皮膚腫瘍に始まり大腸、甲状腺、すい臓も
NHK政治部時代、安倍晋三元首相に“最も食い込んだ記者”として知られた岩田明子氏。2022年の退局後は、フリージャーナリストとして取材活動のほか、『Live Newsイット!』『サン!シャイン』(フジテレビ)といった報道・情報番組への出演にとどまらず、局員時代に全く触れてこなかったバラエティにも果敢に参戦し、その奥深さを感じているそうだ。さらには、芸人顔負けのトークライブにも挑戦。
何度もがんが見つかり、母親の介護も経験しながら、この不透明で分断された時代に使命感を持って、多岐にわたる活動に臨んでいるという――。
○『サン!シャイン』に感じる「溶け合っていく」醍醐味
――『サン!シャイン』には前番組『めざまし8』から続いての出演ですが、どのような変化を感じていますか?
扱うテーマが『めざまし8』のときは割とニュース項目が多かったんですけれども、『サン!シャイン』はテーマをギュッと絞って深掘りしていくんです。コメンテーターの皆さんも、武田鉄矢さんや鈴木おさむさんなど、生まれた時代や背景が異なり、様々な立場から異なる視点で意見を言い合うので、一つのテーマについていろんな形で話が溶け合っていくというのが、醍醐味かなと思っています。
ただ、しゃべりたい人ばっかりだから、尺が…(笑)。武田さんは私たちの親世代の懐かしい話をしてくれて、それが令和にマッチしていたりマッチしていなかったりしますし(笑)、鈴木おさむさんはクリエイターの視点をいろいろと投げかけてくださるので、こちらも「あっ、そうなんだ」って初めて知ったり、「永田町や霞が関では実はこんな動きがあったんですよ」と言ったり。私は政治記者の立場からいろいろ意見を言ったりして、異なる音色のハーモニーがだんだん楽しくなってきましたね。
――NHK時代には、なかなかそういう番組の経験はなかったですか?
そうですね。NHKでは夜7時とか9時の硬派なニュースや討論番組の出演が多かったので、視聴者の方には「首相官邸からお伝えしました」みたいな印象だったと思います。『ニュースシブ5時』という生活情報も扱う番組でレギュラーコメンテーターをやらせていただいたこともありましたが、フリーになってからは思ったことを原稿なしにしゃべっていますので、自分の中でリミットが外れた楽しさがあります。
――政治部の記者として自分で取材してきたことをレポートするという立場だったのが、コメンテーターになると専門外のことについても意見を求められることがあると思います。そこの難しさはいかがですか?
やっぱり専門分野である政治外交については責任を持ってコメントできます。他方で別の分野については、と言いますと、実は長いこと政治記者をやっている間、異業種の世界を持つことで自分の気持ちをコントロールしていた面があったんです。
永田町や霞が関の取材とは別に、仕事と切り離して、音楽関係者や俳優さんなどと純粋にお友達を作ってきました。それが今、生きているかなと思います。
あと、病気を何度も繰り返したことで自分の体に詳しくなってきましたし、東洋医学や食べ物などの情報も集めてきましたし、母親の介護が急に訪れて介護の研究や実践を余儀なくされましたが、そうした経験が番組で扱うテーマと重なる部分が多いんです。専門家の方が来られた時に、経験に基づいて本当に聞きたいことを質問できるので、番組を通じて「そうだったのか!」と納得できることも多々あり、充実しています。
○局員時代から秋元康の紹介で芸能界と異業種交流
――いろいろ気になるワードが出てきたのですが、まず芸能界のお友達はどのようにして知り合っていったのですか?
