結婚や出産などのタイミングで引退を考えたことも
1976年に「第1回ホリプロタレントスカウトキャラバン」で優勝してから今年で49年となる榊原郁恵。歌手、女優、タレントと幅広く活躍し、66歳の今も弾ける笑顔で多くの人にパワーを届けている。現在、東京・TBS赤坂ACTシアターにてロングラン上演中の舞台『ハリー・ポッターと呪いの子』でマクゴナガル校長役に全力を注いでいる榊原にインタビューし、これまでの歩みを振り返るとともに、今の思いを語ってもらった。50年近く芸能界で活動を続けてきた榊原。「ここまで長く続けられるとは思ってなかったです」と自身でも驚いているという。
「自分には向いてないなと思って、このお仕事から離れたいと思ったことは何度もありましたが、そのたびに何か後押ししていただいて、今回の舞台もそうですけど、まだまだ勉強することがあるし、自分にやるべきことがあると提示してもらってきたので、私は恵まれているなと感じています」
芸能界入りのきっかけは、高校2年生のときに受けた「第1回ホリプロタレントスカウトキャラバン」だった。
「ホリプロのオーディションがあると知って興味を持ったので、ずっと長いことこの世界を夢見ていたとか、何か準備していたということではなかったです」
見事グランプリに輝き、何もかも未経験で芸能活動をスタートさせた。
「演劇学校に通ったり、専門的な勉強をしていたわけではないので、土台がない中で続ける難しさを感じることは多々ありましたが、私がデビューした頃は原石を磨く時代。光るかわからないじゃがいもみたいな人を、スタッフやファンの方々にどんどん磨いてもらって輝きを放つ時代だったので、私がオーディションに受かったのではないかなと思います」
「夏のお嬢さん」などヒット曲に恵まれ、『NHK紅白歌合戦』に6回出場するなど、歌手として人気を博し、現在は女優やタレントとして活躍しているが、結婚や出産などのタイミングで引退を考えたことがあったという。
「新人のときはちゃんと居場所がありましたが、年数を重ねていき、また、結婚や出産もあって、そろそろ潮時かなと。当時は、子育てしながら続けている方があまりいなくて、山口百恵さんのように結婚を機に潔く引退するというのも素敵な生き方だなと思っていました」
だが、母の言葉で仕事を続けることを決意したという。
「結婚したときに母から『あなたも向上していくことによって旦那さんとの釣り合いが取れるだろうから、人間を大きくするために仕事を続けなさい』と言ってもらい、仕事を続けることにしました」
そして、「自分だけでは仕事と子育ての両立はできなかった」と言い、「主人の理解と応援があり、そして渡辺と榊原両方の親に助けてもらって。子供が素直に育ったのは、おじいちゃんおばあちゃんのおかげです」と周囲のサポートに感謝。
また、母になった経験が自身の演技や表現にも深く影響しているそうで、「世界が広がって、自分の経験値が上がって、それが役にもバラエティにも反映されました」と語る。
年齢や経験を重ねて芽生えた葛藤 徹さんの言葉が救いに
榊原といえば、周囲をハッピーオーラで包む温かい笑顔が魅力だが、「笑顔や健康ばかり褒められて、それしかないのかなと思うこともありました」と吐露。「でも、『明るさに励まされました』『笑顔を見てエネルギーをもらいました』という感想をいただくと、笑顔って大事なんだなと感じることができました」と自分の魅力として認めることができたという。また、一番最初に宣材写真を撮影してくれたカメラマンに、カメラの前に立つときの心構えを教えてもらったと明かす。
「『笑って』ではなく『いろんなことを想像してそこにいてくれたらいいから』と言われて、友達と映画を見に行って面白かったな、このあと何しようかなとか考えて、自然に出てくる表情を撮ってもらって。そこからずっと、テレビに出るときでも、表情を作るのではなく、自然体の表情を出せるようになったのかなと思います」
年齢や経験を重ねていく中で、テレビなどで発言する際に「こういう意見を述べられる人間にならなきゃいけないんじゃないか」と葛藤することも。そんな榊原を救ってくれたのが、夫・渡辺徹さんだったという。
「年齢や立ち位置を踏まえると、私はこれくらいのことを言えないといけないのではないかと、しっかり考えていこうと思ったときがあったのですが、高望みして空振りしてしまうことが多々あって、よく落ち込んでいたんです。そんなときに、主人が『お前は勢いでいけ!』『勢いでいっていいんだ!』と言ってくれて、このままでいいんだと思って安心しましたし、すごく救われました」
また、物事をポジティブに捉えるプラス思考も徹さんから教えてもらったという。
「私はネガティブ派で、起きた出来事に対して反省が多く、『あのときああすればよかったのにどうしてできなかったんだろう』と後悔したり、失敗を恐れたりしていて。それを主人に指摘され、『失敗して気づけてよかった』『次はこうしよう』という風に捉え方を変えたら全然違うと。アドバイスのおかげでプラスに捉えられるようになり、主人から教えてもらった大きな財産だと思っています」
後悔や寂しさも抱きつつ「一日一日を生きていくしかない」
2022年11月に徹さんが亡くなってから約2年半が経った。「乗り越えることはたぶんできないと思います。たくさんの後悔や寂しさに押しつぶされそうになることもありますが、起きてしまった事実は変えられないので、自分が置かれている環境をちゃんと受け止めて、目の前のことにただただ向かっていくしかない。そのことだけを見ていたら動けなくなりますが、動かざるを得ないというか、昨日があるから今があって、明日があるから頑張れる。
そういう風に一日一日を生きていくしかないと思います」
榊原が今、全力を注いでいるのが『ハリー・ポッターと呪いの子』だ。同舞台は、小説『ハリー・ポッター』シリーズの作者であるJ.K.ローリングらが書き下ろしたシリーズ8作目の物語。小説の最終巻から19年後、父親になった37歳のハリー・ポッターとその息子・アルバスの関係を軸に描かれる新たな冒険物語は、世界中で多くの演劇賞を獲得している。
2022年7月の開幕当時からマクゴナガル校長を演じている榊原は「今はこの舞台の一員として大きな列車に乗っている状態。今のメンバーでの上演は6月26日が最終日になるので、そこまで明るく楽しく走り切るというのが今の最大のテーマです」と気を引き締める。
そして、本作完走後については「そのときに新たなテーマを見つけられたら」としつつ、「ありがたいことにデビューしてからずっといろんな環境をいただいているので、これからも幅広くいろんなことができればと思っています」と話していた。
■榊原郁恵
1959年5月8日生まれ、神奈川県出身。1976年、高校2年生のときに「第1回ホリプロタレントスカウトキャラバン」で優勝し、芸能界入り。1977年に歌手デビュー。1978年から6回連続で『NHK紅白歌合戦』に出場。1981年から1987年までの7年間、ミュージカル『ピーター・パン』で初代ピーター・パンを務める。1987年に俳優・渡辺徹さんと結婚し、1989年に長男・裕太、1996年に次男・拓弥を出産した。
衣装:ジャケット、スカート=ベルマリエ玉川店 珊瑚イヤリング=アジュテ ア ケイ リング=NINA RICCI/エスジェイ ジュエリー
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