華やかなホールに所狭しと並ぶパチンコ・パチスロ台。その一台一台の開発には数多くの「人」が関わっている。
それらの人々は、どのような想いで開発に向き合っているのか、そしてなぜパチンコ・パチスロ業界を目指したのか。

本連載「P業界で働くということ」では、実際にパチンコ・パチスロ業界で働く人々をピックアップ。業務にかける想いや熱意、そして苦労や挫折、さらには転機や今後のビジョンなど、業界の「リアル」な現状に迫り、その声をお届けしていく。

今回は、「戦国乙女」シリーズや「ルパン三世」シリーズなどのパチスロ開発を手掛ける、株式会社オリンピア(以下、オリンピア) 開発本部 企画グループ 企画チーム ディレクター 能冨晃輔氏に話を伺った。

○パチスロ開発におけるプロジェクトリーダー

「自分の会社での役割はプロジェクトリーダーです」という能冨氏。名刺上の肩書はディレクターとなっているが、「開発する機種の概ねの方向性、つまりこういう商品を作りましょうというのを決める役職です」と続ける。他社においてはプロデューサーと呼ばれる立ち位置に近いものであり、実際オリンピアでも、少し前まではプロデューサー職とディレクター職ははっきりと分かれていた時代があったが、現在ではプロジェクトリーダーが、いわゆるプロデューサー職も兼ねている場合があるという。

「機械を作ることが専門のディレクターもいますが、私の場合は、各年度にあわせた戦略を提示し、その中から自分が手掛ける台を、例えば、ゲーム性を重視するとか、遊びやすさを重視するといった感じに割り振っていくことが仕事になります」

そのため、機種によっては戦略を立てるだけで、実際のディレクションは人に任せる場合もあるが、現時点では4機種の開発を担当しているという。
○入社動機は「好きだったから」

能冨氏が業界を目指した理由は「好きだったから」。学生時代、パチンコ・パチスロにはまり、「ユーザーとして酸いも甘いも味わいました」と苦笑いしつつも、「単純に自分が思い描いた、僕の考える最強の台を作りたかった」と当時の心境を振り返る。

「僕がハマり出した頃は、ちょうどパチスロが盛り上がっていなかった時代だったのですが、そこから5号機が出て、市場が少しずつ進化していった。その進化を体験して、次はどんな台が出るんだろうという期待感が、ひょっとしたらこんなものも作れるんじゃないかという気持ちへと変わっていきました」

パチンコ・パチスロ業界を中心とした就職活動の末に、オリンピアの親会社である株式会社平和に入社。
平和に入社した当時は、「パチンコも好きだったので、パチンコでもパチスロでも良かった」という能冨氏だが、研修を終えた後、パチスロを開発するオリンピアに配属され、初年度から「企画担当」として実機の開発に携わることとなる。

企画の仕事は、アイデアが重要であり、周りを引っ張っていくリーダー的な役回りが求められるほか、規則やソフトなどの理解が必要なため、オリンピアでは一年目から企画担当になることは少ない。その中で、能冨氏が企画担当に抜てきされたのは、「自分が熱くアピールした結果」だったという。

「遅い場合は10年目で企画担当みたいなこともあるのですが、ちょうど当時の上司に、若者向けのコンテンツなので新人にやらせてみたいという意向があったので、ぜひ自分にやらせてほしいと熱くアピールし続けていたら指名してもらえました」

企画の業務は、演出、ゲーム性を決めるなど多岐にわたるが、能冨氏が最初に手を付けたのが演出表現。「当時は規制が非常に厳しく、演出で頑張らないといけない時代だった」と懐かしそうに振り返りつつ、そこから、「世に出せない機種や日の目に当たらなかった機種」なども含めて、さまざまな経験を積みながら、プロジェクトリーダーとして開発に携わることになる。

『戦国乙女2~深淵に輝く気高き将星~』で企画担当としてデビューした能冨氏だが、プロジェクトリーダーとしてのデビュー作は、その続編となる『戦国乙女3~天剣を継ぐもの~』。当時の上司から引き継いだプロジェクトで、戦国乙女のキャラクターを活かしたゲーム性を大事にしつつ、様々な工夫を凝らしながら開発を進めていったという。しかし、結果は芳しく無く、「何かもう少しできることがあったのではないか」と反省。そんな能冨氏にとって、「スマスロ」の登場が次なる大きな転機となる。

「その当時はまだプロデューサー制だったのですが、このやり方が本当に正しいのかと考えていたときに、新しい市場としてスマスロの話が出てきた。ただ、当初はメダルのないパチスロなんて誰が打つんだみたいな話もありました」

しかし、会社としてスマスロに舵が切られることになった際、これまであまり上手くできていなかったところが逆にノウハウとして蓄積されていると考えた能冨氏は、それを活かすために、自身と組んで開発を行っていた演出のディレクターにプロジェクトリーダーとして『L戦国乙女4 戦乱に閃く炯眼の軍師』を担当してもらい、自身は『L主役は銭形4』を担当。スマスロの強みを活かした開発に着手することになる。


「そのタイミングでプロデューサー制もやめましょうと。もちろん戦略もあったのですが、何よりも"後悔のない機械"を作りたいという思いが強かった。そうすれば、面白いはずだし、ユーザーにも響くはず。ようやく結果に繋がったのは、やはり過去の失敗があったからだと思います」

○結果を出すために改善を進める

そして、「今だから言えますが」と前置きしつつ、「結果も出していないのに、若い頃は相当天狗でした」と苦笑する能冨氏。「誰もが通る道だと思うのですが、20代後半から30代前半くらいの若手企画者というものは、謎の万能感に囚われるものなんです」と分析する。そして、「自分が一番仕事ができるみたいに考えがちですが、実際は結果に繋がっていない」という現実を直視し、そこから開発の進め方を変えていくことになる。