それは秋元康さんからのご紹介なんです。政治と全く関係ないところで知り合った秋元さんは、私が置かれている環境や取材テーマに関心を持ち、北朝鮮の拉致事件の経緯や日朝関係などよく尋ねられました。そして、いろんな俳優さんやクリエーターさんなどを紹介してくださって、今度はその俳優さんたちが親しい方を紹介してくれて…という具合に、どんどん輪が広がっていくんです。だから、生活情報を扱う『シブ5時』に出た時に、視聴者の方から「そういうのもやるんだ!」と驚かれたんですが、私の中では全く自然な形でした。
――そして「病気を何度も繰り返した」というお話ですが、『日曜報道 THE PRIME』(フジテレビ)で高額療養費制度の話題の際、がん治療の経験を明かされていました。
最初に見つかったのが2009年で、足の裏に皮膚腫瘍ができたんです。数年ごとに右と左の両方の腫瘍をえぐり取る手術をして、数カ月は松葉杖でした。海外出張に行くと、大使館でびっくりされるなんてこともありましたね。
その後2017年に大腸がんが早期に見つかって、甲状腺がんも判明しました。これも悪性なんですけど、ギリギリまで共存するという方針で今は経過観察中です。最近もすい臓にちょっと兆候があるのが分かったのですが、事前に食い止めようということで、頻繁に検査して、早め早めの対処を心がけています。
足の裏の皮膚腫瘍の時に恐怖を覚えましたが、早く発見すれば大事には至らないということを身をもって感じました。膠原病や無呼吸症候群の影響もあり、唾液も涙も出ないですが、これとも共存しながら、一病息災という感じですね。
――その上、お母様の介護もあって。
そうですね。だからこの2年ぐらいは一番きつかったです。会社を早期退職し、介護が急にやってきて、取材先(=安倍晋三元首相)は暗殺されましたし。
衝撃の『さんま御殿』…バラエティに感じた「深い世界」
――NHKを退職されたのは、どのような考えからだったのでしょうか。政治部記者が置かれた環境の変化を、ここ数年、まざまざと感じることが多かったんです。以前は取材対象である政治家に深く食い込めば、それに比例して一報や真相などの深い情報が入手できる。いわば政治記者同士の競争の上に成り立っていて、そのエリアでの競争でした。
良し悪しは別として、政治記者の外側だと深い情報に接する機会も限定的だったと思います。だけど今は、政治家がSNSなどを活用して、個別の取材に応じるよりも先にSNSで発信する形が増えており、政治部記者の役割や存在意義に変化が生じていると言えます。ここは、各社の政治部も危機感を持っているかもしれませんが、新しい形を模索しているのではないか、とも思います。
それと、ニュースでは一方情報を、また番組で、深堀した内容を放送していましたが、尺の制約などもあり、どうしても入手した情報のうち上澄みのエッセンスだけになってしまう。情報をもう少し視聴者に還元したい。どこかで退職してフリーな形で、政治に限らず見聞きしたことをアウトプットしたいという思いがぼんやりとですがずっとあって、そのタイミングを探っていたら、会社が早期退職制度を導入したんです。
労働市場改革は、業界として避けては通れない道だと思ったので、この制度をより良いものにするために、自分が率先して活用することにしました。そうすることが会社に対する恩返しだと思い、いろんなことが合致して辞めるという形をとらせていただきました。
――22年に早期退職されて、翌年にホリプロさんに所属されてフリーとしての活動がスタートしたわけですが、ここまでを振り返っていかがですか?
もう本当に目をつぶって突っ走ってましたね(笑)。フリーは次のオファーがなければそれで終わりですから、その結果責任を覚悟をしながら、一日一日を精一杯出し切っていくという感じです。その中でも、これまで出会ったことのないジャンルの人たちにお会いするので、その人たちがどういうエネルギーやスキルを持って仕事に臨んでるのかというのを目の当たりにすると、非常に勉強になることが多いです。
特にバラエティ番組は初めてだったので、新たな発見が多かったです。
皆さん本当に命を削って、「その言葉を出すために、この隙を狙って発言してるのか」ということを見せていただきました。私も使ったことのない筋肉を酷使されて、すごく新鮮です。
――特に印象的だったバラエティ番組は何ですか?
