“バットマン”という物語の魅力としてヴィランの存在をあげる人は多い。アメコミの中でも『バットマン』のシリーズは名だたるヴィランをデビューさせてきた。
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人気ヴィランを生み出し続けた理由とは?
なぜ『バットマン』が人気ヴィランを次々と生みだすことができたのか? それは本作が犯罪探偵物だったことが大きい。いわゆるスーパーヒーローの中にはクライムファイター(犯罪と戦う者)と呼ばれる者たちがいる。スーパーマンも街のギャングなどとも戦うが、怪獣だったり、宇宙からの侵略者だったり、ロボットだったりと戦い、また天災から人々を守る。それに対しバットマンは(いくつかの例外はあるにせよ)、基本ゴッサム・シティという街中で起こる犯罪に立ち向かうヒーローだ。コミックの中でバットマンがスーパーマンにこういうセリフを言ったことがある。「地球の平和を守ることと悪徳の街(ゴッサム)を浄化することは全く違う次元の話なのだ」と。
逆に言えば『バットマン』の冒険はヴィランがゴッサムの街で事件を起こさないと始まらない。物語を動かす人物を主役と言うのなら、『バットマン』のストーリーにおいて真の主役はヴィランなのである。またアメコミ・ヒーロー物は基本的に敵を殺さない。バット・キックをくらってジョーカーが爆発したり、バット光線でペンギンが燃えてしまうことはない。
ここで重要なのは『バットマン』が絵で語るコミックだったということ。つまり『バットマン』のヴィランはコミックのコマの中で、バットマンと対決した時に目立つビジュアルでなければならない。バットマンは無口で黒いマスクをかぶりダークな衣装を着ているため、ヴィランが対照的なデザインとなるのは必然的だ。
ジョーカーは笑っていて白い顔で派手なジャケットを着ている。鳥ではないのに飛べるコウモリをモチーフにしたバットマンに対し、鳥なのに飛べないペンギンの名を持つ悪党が登場する。マスクを使って2つの顔を持つバットマンの前に、そもそも顔面が2つに分かれたトゥーフェイスが立ちふさがる。男がBATなら女はCATという言葉遊び的なキャットウーマンが誘惑する。
また、バットマンとヴィランが対照的なのは見た目だけの問題ではない。基本バットマンが自分を抑え、ストイックに犯罪と戦う存在だからこそ、ヴィランは自己実現のために犯罪を犯す連中として描かれる。
コミックと異なる“映画”での輝き
コミックの世界でも『バットマン』のヴィランは十分魅力的だが、映画になると彼らはまた別の輝きを与えられる。それは映画のクリエイターたちが独自の視点でヴィランを描くからだ。実はバットマンそのものは、彼がなぜヒーローとして戦うのか? その動機付けがハッキリしている。幼少期に、両親を強盗に殺されたから犯罪と戦う決意をした。このように、バットマンは設定がしっかりして(しっかりしすぎて)いるから、あまりいじられない。
ではヴィランの方はどうか? なぜ彼らは悪の道に身を落としたのか? そこはまだクリエイターが自分の解釈を入れる余地が残っている。例えばかつてジョエル・シューマカー監督の『バットマン フォーエヴァー』(1995)に登場したリドラーと、11日に公開されたマット・リーヴス監督の『THE BATMAN-ザ・バットマン-』に登場するリドラーは似て非なるものだ。
『バットマン フォーエヴァー』版リドラーの正体はブルース・ウェインになれなかった男、『ザ・バットマン』版リドラーの正体はバットマンになれなかった男、と異なるアプローチがとられている。映画版において、監督が自由に描けるのはバットマンよりヴィランの方であり、それゆえの個性・新鮮味・面白味が出るのだ。
『バットマン』映画は、個性豊かなヴィランが今度はなにをしでかしてくれるかが見物でもある。