鮮やかな果肉の色合いと豊富な栄養素で知られるキウイフルーツ。日本に本格的に輸入され始めたのは1960年代と、実は歴史の浅い果物だ。
キウイフルーツの本場であるニュージーランド・タウランガ近郊のテプケに位置する研究機関「キウイフルーツ・ブリーディング・センター(KBC)」を訪ねて話を聞いた。
○■キウイの発祥は100年前の中国 - ニュージーランドで研究が始まった
キウイフルーツの誕生は、中国にある揚子江(ようすこう)流域で育った果実「ヤンタオ」にさかのぼる。1904年、ニュージーランド・ワンガヌイ女子高校の校長だったイザベル・フレイザー氏が中国からその種子を持ち帰り、植物学者のアレキサンダー・アリソン氏が栽培に着手したのがきっかけだ。
1910年にニュージーランドで初めて、その種子を使った果実をつくるのに成功している。当初「チャイニーズ・グーズベリー」と呼ばれていたこの果実は、1928年にオークランドに住む園芸家のヘイワード・ライト氏によって、品種改良されたという。
○■国鳥のキウイにちなんで「キウイフルーツ」に改名
1937年にチャイニーズ・グーズベリーの商業栽培がスタートし、第二次世界大戦中には米軍兵士の間で人気を博した。さらに、1952年にはイギリスへの輸出もスタート。しかし、「チャイニーズ・グーズベリー」という名称だとなかなか市場に浸透しなかったため、1959年にはニュージーランドの国鳥「キウイ」にちなんで「キウイフルーツ」と改名された。このブランディング転換が功を奏し、1960年代にはアジア、北米市場に広がっていったのだ。
1988年には、キウイフルーツ産業を支える統括機関として「ニュージーランド・キウイフルーツ・マーケティングボード(NZKMB)」が設立。ZKMBの販売子会社として誕生したのがゼスプリ・インターナショナルだ。
○■キウイの新品種を開発するには20~25年かかる
現在、キウイの品種開発の最前線を担っているのが、ニュージーランド政府系の研究機関「Plant & Food Research」とゼスプリが共同で設立した「キウイフルーツ・ブリーディング・センター(KBC)」だ。これまでに「ゼスプリ・サンゴールド」や「ルビーレッド」など、新たなキウイフルーツを生み出してきた実績がある。
「KBCでは毎年3~4万本の苗木を植え、その中から将来性のあるものを選んでいます。もともと約50種類あった遺伝資源(ジェームプラズム)は、現在では23種類に絞られ、そこから遺伝的な多様性を活かした品種改良を行っています」(ポポンスキー氏)
新しい品種が完成するまでには、20~25年という長い年月がかかるという。まずは「親株」と呼ばれるもととなる株を選ぶことからはじまり、種子の採取、苗木の育成、果実の評価、そして商業化に向けた試験など、いくつもの段階を丁寧に重ねながら進んでいく。
「品種を改良するうえでは、甘さや酸っぱさのバランスといった消費者の好みに加えて、輸送に強いことや育てやすさなど、生産者にとっての条件も大切になります。こうしたさまざまな基準をクリアするのは簡単ではなく、多くの品種候補が途中で選ばれなくなってしまい、実際に市場に出るのはほんの一握りだけです」(ポポンスキー氏)
キウイフルーツ・ブリーディング・センターでは今後、ゲノム解析や精密な品種改良、デジタルデータやAIなどの技術を活用し、品種改良のスピードをさらに高めていく予定だという。
「これまでのような地面での栽培に加えて、垂直型の『バーティカルファーミング』といった新しい栽培方法にも取り組んでいく予定です。土地をより有効に活用し、生産効率を高めることで、より多くの魅力的なキウイの品種を生み出し、皆さんのもとへお届けしていきたいと考えています」(ポポンスキー氏)
橋本 岬 2014年に法政大学大学院を中退後、女性ファッション誌の編集者を経てフリーランスに。得意ジャンルは、IT、スタートアップ、エンタメ、女性の働き方。