『踊る!さんま御殿!!』(日本テレビ)は、何も知らされずに出ちゃったんで、スタジオに入って座った瞬間に「この殺気立った空気は何!?」と思いましたね。皆さんが爪痕をつけようとしていて、テレビで見ていた想像とあまりにも雰囲気が違ったんです。
――MCのさんまさんが「トークの戦場」と言う番組ですから。
あれはびっくり。知らぬが仏とはまさにこのことで、瞬時にあのちゃんが私にツッコんでくれたから何とかなったみたいな感じでした。フジテレビさんでは『ネプリーグ』ですよね。これも長時間の収録ですし、イジりが入ったときにすぐリアクションしなきゃいけないというところで大いに鍛えられた気がします。
バラエティの現場を何回か経験して、視聴者に面白いと思ってもらうためのエネルギーの強さを、演者さんにもスタッフさんたちにもすごく感じて、深い世界だなと思いました。死闘とも言えるような姿を見て、私も人生終盤ですけれども、この世界にチャレンジしてどこまで自分を変化させることができるのか。この未知数の部分を見てみたいという思いがありますね。
――インスタでは衣装に反響が集まっていますね。
『呼び出し先生タナカ』(フジテレビ)の衣装が(母校の)県立千葉高校によく似た制服で、インスタでぷちバズりさせていただいて。スポーツ紙のネットニュースに載ったら「意外と似合ってますね」とか言われて、驚きましたがうれしかったですね。政治記者の時は殺害予告が来たり、罵詈雑言のお葉書が届いたりすることもあり、長い間「ヒールみたいな人」として刷り込まれちゃっていたので。
○首相公邸の“霊”をめぐる歴代宰相秘話
――事務所さんのプロフィールでは、「ざっくばらんな等身大の50代女性の一面もお見せし、 バラエティ番組、旅番組、音楽番組にも挑戦していきたいです」とコメントされています。旅番組はいかがでしたか?
『バカ正直におジャマします。ピュアにニッポン社会科見学』(テレビ東京)という番組で横浜中華街をロケしたのですが、これもなかなか体力が必要ですし、演者さんたちとの間で即興のやり取りをしながら、肉まん一つ食べるにしても皆が映る角度や肉まんが生きるようなやりとりを考えさせられるので学びは多かったです。ニュースの中継レポートの時は、自分が画角のどの辺にいるかは考える必要がなかったですから。
パンサーの尾形(貴弘)さんたちと一緒だったのですが、今まで何度も訪問している横浜が、皆さんでロケしたら全然違う街に見えたんです。街の人が声をかけてくださるのも新鮮で、ロケの面白さってこういうところにあるんだなと思いましたね。
――この中華街ロケでは占いもされていましたが、岩田さんはかなり詳しいそうですね。
西洋占星術、算命学、四柱推命、手相、タロットカード…といろいろやってました。
大学祭の時が一番ハマっていたと思います。スピリチュアルな話で言うと、霊感は全くないんですけど、首相公邸には幽霊が出ると言われていて。
――二・二六事件の犠牲者の霊が出るという話、よく聞きます。
森元総理は「見た!」とよく話しているのを耳にしましたね。二・二六事件で亡くなった警察官の足を見たとか、2月26日の夜に寝室のドアノブがガチャガチャするとか。安倍総理の時は電話がかかってきて「ちょっと竹を割るラップ音が聴こえるんだけど、聴いてみて」と言われて、「聴こえません」って返したら、めちゃめちゃ怖そうに「どうしよう…これから自宅に帰りたい」と言うんで、「それなら警護があるので警視庁を通さないといけませんね」と答えたのを覚えていますね。結局帰宅はあきらめたようでしたが。私が「総理、霊の姿を見たら終わりですね」と冗談交じりに言うと本気で嫌がっていました(笑)
――歴代首相が何人も感じているというのは、失礼ながら面白いですね。
岸田さんはたぶん見てないと思います。いよいよ公邸に入る時に「安倍さんはラップ音を聴いてましたよ」と言ったら、「みんなそうやって脅すんだけどね、もう決めましたので」と淡々と。石破さんは「私はオバQ世代だから、おばけは怖くない」と発言していましたね(笑)
スナックでつかんだ事件記者時代のスクープ
――「音楽番組も挑戦したい」というのは、MCとしてですか? それともアーティストとして?これは昭和歌謡を聴く立場ですね。あとはイントロクイズもいつか挑戦したいです。BSフジさんの番組でも歌ったことがあるんですけど、エコーをかけてくれなかったんですよ。「かけます」って言われてたんですけど、OA見たら普通の歌声で憤慨しました(笑)
――普段から歌はよく嗜んでいるのですか?
