俳優のオダギリジョーが主演・共同プロデューサーを務める映画『夏の砂の上』のティーチインイベントが行われ、俳優のオダギリジョーと髙石あかり、玉田真也監督が登壇した。
『夏の砂の上』は、読売文学賞の戯曲・シナリオ賞を受賞した松田正隆氏の戯曲を、玉田真也監督が映画化した作品。
7月14日、TOHO シネマズ 日比谷にてティーチインイベントが実施され、オダギリ、髙石、玉田監督が登壇。映画の細部にわたる 様々な質問に丁寧に答えた。
まずは、映画公式「X」に投稿された「ロケ地巡りを考えているのですが、おススメのスポットはありますか?」という質問からスタート。オダギリは「治(オダギリ)の家のあったところが稲佐山という山で、そのてっぺんに展望台があって、そこからの長崎の夜景はすごくきれいでした」と語り、髙石も「治の家自体も(実際に)あるので、必死に探していただくのも楽しいかもしれません」とおススメする。玉田監督もやはり、治の家の近辺のロケーションが気に入っているようで「治の家に周りの路地はなかなかない景色だと思います。長崎は、観光地で有名なところはいっぱいありますが、あそこはただ人が住んでいるだけで『日本なのか、ここは……?』と思うような景色が広がっているので、あそこを歩いているのも良いんじゃないかと思います」と語った。
次の質問は、治の家にあるこれまでの生活を感じさせる調度品について。特に居間の本棚に並んだ文庫に関して「どんな作家の作品で、治と恵子(松たか子)が読書好きという設定などもあったのか?」と聞かれたところ、玉田監督は「美術部の方とそういう話をしたわけではないんですが」と断りつつ「ああいうところにキャラクターが出ると思っていて、現代作家の小説も置いてある中で、船舶関係の本とか造船に絡んだ技術書も並んでいました。(スクリーンに題名は)映らないですが、そういう小さなところに俳優は影響を受けるし、それが画面にも出てくるので、そういう風に美術の方がつくってくださったと思います」と以前、治が造船所で働いていたという設定に合わせて細部までつくり込まれていたことを明かした。
続いては、治がかつての同僚で、別居中の恵子と関係を持っている陣野(森山直太朗)と恵子について会話を交わすシーンについて。
オダギリは、以前から舞台挨拶で「メジャー作品」と「ミニシアター系作品」がどちらも映画産業に必要であり、両者が並立することの重要性を語ってきたが、玉田監督のこの言葉に「まさにこういうポイントのことを言っていて、メジャーだとこういう表現は許されなくて『ちゃんとカットバックして治の表情を見せないと、分からない人には分からないから』と止められて、セリフごとのカットバックになるはずです。でも、そこがこういうミニシアター系の作品の面白さであり醍醐味でもあり、“想像させる”ということがすごく大切。メジャー作品は"想像させる"よりも、 "入り込ませる"ということなのか、分かりやすくつくらないといけない。どちらも否定することはないけど、僕はいろんなことを想像しながら見たいし、劇場で見るってことは、それができると思うので、こういうミニシアター系の作品は余計に劇場で見てほしいです」と呼びかけた。
玉田監督によると、ガラスを擦りガラスから治の姿が映り込むガラスに変えるなど、各スタッフの協力の下、綿密な打ち合わせを経てこのシーンは撮影されたとのこと。髙石はこのシーンには参加してないが「前日に話を聞いていて、スタッフさんがざわついていました。『本当に撮れるのか? いろんなことが重ならないと撮れないので、撮れなかった時のことも考えておきましょう』と話しているくらい、奇跡のショットだと思っていたので、試写を見た時、あまりに素敵に撮られていてびっくりしました」と明かした。
この日、劇場に足を運んだ観客に質問を募ると「この映画を観た後に、優子と治の2人がこの後、どういう人生を歩んでいくのか気になりました。
一方で、オダギリ、髙石、玉田監督は少数派の「もう会うことはない」に挙手。この結果に髙石は 「面白い!」と興奮した面持ちを見せる。
玉田監督は「会うだろうかどうかは分からない。それは、自分の人生でも、別れた人とまた会うかどうかは『分からない』としか言えない」と語った上で、本作の原作である戯曲では、治が優子に麦わら帽子を被せる別れのシーンで2人はいくつかの言葉を交わすが、映画ではあえて、それらの言葉のやりとりを全てカットしたと明かす。
オダギリは「あの別れのシーンも、(2人それぞれの顔ではなく)横のツーショットしか撮ってないんですよ。普通なら絶対にカットバックしないといけないシーンだし、僕ですら現場で『カットバックしないで大丈夫ですか?』 って言ったんですけど(笑)、『いや、ここは引きで、客観的な目線で見てもらいたいので』と言って(カットバックを)撮らなかったんです。偉いなと思いました。
玉田監督は「もし撮っていたら、編集室で『これ使おうよ』となる怖さがありました。やってみたら、多分それぞれの顔が良いから『いい顔が撮れてるな。使おうよ』となる未来が見えたので」とあえて撮らないという決断に至った経緯をふり返る。
髙石は「あのシーンの前に、(治に)水をかけるシーンを撮り終えて、あのシーンに臨んだんですが、私の中で、たくさん成長をさせてもらっていて、水をかけ合うところで、ほんの一瞬だけ掴んだ"何か"があって、その後、 帽子を被せる前に『おじちゃん、ありがとうございました』とオダギリさんと交わした目線はいまでも忘れられないです。自分の中で『うわぁ!』って思っている顔をしていると思います。帽子のところもそうなんですけど、それ以上にその前の『おじちゃんに挨拶しな』と言われて、私が感じたオダギリさんとのつながり、目線は強い印象が残っていて大事なシーンです」と自身にとっても特別なものを手にしたシーンであることを明かしてくれた。
オダギリは、この髙石の告白に「僕も役者として、なんでこういう話ができないのか? と反省してしまう……と苦笑を浮かべつつ「きっと僕にもこういう生々しい瞬間はあって、それは映像にも収められているはずなので、自分でも再確認するためにもう1回、観たいと思いました」と語る。
髙石は映画公開後からSNSで感想をチェックしていることを明かしつつ「いろんな感想が飛び交っているということが嬉しいし、(この日のイベントで)それを直接聞けて、自分たちのことも話せるというのは、なかなかできないので、良い機会をいただきました」と感謝の意を伝えた。
最後に玉田監督は改めて本作について「ジワジワと体の中に入ってくるような"何か"がある映画――すぐ『こうだったね』と感想を言えないかもしれないけど、そもそもそういう映画なのかもしれないと思います。自分の手持ちの言葉ですぐに感想を言わなくても、少し感じてくることあったら、その時に断片的でもいいので、感じていることを周りの人に共有してもらえたらと思います」と呼びかけ、温かい拍手の中でイベントは幕を閉じた。
(C)2025 映画『夏の砂の上』製作委員会