【関連】津田寛治監督作品『カタラズのまちで』場面写真
名脇役として映画館やお茶の間にその顔を浸透させる一方、映画監督としての肩書きも持っている。7月12日から埼玉県川口市で開催される「SKIPシティ国際Dシネマ映画祭」の短編コンペティション部門にて、地元・福井県を舞台に監督した短編映画『カタラズのまちで』が上映される。俳優でありながら監督業もこなす。そんなハリウッドスタイルを貫く津田本人を直撃し、枠にとらわれない変則的な動きの原動力と、脇役という奥深きポジションについて聞いた。
「元々は映画監督をやりたかった。その足がかりとして俳優をやろうと思ったんですよね」と意外な出発点を明かす津田。『カタラズのまちで』は、ホームレスの老人と少年の交流を描いたシンプルな物語だが「吹き溜まりの風の視点を意識した」というヌーヴェルヴァーグ映画風カメラワークに始まり、人物にあえて光を当てずにコントラストを強調させた照明設計など、その作風はシネフィルならではの非凡さに溢れている。キャストのほとんどが素人だが、あえてセリフなしの無声映画に仕上げた。「制作前はスタッフから『演技力が必要なのでは?』と不安の声もありましたが、それこそ逆。
作品の完成度の高さをベタ褒めすると「監督する上では映画をどれだけ観ているかが重要ですよね。本数をそれなりに観ていれば、それなりのモノは撮れるはず」と頭をかくが、数多くの現場を俳優として渡り歩いてきた経験も、監督としての血肉になっているはずだ。しかも津田は“映画好き”と同時に、相当の“映画現場好き”でもある。「現場には誰も予測しえなかったエネルギーを生む源のようなものが必ずあるんです。でもそれは俳優として内側にいるだけだとわからない。だから僕の場合は、休憩中に現場全体を眺めるようにしています。そうすると“その何か”が見えてくる。僕は昔からそれを発見するのが大好きで」と声を弾ませる。好きな映画のシーン状況にも独自のこだわりがあり「遠くにいる人物に対してピンボケしながらも、やっとピントを合わせた瞬間に感じるカメラマンの息づかいって最高。技術面で厳しい状況に直面している緊張感が何ともいえない」と職人たちの格闘に目を輝かせる。
脇役の心構えとしては「常に柔軟でなければいけないし、脚本を読む段階で作品全体を見ていないとダメ。自分だけのことを考えた演技プランで現場に入るのではなく、全体を考えてぶつかる。そうすると、もし間違った演技プランだったとしても、作品に何らかの化学反応が生まれる可能性がある」と分析する。もちろん「主演を立てることでそのシーンが素晴らしいものになる場合は、あえて自分を目立たなくさせることも必要」と引き算の重要性も説く。その一方で「主演であろうが、助演であろうが常に全力であるということには変わりないですけどね」と笑うが、話を聞く限り脇役とは、主演以上に俳優としての高い技巧を求められるポジション、ということなのだろう。
それでは津田にとって“脇役”とは何だろうか? しばしの沈黙の後「ライフワークだと思いますね」と答える。津田が思う主演とは「その作品のカラーを左右する存在であり、務める俳優自体も作品と思い切りぶつかっていくもの」だという。だからこそ「本来は同じ俳優が別の作品で何度も主演をやるべきではない」と言い切る。しかし脇役こそ、それが可能なポジションだ。
短編映画『カタラズのまちで』は同映画祭にて、7月15日(月)と17日(水)に上映。