コロナ前までは割とミラーボールのあるようなお店にもよく行ってましたね。スナックは警察官と行きました。岡山で事件記者をやっていた時、取材先が行きつけのママとチーママ2人で開いている小さなスナックで、時々流しのギターが来たりして。そういう感じの店だと、ママとの長年の信頼関係もあって、ちょっと口も緩むわけですよ。ママが岡本真夜さんの「Alone」を歌っていた時に、取材先の警察官の顔が穏やかに。その表情を見てすかさず「いい歌ですね。Xデーも3日後ぐらいですかね?」と探りました。「3日後の朝だ。カメラ構えとけ」「ありがとうございます!」って(笑)
そんなことをしてると、「お前もなんか1曲行け」って言われるんで、私は替え歌ですよ。堀江純さんの「メモリーグラス」で、「♪特ダネをくださ~い」「♪朝日なんか 毎日なんか 読売なんか~」って。駆け出しの頃ですから、スキルもなければ人脈もないんで、そんなことをやってましたね(笑)
――刑事さんの世代に合わせて選曲するんですね。
警察官が歌う曲、世代にもよりますが、何パターンかあったように思います。凄惨な事件が解決した後だと、亡くなった方の弔いと解決したことへの感謝みたいな感じでしたね。
○フジテレビ問題で痛感した社外取締役の責任
――番組出演以外でも、2社の社外取締役を務められています。フジテレビ問題もあって、社外取締役の重要性というのは、やはり感じましたか?
改めて痛感しましたね。いかに外の空気をしっかりと執行部に伝えて、株主の利益につながるような発言をしなきゃいけないか。社外取で一番大事なのは、やっぱり危機管理の部分だというのを、一連のフジテレビ問題を見て感じましたね。だから、気づいたことがあれば躊躇なく言うことにしています。
――そしてもちろん、ジャーナリストとして政治の取材も引き続きされていますが、NHK時代より自由にできるようになりましたか?
そうですね。局員の時はそれぞれ持ち場があって、与えられた担当外の政党や派閥、官庁に手を突っ込むのは遠慮しながらという面もありましたけど、そういった面はなくなりました。フリーというのは取材においてマイナス面もありますけど、そこは補うこともできるし、昔取った杵柄で政治家には電話取材もできるので、ちょうどいい塩梅にはなってきてるかなと思います。
――ジャーナリストとして取材に報道・情報番組への出演、バラエティにロケ番組に社外取締役、大学教授と、活動ジャンルは多岐にわたりますが、全部の活動がつながっている感覚でしょうか。
この年齢とこの立場になり、リミットを外したことによって、それは感じますね。世界も日本も不透明で、SNSでは真偽不明の情報もあれば、他方で公では言えない本当の話もあったり。そういうすごく分かりにくい時代の中で、今まで見てきたものを正確に提供していくというのは、私に求められた使命だと思います。
そして分断の時代でもあるので、それらを一つ一つ寄せていろんなものを融合させていくというのも、私の一つの役割かもしれないと感じ始めていますね。
まさかの阿佐ヶ谷でトークライブ開催「事務所がやれと」
――今後の活動のお話なのですが、トークライブを開催すると伺いました。全くやったことないんですけど、事務所がやれというので、チャレンジすることになりました。「阿佐ヶ谷ロフトA」という80人くらいお客さんが入る会場で、前に共演させていただいたことがある千原せいじさんにもご出演いただきます。
――ロケーションといい、キャパといい、完全に芸人さん仕様のライブじゃないですか(笑)。このインタビューでいろんな取材の裏話を聞いただけでも、濃厚なライブになりそうで楽しみです。
これを月イチでやれって言うんですよ。やったことも見たこともないのに、失礼な話ですよ(笑)。すごい事務所だと思いませんか?
