日本が誇る世界有数の腕時計メーカー、シチズン時計を取材。人気ブランド「シチズン アテッサ」のルナプログラム/ムーンフェイズ搭載モデルを例に、腕時計の新製品がどのようなプロセスを経て誕生するのかをお届けします。


前回は、技術部門が新しいテクノロジーを開発したり既存の技術を強化したりすることで、ムーブメントなど時計を構成するパーツが進化し、新モデルが誕生する呼び水になることもある――という話題でした。今回は腕時計の新モデル開発において、デザインがどのような役割を果たすのか、シチズン時計でチーフデザインマネージャーを務める井塚崇吏氏に話を聞きます。

○商品企画が持ち込むイメージからスケッチを起こす

―― 腕時計の開発にデザイン部門はどの段階からどのように関わっていくのでしょうか。

井塚氏:デザイナーが新しいデザインを提案して新モデルの開発が始まることは、皆無ではありませんがあまりありません。通常は、商品企画部門が最初の企画書を企画会議で通したあと、デザイン部門がその企画書をもとにスケッチを起こします。デザイン部門はそこから関わることが多いです。

宮原(商品企画担当)が「審査が厳しくなるのは2回目以降の企画会議」と述べていましたが、それはつまり議論が起きてくるのはデザイナーのスケッチが出てきてからだとも言えます。

デザイナーは基本的に、企画書からどういう時計にしたいのかを汲み取って、それを視覚化できるようにスケッチにするわけです。デザイナーからの提案という形で新しい要素を加えることもあります。

もちろん、デザイナーの考えたデザインが最優先で採用されるわけではありません。どんなにかっこよくても、腕に当たって痛くなるような突起などがあったとしたら、安全品質の面からも絶対にOKは出ません。製造にコストがかかるデザインも、販売価格に影響するのでハードルが高くなります。


ほかにもデザイン上の制約はありますが、だからといって萎縮してしまうと良いデザインは生まれてきません。スケッチを起こすときは「冒険心を忘れないこと」に気をつけています。

○サンプルがスケッチと印象が変わる、工業デザイナーならではの緊張感と喜び

―― デザインの試行錯誤は、どのようなタイミングでどのように行うのでしょうか。

井塚氏:商品企画が新モデルを企画化した段階で決めた仕様は、量産に向かう「型入れ」という工程になるまで、常に変更の可能性があります。私たちデザイナーは、サンプルができてようやく現在の位置が分かります。

どういうことかというと、スケッチで社内の評価が良くても、サンプルができてきたときに「思っていた印象と違う」ということがよくあるのです。そのたびにデザインをやり直すことになります。

腕時計は身に着けるものなので、本当に気に入らないと、せっかく買ってもいつの間にか「最近してないな」となりがちです。逆に着用する回数が多い時計は「なにか持っている」と言えるのではないでしょうか。形のあるサンプルになったとき、スケッチにない良い部分がいかに盛り込めているかが、その「持っている」につながります。

途中の評価がどれほど良くても浮かれてはいられません(笑)。商談会に出すダミーができたとき、「スケッチより良い」と言われるほうがずっとうれしいのです。
こうした緊張感は、工業デザイナーならではのものだと思いますね。

―― 他の部門との連携は?

井塚氏:時計のデザインは、デザイナーの考えだけでは完結しません。例えば文字板のすぐ下にはソーラーパネルがあるため、ダイヤルに濃い色を多くするとソーラーパネルに光が届かず発電量が減ってしまいます。文字板に文字があるだけでも発電量に影響します。別の言い方をすると、針を動かす電力を小さくできるとそのぶん、文字板に濃い色を使えるということでもあります。

ソーラーパネルだけではありません。金属型のケースと電波の受信が大きく関わるという話題がありましたが(編注:第3回参照)、デザインにとってもこれらは大きな影響を与える要素です。技術部門が新しいテクノロジーを開発したり、省エネ性能などを向上したりするたびに、デザインで表現できる幅が変わるのです。

○ルナプログラムにエレガントを

―― ルナプログラムとムーンフェイズを備えたアテッサのデザインはどうでしたか?

井塚氏:商品企画部門からは、今回のムーンフェイズのモデルはスポーティとエレガントの調和の中で、エレガントに重きを置いたデザインにしてほしいとリクエストされました。ここのところスポーティな雰囲気を重視したアテッサをデザインしていた自分からすると、少々難しい課題でした。

最初はアテッサの「AT8185-62E」や「CC4055-65E」のケースをベースにデザインしようと考えましたが、これらは機能表示をスポーティさに重ねてデザインしたモデルです。そこにムーンフェイズを載せると詰め込み感が強くなって、デザインの調和が難しくなります。


最終的に、アテッサの中でもっとも愛用者の多い「AT8040-57E」のケースをベースにデザインすることになりました。デザインを考えながら「経験のない役を突然演じることになった役者は、こんな心境なのかな」と感じたものです(笑)。

―― デザインを仕上げていくうえで、どのようなところにこだわりましたか?

井塚氏:試行錯誤した中でこだわりを発揮できたのは、ケースの足(編注:ケース本体から突き出た、バンドと接続する部分。「カン」とも呼びます)のデザインです。ここをスリムに見えるようデザインすることで、エレガントさを出しました。

ところが、商品企画部門からはもうちょっとエレガントに寄せたいと。時計はほんの少しの変化で印象が変わります。足のデザインをいくつも考え、3DCGのモデリングで見比べ、テストパターンを作りました。こうしたものは実際に作ってみないと良し悪しが分からない感覚的なところがあるのです。

井塚氏:ほかには、ワールドタイム機能の都市コードをダイヤル外周のリングの内側斜面に記載するアイデアもデザイン部門から提案しました。多機能な時計は、搭載する機能をフェイスに記載しなくてはなりません。表記が多いとデザイン的にはスポーティに寄っていきます。


こうしたフェイス上の文字は、デザインをエレガントにしようとすると、できるだけ除外したい部分です。そこでリング内側の斜面に文字を隠れ気味に表記して、30分単位から1時間単位にすることで都市コードの数を減らし、どうにかエレガントさを増すことができました。

ここに至るまでには、表示をシンプルにするか、どこまでエレガントにして良いかの手探り。何度もバランスを考え、試行錯誤の連続でした。

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各部門のアイデアを形にしていくうえで、デザイン部門は重要な役割を果たしています。ユーザーが時計を買うとき、デザインを気に入るかどうかは大きなウェイトを占めるでしょう。次回は新しい腕時計を発売したあとのことも交えた最終回です。

著者 : 諸山泰三 もろやまたいぞう PC雑誌の編集者としてキャリアをスタートし、家電流通専門誌の編集や家電のフリーペーパーの編集長を経験。現在はPCやIT系から家電の記事まで幅広くカバーするフリーランスのライター兼編集者として東奔西走する。地元である豊島区大塚近辺でローカルメディアの活動にも関わり出した。好きなお酒にドクターストップが掛かり、血圧を下げるべく、体質改善に努める日々を送る。 この著者の記事一覧はこちら
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