俳優の妻夫木聡が主演を務める映画『宝島』(9月19日公開)の全国キャラバンの第7弾として、妻夫木と大友啓史監督が福岡、北海道を訪問した。
戦後沖縄を舞台に、歴史の陰に埋もれた真実を描く真藤順丈による小説『宝島』。
「『宝島』は、“人生のバトン”の物語。映画を越える存在になっているこの作品を、皆さんに直に会いに行って届けたい!」と、「宝島宣伝アンバサダー」として全国行脚することを宣言した妻夫木は、6月7日に実施された沖縄プレミアを皮切りに、静岡、愛知、富山、長野、大阪に続き、第7弾として、2日間での「福岡」と「北海道」縦断を決行した。
○妻夫木聡の出身地である「福岡」では尚玄も急遽登場
7月12日、妻夫木の出身地である「福岡」では、T・ジョイ博多にて舞台挨拶を実施。多くの観客でにぎわう中、妻夫木と大友監督が舞台挨拶に笑顔で登壇した。大友監督は、「6年かけてこの映画を作りましたので、こうやって皆さんに届けられて、声をいただけるのを楽しみにしてまいりました」と挨拶し、「そして、僕らの仲間の尚玄くんも応援に来てくれました!」と急遽駆け付けたタイラ役の尚玄を紹介。尚玄は観客から送られる拍手に笑顔で応えた。妻夫木も地元の観客たちから、「お帰り~!!」と熱烈コールが飛び交うと、「生まれ故郷の福岡、帰って参りました! 昼もうどんを食べて良い一日のスタートを切ることが出来ました。大阪ではずっと同じ場所での取材でしたが、今日はうどんを食べて 元気いっぱいでここに来ました。短い時間ですが楽しんでいってください」と先週訪れた大阪キャラバンでのエピソードを披露しながら、満面の笑みで声援に応えた。
舞台挨拶では、そのうどんの話からスタート。うどんが福岡発祥という説があることを聞いた妻夫木は「え!! そうなんですか!それは知らなかった! それはちょっと誇らしい気持ちになりますよね」と観客の笑いを誘った。そこからは、鑑賞後の熱気を帯びた観客たちとの質疑応答が行われ、早速「沖縄でこのようなことが起こっていたことはご存知でしたか」との質問を投げかけられた妻夫木は、「僕も戦果アギヤーという方々がいらっしゃったのは知らなかったです。本作では一から沖縄と向き合うということから始めました。映画を通じて知ることが僕自身も多かったし、この映画から"人生のバトンを繋げていく、命は繋がっていく"という大切なメッセージももらえました」と感謝を述べながら回答。続いて、「(コザ暴動のシーンで)貴重なビンテージカーを何台もひっくり返したり爆発させたりするのに躊躇しなかったですか?」との質問には、大友監督が「この映画では覚悟を問われることが多かった。でも大切なのは、歴史上の事実ということ。実際に80台以上が焼かれた。この映画で沖縄の歴史をみなさんにしっかり伝えたい、その想いを一つ一つに込めていかないと噓になる。そういった意味では、僕は腹を括っていました」と想いの丈を強く語った。
次に、「私たちが生まれるほんの数年前は、この映画で起きているような混沌が渦巻く時代だったことに衝撃と怒りと悲しみがこみ上げると同時に、私たちが今平和に生きていることに対する先人への感謝もこみ上げてくる、そんな映画でした。良い映画をありがとうございます」という感想が読まれると、妻夫木は「本当に素晴らしいコメント、ありがとうございます!」と感嘆し、「そのままぜひ口コミサイトにのせてください」と宣伝アンバサダーらしい言葉も飛び出した。
最後に、妻夫木から「だんだんと 日本中に『宝島』の輪が広がり、家族ができて、この映画が成長していっているように感じます。皆さんの中で(この映画を観たことで)自分はこの先どう生きるか、未来をどう作っていくか、未来を生きる子供たちにどう託していくか、そういう想いがもし今日芽生えていたとしたら 僕は本当に幸せです。皆さんはもう"家族"なので、これからぜひ皆さんも同じ宣伝アンバサダーとしてこの『宝島』を盛り上げていただけたら嬉しいです」と熱いメッセージが送られると、会場からは大きな拍手が巻き起こった。大友監督も「沖縄の人たちの優しさの裏に本当の強さがあると思う。その強さこそ、今の時代に伝える意味があるだろうと思ってこの映画に取り組みました。映画はスタッフとキャストが作り出した子供のようなものなので、ぜひ皆さんの手でもっともっと育てて欲しいと思います」と熱を受け取った観客たちに希望を託し、福岡での舞台挨拶は幕を下ろした。
○札幌では「生きること」についての質問・感想が続々
