全然気づけていなかったと後悔、反省しました。そんな人たちに何かもっとできたのではないかと思い知らされたのです」

○熱心なファンが心を動かす「ネガティブからポジティブに」

中でも、とあるファンは、SNSを通じて「この歌が何十万回再生されたよ」「shelaを『THE FIRST TAKE』に出す活動をしよう」「USENにこの歌を皆でリクエストしよう」と熱心に投稿を続けてくれた。こんな自分のために……たった一人で……それで巨大な山が動くことなんてそうそうないのに――だが、この運動が徐々に広がっていく。

「職業的に歌手として、本来は私が歌で皆を励ましたり勇気づけたりしなければならない。
でも今は逆に、ファンの方が私の心を動かしてくれたんです。先述した歌への取り組みの悩みが、ネガティブからポジティブに変わった瞬間でもありました」

彼女がファンのありがたさを本当の意味で知ったのとほぼ時を同じくして、友人から連絡が入る。「ライブをしてみたら?」──それは簡単な話ではない。会場をどうするのか、音源は使えるのか、クリアしなければならないことが山ほどある。ところが、まるで神の気まぐれかのごとく、様々なことがことごとく解決されていったのだ。まさに“奇跡”が起きた! そして……

「ライブをします」――SNSでその告知をしたところ、50人規模の会場ではあったが、たった1時間で300人を超える応募が押し寄せたのだ。かくして、22年ぶりとなるワンマンライブ『shela Special Fun Live』は実現した。

一人息子も後押しに…手作りプレゼントで励まされる

実はこの背景には、一人息子からの支えもあった。YouTubeチャンネルの登録者数が1万人に到達しようとしていた時、「息子が、“1万人になったら渡そう”と、段ボールで手作りした“銀の盾”と、たくさんのユニークな折り紙をいっぱい折って、私にプレゼントしてくれたんです。9,500人くらいになった頃から、こっそりと作ってくれていたみたいで、『やっと渡せるわ!』と言って」

「でも銀の盾って10万人じゃない?」「ママまだ時間かかりそうだからさっ…」という会話もありながら、ライブをするにあたって「大変そうだけど頑張ってね」「そうなんだ、こうしたらいいんじゃない?」などとshelaを励まし続けてきた。そんな息子の存在も「大きかった」と述懐する。

○ステージから見えた景色――「心の中は大号泣でした」

そしてライブ本番。
「ステージに出た瞬間に『shela!』っていう呼び声で『ウッ』ってなっちゃったんですよ。マイクを持ってる自分の前にファンの人がいて曲がかかっている。またこうやって名前を呼んでくれる瞬間がくるなんて……そのシチュエーション自体、今私のいる環境からしたら想像もできないことだし、もうそんな日なんて来ないなって思ってたことだったので、目の前から『shela』って言われるひと言で泣きそうになって。もうダメかもって思ったんですけど、絶対泣かずに歌いたいって決めてたんで。

 しくしく泣いてみんなありがとうっていうようなライブには絶対したくないって思ってたし、お金を頂いてライブをするということ自体、当時からなかったんですよね。シークレットライブとかスポンサーがついて抽選で招待しますとかで。だから、今回お金を頂いて歌わせていただくということで、当時の歌をみんなにちゃんと届けなきゃいけないという思いで歌わせていただいたんですけど、ステージに立った時に、当時と同じ人が目の前にいたんですよ。いつも私のライブのときに必ず目の前で見てくださるファンの方たちが。

 それを見たときに心の中は大号泣でした。またこうやって来て聴いてくれてるという、現実なのか夢なのか…そういう瞬間でした。当時と変わらず一番前で私のことを見守ってくれてる、で歌を聴いてくれているというのがすごく伝わってきて。『待ってくれていたファンの方々に心から歌を届けよう』という思いで歌っている自分がいました」

このライブの大成功は、3月30日に開催される次のライブへとつながった。ニセモノの登場から始まり、YouTubeの開設。そこで逆にファンから励まされ、ネガティブがポジティブへと変化し、そしてライブ、さらには次のステージへ。

この20年で、人としても、母としても、そして一表現者としても成長を続けてきたshela。歌で人を支えるだけでなく、ファンから支えられていることも知った彼女はここに来て、さらなる“強み”を身に着けた。――ここで終わらせるな、絶望に染まるな。運命に爪を立てて、もがき続けろ。あらがえ──! 彼女の言葉を聞きながら、そんな言葉が頭を巡ったのだった。

『shela Special Fun Live ~We are friends!!~」
・2025年3月30日 開場:16:00 開演:17:00
・会場:東京・六本木R3 Club Lounge

衣輪晋一 きぬわ しんいち メディア研究家。インドネシアでボランティア後に帰国。雑誌「TVガイド」「メンズナックル」など、「マイナビニュース」「ORICON NEWS」「週刊女性PRIME」など、カンテレ公式HP、メルマガ「JEN」、書籍「見てしまった人の怖い話」「さすがといわせる東京選抜グルメ2014」「アジアのいかしたTシャツ」(ネタ提供)、制作会社でのドラマ企画アドバイザーなど幅広く活動中。 この著者の記事一覧はこちら
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