「本当に面白い台とは何か。当時の流行った台を一から研究したり、自分の作り方、開発の向き合い方に足りないものは何かを考えたり。とにかく浅かったところは全部見直していきました」

その一環として、ユーザーの声、特に批判記事などにできるかぎり目を通し、正面から向き合うようになる。どんなに辛辣な意見であっても、「それに向き合うことが非常に大事」という能冨氏は、批判に対して向き合うのと同時に、肯定的な意見に対しても、「なぜそこを伸ばせなかったのか、その伸ばしきれなかった理由は何なのか」をあらためて考え直すようになったという。

「単純に私の力が足りないのか、一緒に作ってくれているスタッフとの連携が悪かったのか、そもそも会社の体質なのか。プロデューサー制にしても、悪いことばかりではなく、良いところもあったわけです。
そういったところをひとつひとつ見直していきました」

その結果、「周りも協力してくれて、会社もプロデューサー制をやめて、開発をすべて任せていただけるような体制になっていった」と感謝しつつ、「任せていただいた以上、責任は自分にある」ことを覚悟。「改善したからと言って、結果に繋がるとは言い切れませんが、少なくとも、前よりは良くなるはず」と信じて、さらに前へと進んでいかなければならないとの強い決意を示す。

しかしながら、「やはり結果は大事」と繰り返す能冨氏。天狗の鼻がへし折られたのも「結果が出せなかったから」であり、「自分で作った台を自分が打ちたいという思い」から業界に飛び込んだはずなのに、「やっとそれが叶えられる日が来たと思って、ホールに打ちに行ったら、なぜか面白くない」という現実に直面することになる。

「これは私の持論なのですが、"つまらない"というのは相対評価で、あくまでも、"これと比べて"というのが前置詞としてあるような気がします。もちろん絶対評価として面白くない台もあるかもしれませんが、基本的にはそういった横比較が重要なのではないかと思っています」

そして、横比較で面白い台が作れても、その後からさらに面白い台が出てきて、面白さのハードルはさらに高くなっていくとしながらも、「少なくとも横のライバルには負けない」ということを常に意識するようになったという。もちろん、そのためには客観的な視点が重要となるが、「他人事すぎてもダメ」という能冨氏。「プロジェクトリーダーとして、その機械の責任は自分にあるわけですから、自分事として捉えることも同時に重要」との認識を明かす。

しかしながら、「液晶機の開発は、どんなに急いでも2~3年はかかる」という現実も無視できない問題となる。「今から3年前に流行った台から考えると、まさかこんな市場になるなんて、当時は絶対に思っていなかった」というように、先を見据えるのは非常に困難だが、「スペックがこうだから、こういう未来になって、こういう戦いになる。そういったことを常に客観的に捉えながら開発しないと、横の勝負に勝つことはできない」とあらためて自身に言い聞かせる。

○他人の意見に耳を傾ける意味

これまで数々のシリーズ作品を担当している能冨氏だが、自身の気質については、「あまりシリーズものには向いていない」と分析。
そして、「どちらかというと"ものを作り出したい"タイプ」であるとしながらも、『L主役は銭形4』を担当した際は、何かを作り出すことよりも、"大きく発展させたい"という気持ちのほうが強かったと振り返る。

そして、『Lルパン三世 大航海者の秘宝』についても、能冨氏が積極的に取り組んだ一台。「ルパンが主人公の台はあまり結果を出せていなかった」ことを念頭に、『初代不二子』や『初代銭形』が好きだったという社員を徹底的にリサーチ。マーケティングチームに協力を仰ぎながら、100名ほどの社員に直接ヒアリングを行い、「やはりルパンはこうあるべき」というポイントを探ったという。

「もちろん、ただ人の意見を聞くだけではなく、自分の中で噛み砕き、外向けの商品として構築し直すことが重要。そして、本当に価値のあるものであれば、世代ではない方にも必ず届くはず、と思っていました」

他人の意見に耳を傾け、ユーザーの意見をチェックするだけでなく、「それを噛み砕いて、解釈することが大事」という能冨氏。「ユーザーの方が本当に言いたいことは何かを読み解くためには、どんなに辛辣な言葉でもまずはすべてに目を通すことが重要」であるのと同時に、そのうえで、「自分の軸だけは絶対にずらさないようにすることも大事」と続ける。

パチンコ・パチスロ好きが高じて開発者となった能冨氏だが、ホールには現在も通い続けている。「若い頃と比べると全然行かなくなりましたね。週7が週4くらいになってます(笑)」とおどけつつ、ホールでは自分が作った台だけではなく、他メーカーの台も「楽しむために打つ」ことが第一の目的だが、その一方で、研究のために打つことも少なくないという。

「それぞれの演出にどういう意味があるか、どういう意図で作られているのかまで、しっかりと見ます。それこそ、画面が切り替わるときの見せ方とか矢印の数まで。
もちろん、そんなことまで気にしていたら、打っていてもまったく面白くはないのですが、そこは研究のためと割り切って、普段とは異なる視点で打つようにしています」

今後の目標として、「10年後、20年後でも、あの台は面白かった、好きだったと言われるような台を作りたい」と闘志を燃やす能冨氏がプロジェクトリーダーとして達成感を味わえるのは、「自分の思い描いた台が実現して、それを面白いと言ってもらったとき」であり、企画者として重要なのは、「技術でも才能でもなく、もちろん学歴なんかどうでもよくて、作りたいという情熱や強い気持ち」であると考える。

そして、「とにかくパチスロ好きであることが大前提。そのうえで情熱がある人たちと、仕事を一緒にやりたいと思っています」と、業界を目指す人へ熱いメッセージを贈った。
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