女優の有村架純主演ドラマ『中学聖日記』(TBS系)の最終回が18日に放送され、自己最高となる視聴率9.6%を記録した。

【写真】有村架純&岡田健史が抱き合う『中学聖日記』ラストシーン(写真14枚)

 初回視聴率は6.0%と苦戦し、数字だけでなく、「女教師と中学生の禁断の恋」というテーマ設定から、「中学生との恋愛なんてありえない」「気持ち悪い」「淫行」「90年代ならともかく、今の世の中で需要があるとは思えない」など、酷評が続出していた。


 だが、回を追うごとに作品にのめり込む者が増え、次第に末永聖を演じる有村と黒岩晶を演じる岡田健史の2人を応援する声に変わっていった。1つには、新人俳優・岡田のみずみずしく真っすぐで純粋な演技の魅力があったろう。

 そして何より有村が演じる聖から漂う、潔癖なまでの「正直さ」が、作品を支えてきた面は大きいと思う。

 中学生を夢中にさせてしまう女教師・聖は、ともすればステレオタイプの「魔性の女」として表現されかねない。もちろんそれでは原作と大きく異なるし、ともすれば陳腐な作品になってしまう恐れもある。

 だが、視聴者の一部はまず「わかりやすさ」を求めた。だからこそ、おっとりタヌキ顔の有村が表現する、湿度の高い控えめな色気に物足りなさを感じる者も少なからずいた。「童顔で、大人の女性っぽく見えない」「有村架純では優等生的で、色気不足」などという批判が初期には多々あった。有村が演じる聖は、女生徒たちから「あざとい」と言われ、教頭からは「(ダウンスタイルのロングヘアが)いやらしい」と注意される、スキだらけのダメ教師に見えた。

 しかし、あざとく見えた聖の無防備さは、未成熟で生真面目ゆえの無自覚な色気であることが、有村の抑え目でナチュラルな演技から伝わってきた。

 さらに印象的だったのは、花火大会の後の浜辺でのキスシーン。自分に真っすぐ思いをぶつけてくる晶に、どうしたいかと尋ねられ、自らの恋心が抑えられなくなった聖は泣きながら「うちに帰りたいです」と言う。
そのグチャグチャになった感情を、有村は、泣き疲れた後の小さな子どものように表現していた。

 婚約者も仕事も、何もかも失い、晶のもとを去ってなお一途に思い続ける純粋さ、正直さには、視聴者はときにイライラし、呆れながらも、次第に応援モードに変わっていく。それはちょうどドラマ内の2人を取り巻く人たちの心境変化と重なっていた。 朝ドラ『ひよっこ』(NHK)では田舎育ちの普通の女の子・みね子のごく普通の日常を、安定感ある「受け」の芝居で演じ、高評価を得た有村。だが、その直後に、映画『ナラタージュ』で初のベッドシーンを披露。お茶の間の人気者になった朝ドラ・みね子像を自ら捨て去る大胆な挑戦には、頑なにも思える覚悟が感じられた。

 『中学聖日記』において、有村は「ひたむきで必死な思い」や「傷つく気持ち」「恋愛の苦しさと愚かさ」などを、感情が先走らぬように繊細に表現していた。また、『中学聖日記』の演出家・塚原あゆ子が監督を務める映画『コーヒーが冷めないうちに』でも、あえて抑えた引き気味の演技でリアリティーを感じさせていた。

 わかりやすい「キャラクター」を頭で作り上げるのではなく、感情によって突き動かされるのでもなく、「役柄」と正面から真面目に向き合い、深く考え、分析し、生身の人間としての自然なあり方に落とし込んでいく有村の演技。

 だからこそ、自らの中に必死で閉じ込めてきた恋心はいじらしく、それを「嘘」で隠すことをやめたときの、どん底にありながらもまぶしく強い輝きに、視聴者は惹(ひ)かれていったのではないか。

 数々の批判や非難を一身に受け止め続け、それでも真っすぐ純粋に「聖」として走り抜いた有村架純の力量と情熱に、心からの拍手を送りたい。(文:田幸和歌子
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