どんなにヒットし、どんなに長く続いたシリーズにも必ず「第1作」が存在する。長く続いたシリーズであればあるほど、紆余曲折を経て今の姿があるはず。
【写真】丘の向こうからひょっこり! ゴジラが初めて登場する瞬間
『ゴジラ』は昭和、平成、令和と時代を超えて愛され続けてきた日本を代表する特撮怪獣映画で、ハリウッド版もすでに数作が公開されている。今年10月には監督・脚本・VFXを山崎貴が務めたシリーズ37作目の最新作『ゴジラ-1.0』が公開。今月からは全米でも公開され、大ヒットを記録中で、すでに米興収において歴代邦画実写作品1位という快挙を成し遂げている。そんな『ゴジラ』、約70年前に公開された第1作はどうだったのか?
■ 開始20分でついに登場!
太平洋沖で貨物船や漁船が相次いで沈没、行方不明になる事件が続発する。大戸島に漂着した漁船の生き残りは「やられただ…船ぐるみ」と言い残して意識を失う。ここで島の老人が、一連の事態は大戸島に古くから伝わる怪獣「ゴジラ」の仕業ではないか、と推測。その夜、島を暴風雨が襲い、家屋が次々になぎ倒され、住民や家畜が次々犠牲になっていく。ただの暴風雨とは思えない被害の有り様…。
冒頭から約20分はゴジラの姿を登場させず、起きる被害を徐々に甚大なものへとエスカレーションさせていき、観客の期待感、緊張感を巧みに膨らませていく演出は見事だ。
そして開始から21分ごろ、異変を伝える島の半鐘の音に駆けつけた村民たちや調査団の前に、丘の向こうからひょっこりゴジラが姿を現す。ゴジラが日本人、いや、観客の前に初めて顔を出した瞬間である。
■ 『ゴジラ』はそもそも“人間ドラマ”だった
最新作『ゴジラ-1.0』について、「人間ドラマの部分が多すぎる。もっとゴジラが見たかった」という趣旨の意見を目にすることがある。しかし、こうした意見に首を傾げるのは、そもそもこの第1作は、ゴジラに相対する人間ドラマの側面が大きいからだ。
大戸島でゴジラの存在が確認された後、国会で取り上げられることに。志村喬演じる古生物学者は、たび重なる水爆実験の影響で住処を奪われたために地表に出てきた巨大生物ではないか、と推測する。
ここで議会では、重大な情報であり軽率に公表して国民をパニックに陥れるべきではないと秘匿を主張する議員と、重大事案だからこそ国民に広く伝えるべきであるとする議員とで議論が紛糾する。激しい舌戦を呆然と見つめる志村の表情が印象的だ。
その後も第1作では、ゴジラという超自然的な存在に脅かされ、意見が二分したり、葛藤したりする人間の姿が描かれる。そもそも『ゴジラ』は人間ドラマとしてこの世に生まれたと言っていいのだ。
■ 「また疎開か」“戦後たった9年”を感じさせる生々しい会話
■ “戦後たった9年後”を感じさせる生々しいセリフ
前述したように、『ゴジラ』は怪獣映画であるが、一方で人間ドラマでもある。『ゴジラ』第1作を見ていて、ハッとしたのは下記の会話だった。
電車内にて。
「長崎の原爆から命拾いしてきた」「また疎開か」といったセリフは、本作が終戦からわずか9年後に作られたものであることを強烈に印象づける。最新作『ゴジラ-1.0』も戦後をVFXの技術で忠実に再現していた。しかし、こうしたセリフには、「戦後直後」のリアリティをまた別の形で感じさせてくれる。
■ オッペンハイマーに重なる“創造者”の苦悩
ついにゴジラが東京に上陸。防衛隊による重火器での攻撃や、高圧電流で感電死させる作戦も不発に終わり、東京は焦土と帰す。
ゴジラの再上陸が恐れられる中、宝田明演じる主人公らは、芹沢博士が発明した酸素破壊剤「オキシジェン・デストロイヤー」をゴジラに対して使用させてほしいと博士のもとに直談判に訪れる。「オキシジェン・デストロイヤー」は、水中の酸素を一瞬のうちに破壊し尽くしあらゆる生物を窒息死させるという恐るべき兵器だった。
平田昭彦演じる芹沢は「オキシジェン・デストロイヤー」が「原水爆に匹敵する恐るべき破壊兵器」であるとし、一度使ってその存在が世界に知られれば、各国の為政者に悪用されかねないとこれを拒否する。その後、苦しんでいる被災者を目の当たりにして考えを変えた芹沢は、「1回限り」という約束で兵器を使用を許可。自らの生み出した兵器で見事ゴジラを倒すと、そのまま海底へと消えていく。自らが作り出した破壊兵器の秘密とともに…。
途方もない兵器とそれを生み出してしまった創造者の苦悩といえば、クリストファー・ノーラン監督による伝記映画でも話題の「原爆の父」ロバート・オッペンハイマーにも重なる。『ゴジラ』第1作は単なる特撮映画ではなかった。第1作にして、すでにゴジラの出現を通して人間とその愚かさ、苦悩に光を当てていた。だからこそここまで長きに渡って愛されるシリーズになったのではないか。(文・前田祐介)