7月13日、福岡を発った妻夫木と大友監督は日本列島を縦断し「北海道」へ。札幌市の映画館、札幌シネマフロンティアでの舞台挨拶に向かった二人は、2,000kmを超える長距離移動の疲れを感じさせないエネルギーに満ちた表情で颯爽と登場。会場から温かい拍手で迎えられた妻夫木が、「実は今朝まで福岡にいまして、今気がつくと札幌にいます(笑)」と挨拶すると、場内からは驚きと喜びの声があがった。
ここでも、会場に集まった観客からの生の質問・感想が2人にぶつけられた。「あの戦争の時代に生きていた人々の怒り、辛さ、憎しみ、苦しさがとんでもない熱量とともに感じられました。今の時代だからこそ、映画『宝島』を観て目をそむけたくなる痛ましいことと真っすぐに 向き合い、理解を深めていかないといけない」、「劇中で起こっている事は自分の生まれた年のことでしたが、戦後でも沖縄ではまだ戦いが続いている状態だったんだと改めて思わされました。
一方、「映画で一番過酷だった撮影は?」という質問が投げかけられると、妻夫木は「僕はいま44歳ですが、劇中では18歳から20年間を演じました。大友監督の撮り方は、一つのシーンの最初から最後までを通しで撮影するのですが、50mの坂道を駆けあがって100mダッシュして走るシーンがあって……、カットがかかった途端もう一回! と声が掛かった時は流石にきつかったですね(笑)」と過酷だった撮影を振り返った。フォトセッションでは、先導する妻夫木の掛け声のもと、前日の博多での舞台挨拶でこだました「たぎれ! 福岡――!!!」に続き、札幌の会場でも「たぎれ! 北海道――!!!」と、場内の感情が大爆発。大歓声に包まれながらイベントは終了となった。
舞台挨拶を終えた二人は、そのまま札幌市内を移動し「北海高等学校」を特別訪問。いち早く映画を鑑賞した高校1、2年生の生徒約150人との特別交流会を実施した。生徒たちとの交流会では、妻夫木と大友監督に向けて、本作が放つ強烈なエネルギーとメッセージを受け止めた生徒たちから真剣な感想と質問が寄せられ、2人はひとつずつ真摯に答えていった。
イベント冒頭、感想を聞かれた高校2年生の男子生徒は、「沖縄の戦争についてあまり関心を持ったことが無かったのですが、この映画 を観て沖縄にはこういう歴史があると知れて良かったです」と真っすぐな感想が飛び出した。そして次の生徒から「今回の映画の舞台は戦後の沖縄ですが、撮影を通じて、何か心に深く刻んでいたこと、刻まれたことはありますか?」と聞かれた妻夫木は、少し考えて、「沖縄である出来事を体験して、自分は沖縄のことを見て見ぬふりをしてきたのではないかと考えさせられました。沖縄に住んでいる方にとって、戦争はある意味まだ終わっていないのではないか? そういう沖縄の事実があるということを、知っていかなければいけないと思った。
続いて「映画のタイトルは『宝島』ですが、グスクたちにとって、沖縄のどんなところが"宝"だったと思いますか?」との質問が投げかけらえると、妻夫木と大友監督は揃って感心した様子で、妻夫木は「僕はこの映画を通じて死生観が変わった。"永眠"という言葉があるが、 もしかして死は終わりではなく、ただ眠っている……心の中ではずっと生きている。先人たちの想いが繋がって、僕たちは今この瞬間を生きている。そういう意味では命は絶えず燃えていて、「命どぅ宝」(命こそ宝)という言葉があるけれど、宝とは、そうやって繋がれていく命ではないかと思う」と本作から感じた想いを伝えた。最後に、生徒たちに向けてメッセージを求められた妻夫木と大友監督。
イベントは参加した生徒全員と並んで記念撮影をし特別交流会は終了!……とはならず、"宣伝アンバサダー"妻夫木による名刺配布会をサプライズ実施。生徒一人一人と、握手を交わしながら名刺をすべて渡しきった妻夫木は、名残惜しそうな表情を浮かべながらも優しい眼差しで会場を後にした。
妻夫木、大友監督の二人は変わらず強い想いを携え、『宝島』の全国キャラバン続く。7月19日には「宮城」「岩手」を訪れる予定だ。
(C)真藤順丈/講談社 (C)2025「宝島」製作委員会
【編集部MEMO】
映画の原作となった小説『宝島』は、真藤順丈氏のペンによる。「リュウキュウの青」「悪霊の踊るシマ」「センカアギヤーの帰還」の三部構成となっており、沖縄戦直後から始まった1952年の米軍統治時代から、日本に復帰した1972年までの沖縄を舞台としている。2018年に第9回山田風太郎賞、2019年に第160回直木三十五賞、2019年に第5回沖縄書店大賞の小説部門賞を受賞している。