――古舘伊知郎さんの『トーキングブルース』みたいに、ライフワークになるといいですね。
古舘さんは何回か共演させていただいているんですけど、本を出された時に私のことを一章分くらい書いてくれて、本当に感動しました。先日も番組収録後に「本当にトークうまくなったねえ!」と声をかけてくださり、お世辞だろうなと思いながらも、調子に乗ってこんな話が進んでしまいました(笑)
私、本当に不器用な人間で、初めてやることって人の5倍ぐらい時間がかかるんですよ。自転車に乗るのも、鉄棒の逆上がりも、何やるにしても時間がかかるので、このトークライブもかなり準備して臨むことになると思います。
○忘れられない安倍元首相暗殺の日――「狂ったように電話をかけ続けた」
――このインタビューを行っているのは、7月8日。先ほども名前が挙がりましたが、安倍元総理の命日になります。
7月8日の0時を回った瞬間は、やっぱりきますね。当時のつらい瞬間が思い出されて。
――銃撃されたという一報が入って、どんな動きをされたのですか?
すぐ安倍さんの携帯に電話しました。夜が中心でしたが毎日電話で話していたので。安倍さんがニュースになるようなことがあれば、私が「事実ですか!? 教えてください!」とすぐに取材攻勢をかけてくる人であることをよく理解している人だったので、その時電話に出なくても、絶対にすぐにコールバックがあるだろうと確信していました。
ところが、5分経っても10分経ってもコールバックがないのです。次第に動悸がしてきました。その後、私は狂ったように電話をかけ続けましたが、一向に電話に出ない。1時間経ち、2時間が経ち、ヘリコプターで運ばれたという報道があって、信じるものかと思う一方で、全身の血の気がサーッと引きました。
――それでも解説委員として緊急ニュースに出演しなければならなかったと思います。
その日はBSの『国際報道』とラジオで、安倍さんの死について語りました。もう頭が真っ白で、口だけが動いている感覚でしたね。
――安倍さんは岩田さんが退職することをご存知だったのですか?
事前に話はしていましたし、早期退職届は6月に出していて、それは安倍さんも知っていました。その直後という中での暗殺だったので。
――現在、フリーとして活躍されているのを見たら、どんなことをおっしゃっると想像しますか?
生前、安倍さんは「人生で一度か二度はリスクをとれ!」とよく話していました。「後悔しないよう、思う存分やってみろ」と言ってくれたのではないでしょうか。
●岩田明子千葉県出身。東京大学法学部卒業後、96年に日本放送協会(NHK)入局。岡山放送局で岡山県警、岡山地方裁判所、岡山地方検察庁を担当。2000年に東京の政治部へ異動し、02年に当時官房副長官だった安倍晋三元首相の番記者を担当。以降、外務省や清和会、民主党政権時代には管グループを担当しつつ、20年以上にわたって安倍元首相を取材する。22年にNHKを退局し、フリージャーナリストとして報道・情報番組に出演する一方、月刊誌や専門誌などで執筆活動、ドトール・日レスホールディングスと日本エンタープライズの社外取締役、千葉大学の客員教授を務め、バラエティ番組にも出演。9月19日には初のトークライブ『岩田明子のあんまり観に来ないでください』を東京・阿佐ヶ谷ロフトAで開催予定。
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