1980年台に入ると、16 bit CPUを搭載した「パソコン」が登場する。最初はデスクトップマシンだったが、8 bit CPU時代にすでにバッテリ駆動可能な可搬型のBASICマシンがあり、同じく、バッテリ駆動可能な16 bit CPUを搭載したパソコンが望まれた。
しかし、初期に登場したのは、小型CRTを内蔵し可搬型ではあるものの、バッテリ駆動ができないマシンばかりだった。

現在のノートPCに至るまでには、いくつかのチャレンジがあった。現在のノートPCの基本形である「クラムシェル」型を確立したのは、1982年に登場したGRID社のCompassというマシンだ。ただし、この機種は、バッテリ駆動できなかった。また、IBM PC互換でもなかった。その後、バッテリ駆動が可能なクラムシェル型のマシンは登場した。MS-DOSが動くものの、IBM PC互換ではなかった。

というのも、IBM PCはCPUの周辺デバイス以外は、ほとんどがTTLを使って構成されており、そのままでは小型化が困難だったからだ。このため、IBM PC互換のラップトップは、TTLなどで構成された回路をカスタムチップを使ってコンパクトにする技術と資金を持つ会社だけが開発できた。なお、サードパーティのPC/AT互換機開発を容易にするチップス&テクノロジー社のチップセットは、1987年になるまで登場しない。

IBM PCと互換性を持ち、バッテリ駆動が可能な最初のラップトップは、1984年に米国Data General社のDG/One(Data General/One)である(写真01)。CPUは80C88(8088のCMOS版)で、CGA互換のディスプレイアダプタ機能を持ち、640x200ドットの液晶ディスプレイを装備していた。


Data Generalは、米国のミニコンメーカーで、DECでPDP-8を開発したエドソン・デ・カストロが創業、16bitマシンのNovaがその性能から人気となった。

DG/Oneは、米国企業の製品だが同社の日本法人(日本データゼネラル)と国内のメーカーが設計、製造を行った。重さ4.1kgで、幅297mm、奥行き347mm、厚みは71mmもあった。

当時国内では、NECのPC-9800シリーズが主流だった。そのNECが最初に出したのがPC-98LTである(写真02)。その名前から想像できるようにPC-9800シリーズとは互換性がない。発売はDG/Oneから遅れること2年の1986年11月である。重量は3.8kgとDG/Oneより300g軽く、幅はほぼ同じ、奥行きが82mmも小さくなった。モバイルで利用できるMS-DOSマシンだったが、市販アプリケーション・ソフトウェアがほとんどなかった。

しかし、ほぼ1年後にPC-9801 VM2相当の互換性を持つエプソンのPC-286Lシリーズが登場、さすがにPC-9800シリーズのアプリケーションが動くマシンにはかなわなかった。ただ、PC-286Lは、重量が6.3kg、PC-98LTよりも大きく、可搬性という点では後退だっだ(写真03)。

1980年台、ようやくバッテリ駆動可能なパソコンが登場したものの、現在からみれば、「巨大」な大きさ(写真04)。
しかし、ここが始まりである。以後、さまざまな技術を取り込み、ラップトップPCを小型、軽量化していく。

今回のタイトルネタは、スパイダースの「あの時君は若かった」(1968年)である。作詞菅原芙美恵、作曲かまやつひろしと、純粋に日本の曲なのだが、なぜか、リック・ネルソンの「Fools Rush In」(1963年録音)に似ている。そもそも「Fools Rush In」は、1936年にRube Bloomによって作曲され、のちにJohnny Mercerが作詞して、1940年に楽譜が出版された。曲はグレン・ミラーやフランク・シナトラなどによって録音が行われた。しかし、ビルボードのチャートでは、リック・ネルソンの録音が最も上位に来た。そういう意味では「著名な外国曲」と考えて良く、「あの時君は若かった」が何らかの影響を受けても不思議ではない。
編集部おすすめ