苦心の4年間を乗り越えてきた坂本。(C)萩原孝弘
恩師としたクローザーの「言葉」とは
2020年6月25日の中日戦で初登板・初先発を果たし、見事にプロ初勝利を掴んだ坂本裕哉は恒星の如く眩い光を放った。しかし、ドラフト2位指名で横浜に降臨したルーキーのキャリアはそこから一変。
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坂本自身は「全部ひっくり返す」と意気込み、動作解析に加えて、食事制限と弛まぬ努力を続けてきた。実際、ストレートの球速は上がり、変化球にも磨きがかかった。しかしあのデビュー当時の輝きは、なかなか取り戻せなかった。
「現役ドラフトの記事も目には入ってきましたね」
そう漏らす本人は、放出も囁かれる昨オフの心中穏やかではいられなかった日々を振り返る。しかし、重ねた努力は24年シーズンに報われた。ブルペンを支える貴重な左腕として、レギュラーシーズン48試合、ポストシーズンでは10試合登板のフル回転で躍動した。
無論、飛躍の背景には本人の「このままでは終われない」という並々ならぬ思いがあった。昨年から中継ぎに転向した坂本は、オフにチームの守護神である森原康平に自主トレ動向を志願。12月半ばからキャンプイン直前まで広島県の福山に籠もり、朝早くから夕方まで厳しい姿勢で徹底的に己を追い込んだ。
森原は悩める坂本に「自主トレでやったことを続けてみよう。マインド的に打たれたらどうしようと思っちゃうんですけど、その先の不安を考えてもしょうがない。
恩師とするクローザーの言葉を受けて坂本も「コツコツとちっちゃいことをやり続ける。それが大きな成果に繋がる」とひたむきに取り組んだ。それは自身の座右の銘である「達成するまで、意思を強く持ち続ける」の意味を持つ『磨穿鉄硯』にもハマった。
そして迎えた2024年シーズン。怪我もあって開幕一軍入りこそ逃したが、焦らずにファームで力を蓄え、ゴールデンウイーク開けに一軍登録。「やってやるぞ」と強い気持と、森原からの「準備を100パーセントやりきって、マウンドでは考えすぎず、腹くくって投げるだけ」の金言を胸に秘めマウンドに上がった。
すると、初登板でいきなり150キロを超えるスピードボールを投げ込み進化した姿を披露。さらに6登板目にして自身初のホールドをマーク。「いままではマウンドに行ってからも考えながら投げていたんですが、頭の整理をブルペンで済ませていけました。キャッチャーのサインも、自分の考えと違うと不安になることもあったのですが、その考え方もあるなと理解することもできるようになりましたね」と心の余裕が、自ずと視野をも拡げさせた。

チーム内での信頼を高める中で、坂本は己をブラッシュアップし続けた。
悔し涙を流した挫折
ブルペン陣で唯一の左腕として勝利の方程式に組み込まれた坂本。気づけば、チームに欠かせない存在へと昇華。首脳陣はもちろん、チームメイト、ファンの見る目も変わっていった。
もっとも、挫折が全くないわけではなかった。オールスターブレイク直前のヤクルトとの3連戦では自身初の3連投も経験。3戦目で初のセーブシチュエーションで踏ん張りきれず、初黒星を喫した。「そんなに疲れがすごくあったという感じではなかったんです。どちらかというと状態はいいぐらいで、準備もしっかりとしてマウンドへ上がりました」と連投の影響はなかったと力説する坂本だが、「結果的にチームを勝たせることが出来ませんでしたので……悔しかったですね。今シーズンで一番覚えている試合ですね」と唇を噛んだ。
神宮球場は形状上、スタンドのファンの前を通りクラブハウスへ戻る。項垂れる坂本を森原と佐々木千隼がその姿を隠すように寄り添い「『リリーバーなら誰もが通る道だよ』『俺も何度も経験あるよ』との言葉をかけてくれたんです。その言葉が余計に……」と心に刺さり、思わず悔し涙が頬を伝った。それほど悔しかった。
迎えた後半戦は、JB・ウェンデルケンと伊勢大夢がファームから昇格。ローワン・ウィックも調子が上がっていた。さらに坂本自身の左腕でありながら左打者への被打率の悪さも相まって、ホールドシチュエーションでの登板は減少。輝きはどこか薄らぎつつあった。
「もちろん悔しかったですよ。ですけど、いいところでもう一回投げたいという気持ちより、もう一度信頼を取り戻さないといけなかったですから」
坂本は冷静に自身の置かれた状況把握に努めた。「小杉(陽太)、大原(慎司)コーチや、キャッチャーの方とも意見交換して、もう1回いいピッチングの形を作っていこう」と足元を見つめ直し、「技術的にはバランスがブレないように、両足をついた状態で体重移動を意識して投げるキャッチボールをルーティンにしました。それも良かったですね」と手応えを掴んだ。
左打者への対策も「途中まで投げていなかったスライダーを投げるようにしました」と攻め手を変更。きっかけは、メジャーリーグでの経験もあった同僚だった。
「それまではカットしか投げていなかったのですが、大きなスライダーがないと左は嫌じゃないのではと思ったので。イメージはディアスですね。
“あのとき”の輝きよりも眩しく――
シーズン終盤に投球スタイルをブラッシュアップさせて臨んだクライマックスシリーズ。甲子園でのファーストステージでは、初戦の3点リードの7回、佐藤輝明と前川右京の左打者からの連続三振を含む三者凡退。2戦目も3点リードの6回、ランナーひとりを置いた場面でキッチリと火消しに成功した。
「苦手なんですけど、ここは(悪いイメージを)払拭するチャンス」と強いハートで乗り込んだ東京ドームでも躍動。初戦は一打同点のピンチで中山礼都を打ち取り、2戦目も秋広優人を空振り三振と、6戦中4戦に登板し無失点と日本シリーズ進出に貢献した。
日本シリーズではソフトバンクと対峙。福岡出身の坂本は「ファンでしたがホークスを倒します」と意を決し、横浜での初戦は1イニング、2戦目はワンポイントで無失点投球を披露。地元の福岡では第4戦にシリーズ初ホールドをマークした。第6戦では打線が爆発した9点差の場面に出番が回り、「2点差のつもりで準備していたのですが、気が緩んだらやられる」と引き締め直し、2イニングを投げ切り勝利投手となった。
最終的にポストシーズン14戦中10登板で無失点。坂本は「左キラー」としても、貴重な存在となった。
今オフも昨年同様に“森原塾”に参加。「今年出来たことをベースに、すべてにおいてレベルアップしたいですね。球種とかは特に増やさずに、またコツコツとやっていきます」と意気込む。
「身体ももっと大きくして、今年アベレージで148くらいだったストレートの球速を150キロ台に乗せたいですね」と具体的な目標も設定する坂本は、「やっぱり師匠の森原さんを越えることが恩返しですよね。守護神の座も狙わないといけないです」とキッパリと言い切った。
決して順風満帆ではなかったプロ生活。幾多の経験と努力を元に復活した左腕は、“あのとき”の輝きよりも眩しく、一等星の如く光り続ける。
[取材・文/萩原孝弘]